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ジェンダーアイデンティティの旅の途中。写真家 / 編集者・中里虎鉄さんインタビュー|Diverstyle Book

写真家として活動しながら、2018年に男性の解放をテーマにしたzine『ダンセーカイホー』を発表し、2020年には既存のシステムへの違和感を提示する雑誌『IWAKAN』に企画発案者の一人として関わった中里虎鉄さん。男女二元論に基づく社会の中に自分の居場所を見出せなかったと語り、約2年前にノンバイナリー(※)の立場を表明した虎鉄さんに、境界を取り払った先に見えるものを訊きました。

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メンズ・ウィメンズで分けて考えたことがない

——虎鉄さんはカラフルな柄物の服を楽しんで着ている印象がありますが、普段どのように服を選んでいるのでしょうか?

虎鉄:気分で選んでいるので、自分がこうありたいとか、カテゴリーから脱却したいとか、そういう理由で服を選ぶことはあまりしなくて。今日は「ギャルのテンションで行こう」と思ってこの服を選びました。古着か、友達が作っている服を買うことが多いですね。学生の頃はファストファッションと呼ばれるブランドの服をよく買っていて、安くてどれだけ大量に手に入れられるかが大事だったんですが、最近はそういった買い方はしなくなりました。

——どうして大量に服が欲しかったのでしょう。

虎鉄:当時はすごくプライドが高くて、「同じ服を2回は着ていけない!」みたいなマインドを持っていたんです。

——他者の視線を強く意識していたんですね。そこから意識が変わって、服の選び方も変化したと。

虎鉄:そうですね、なんで意識が変わったんだろう……。考えてみると、人から同じ服を着ていると思われたくなかったときは、褒められることでしか自分を肯定できなかったんだと思います。「たくさん服を持っているね」「いつも違うスタイルだよね」といった言葉で、自分を肯定していた。

そこから、恋人ができてジェンダーアイデンティティが受け入れられる感覚を得たり、仕事を通じて自分の根本にある思想を伝えることができたりといった経験を積んで、もっと多様な幸せの形や感じ方を知るようになって、人から褒められることによる自己肯定感を強く求めなくなっていきました。

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——幸せの形が増えていくのはとてもいいですね。虎鉄さんは、「今日はギャルのテンションで」とお話しされていましたが、メンズ・ウィメンズというカテゴリー分けとはどのように向き合っているのでしょうか?

虎鉄:服をメンズ・ウィメンズと分けて見たことが全然なくて。

——それはいつからですか?

虎鉄:小さい頃からですね。姉にはピンクのパジャマ、僕には水色のものを与えられていたけど、絶対に水色を着たくないと思ってピンクを買ってもらったこともあるし、父がレディースの服を着る人だったこともあって、メンズ・ウィメンズにとらわれずに服を選ぶことに違和感はありませんでした。僕の性別じゃなくて、僕自身が服を選ぶわけで、自分が選ぶものに性別は関係ないというスタンスをとっています。

——性別ではなく、自分自身が服を選ぶという視点に気づくことで、選ぶものの幅もずいぶん広がりますし、窮屈さから少し解放される感覚がありますね。一方で、自分が着たい服が周りに受け入れられず楽しめなかった……といった経験はありましたか?

虎鉄:それが、なかったんです。僕がどんな服装をしても近くにいる人たちが否定しなかったのが大きくて、それは恵まれていたと感じています。あとは小学生の頃から自己肯定感が高くて、レッドカーペットを歩いて、MTVでドキュメンタリー番組を制作されるようなセレブになれると根拠なく思っていました(笑)。

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自己肯定感の高さを裏付けるもの

——セレブになれると思ったのは自分の可能性を信じる気持ちがあったからですよね。自己肯定感を支えていたのはどういった理由からだったのでしょう。

虎鉄:絶対的に周りの人たちの存在があったからです。根拠のない自信を持っている状態も受け止めて、好きでいてくれている人たちがいたことは自分の支えです。もちろんそれ以外の人たちからすごく嫌われていた時期もあったし、記憶を消したいほどひどいこともあったけど。でもそんなときも、僕のことを好きでいてくれた人たちがいて、その人たちのことしか僕は見ていなかったんだと思います。

