ベルリン・オリンピックと2020東京

 2020東京オリンピックを考える時、1936年のベルリン・オリンピックが参考になると思うので概説します。
 ベルリン・オリンピックはレ二・リューフェンシュタールの映画『民族の祭典』で有名なようにナチス・オリンピックです。
 ヒトラーは当初、オリンピックには興味が無く、どうでも良いと思っていたが、ムッソリーニに会ってその考えが変わる。ムッソリーニのイタリアは、前年にサッカー・ワールドカップを開催して大成功を収めた。
 ムッソリーニは、サッカーなどスポーツの世界大会が如何に国民を熱狂させるかを熱く語った。ファシストにとって、スポーツというものがどれほど魅力的かをヒトラーに伝えた。

 「国別対抗戦は、何もしなくても愛国者を大量生産する。誰が考えても、自国選手を応援するのは自然な流れである。」オリンピックは国の影響力を受けないために都市開催としているが、ベルリン大会ではヒトラーが、東京大会では安倍晋三がしゃしゃり出ている。オリンピックなど、国家の支援がない限り開催不可能である。東京都のカネでは国立競技場など作れない。

 ヒトラーはそのことに気づき、メインスタジアムを大理石建築に改めた。ベルリン大会で初めて実施された「聖火リレー」は、ギリシアからバルカン半島を貫いてベルリンに至り、すべての地理情報がドイツに知れることとなった。その後ナチスドイツは、このリレーコースを逆走してバルカン半島を制圧した。

 創始者のクーベルタンも別に平和主義者だった訳ではない。かれがスポーツに熱を上げたのは、普仏戦争に負けたフランス軍が弱かったからである。その上で、英国を視察した時に、英国のパブリックスクールが、スポーツを軍事教練に利用していることに感銘を受けた。

 仏軍を強くするにはスポーツしかない、と確信したのである。「平和の祭典」というのは古代オリンピックの「休戦週間」をこじつけた後付けに過ぎない。五大陸を意味すると言われる「五輪の輪」も参加国数を増やすための方便である。

 第1回のアテネ大会からロンドン大会までの最初の4大会は、今でいえば会社の社内運動会に毛の生えた程度のもので、博覧会の付属イベントのひとつに過ぎなかった。参加者などほとんど居らず、いつ始まって、いつ終わったかさえ良く分からない。
 巨大化したのは、ヒトラーのベルリン大会からで、さらに注目を集めたのが1964年の東京大会である。敗戦国・日本の復活を告げただけでなく、オリンピックを美化し商業化する転換点となった。それほどの大成功だった。

 ファシストにとっても、戦後ニッポンにとっても、「国家一丸となって熱狂するのに最適なイベント」として最大限に活用された。

 1964年の東京オリンピックは、テレビ中継が本格的に始まり、オリンピックそのものの質的価値を変えたと言える。

 しかし今回の「2020東京大会」は、開催する必然性などゼロである。日本政府側にとってはハード施設を大量に建設してゼネコンに利益を与え、観戦客の獲得によるインバウンド消費の活性化くらいしか意味がなく、IOCにとっては上納金を日本から巻き上げることにしか意味がない。

 「フクシマの復興」など嘘八百で、「アンダー・コントロール」ではない事など、世界中が知っている。

 しかし、そんな「嘘にまみれた大会」も、新型コロナ・ウィルスによって粉微塵となった。いま報道では「開催時期の延期」などが言われているが、「うるう年開催」はオリンピック憲章に明記されており、簡単に開催年をズラすことなど出来ない。

 オリンピック・マフィアが今後のオリンピック商売をどう考えるか次第だが、ふつうに考えたら、「2020東京大会、中止」しかあり得ない。日本は無意味な負債だけを背負って、没落の坂道を転がり落ちる。

 安倍晋三や「緑のタヌキ」を見ていると、こんな奴らに権力を預けた日本国民に対する「ギリシアの神々の怒り」が天罰として下ったと考えるしかない。

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