——ずっと順風満帆だったわけではなくて、苦しい時期もあったけれど、信じてくれる人をしっかり見ようと努めていた。

虎鉄:中学校2年生のとき、すごくしんどかったんですよね。とある男子から、自分が好きな女の子と僕が仲がいいという理由でめちゃめちゃ嫌われて、廊下を歩いているだけで飛び蹴りされたりして。は? て思いますよね、何が起きているかわからない。でもそういうことがたくさんあったんです。僕は誰とも仲良くしないほうがいいのだろうかと思い詰めたこともあるし、死のうかなと考えたこともありました。でも、そのときにぱっと思い浮かんだのが、自分のことを好きでいてくれる人たちの存在で。それがあったから、しんどいことよりも、自分を支えてくれたり、好きでいてくれたりする人たちをしっかり認識できていることに自覚的になれたのかなと思います。

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——どん底のような状況でも、自分を支えてくれる人やものが一つあるだけでかなり心持ちは変わるのではないかと思います。虎鉄さんは、他者からのまなざしや、他者との関わり方に自覚的なのかなと感じるのですが、自分が他者と異なると感じる部分はありますか?

虎鉄:僕は今ノンバイナリーと表明しているので、ジェンダーに関しては他の人と違いがあると言えるのかもしれませんが、パーソナリティの話でいうとそんなに違いはないと思っています。というよりも、人はそれぞれ違うのが当たり前だと考えていて。

——というと、具体的にどういうことでしょうか?

虎鉄:明るい人や静かな人、面白い人、などいろんな人がいて、人によって個性が違うのは当たり前のことだから。僕は人前に立ったり、まとめたり仕切ったりということが昔から好きで、それをやると「すごいね」と言われる場面が多いのですが、単に僕がそういう人だというだけのことで。それに、「すごいね」と言われると、私とあなたは違うと言われているような気がしてあまり好きじゃないんです。

——暗に線を引かれているような感覚。

虎鉄:そう! もちろん悪意があるわけじゃないだろうし、褒め言葉の意味合いが強いこともわかるし、「すごいね」という言葉そのものが悪いわけじゃありません。「すごい」で終わらせないで、その先にあるものに興味を持ちたいし、持ってもらえるとうれしいなと思っています。

——違いを知ることは大切ですが、それは理解のための行為であって、排除の手段ではないですよね。

男性という選択肢について、今も混乱中

——今、多様性という言葉が使われる場面が多いですが、例えば男性優位の社会構造であったり、賃金格差であったり、さまざまな構造の問題や格差がありますよね。虎鉄さんはノンバイナリーを自認して発信されていらっしゃいますが、一人ひとりの「らしさ」を肯定する社会を目指すには、どういう心がけが大切だと考えますか?

虎鉄:僕はジェンダーやセクシュアリティに関して、自分が当事者でありマイノリティとして不平等な扱いを受けている存在なので、なかなか中立的な意見を言うことが難しくて。どうしても「いや、こうするべきでしょ!」と感情的になってしまうところがあります。でもそういうふうに伝えてしまうと、「多様性を認めるのであれば、多様性を認められない人も認めるべきだ」というような反発を生んでしまいます。でも、もちろんそれはそうではなくて。

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例えば今は男性優位の社会構造だから、女性の管理職を増やすための取り組みが必要なフェーズが必要ですが、決して女性が男性よりも優位になることがゴールではなくて、そもそもこれまでの社会が男性優位であって、社会の仕組みを整えるための過程として必要なことなんですよね。クィアな人々についても同じで、今まで排除されたり不平等な扱いを受けてきたりした人たちが、優遇されてきた人たちと同じ場所に入っていくには、システムの部分に手を入れて変えていく必要がある。特権を持っていると言われることの苦しさもあると思いますが、特権を手放すことがゴールなのではなく、ときにはこれまで不平等な対応をされていた人たちのために身を引くことが、ゆくゆくはすべてのジェンダーや特性を持っている人の平等を実現するための方法だということを忘れてはいけないと考えています。

——社会において特権を持っている人たちが、どういう気づきを得て行動していくのかということはこれからさらに議論がなされていく事柄なのかなと感じています。虎鉄さんは、男性優位社会において苦しい思いをされたとお話しされていますが、フェミニズムに連帯を表明しながらも、虎鉄さん自身は生物学的に男性なので特権を持っているかもしれないとご自身のnoteで語られていました。

虎鉄:いわゆる「男性像」に自分がフィットしなかったので、約2年前にノンバイナリーを選択したのですが、そのときに男性としての特権を自ら放棄しようとした感覚がありました。だけど今は不思議なことに「男性になりたい」って思っていて、すごく混乱しているんです。特権を取り戻したいと思っているのかな? って。自分の中では、学生の頃に男性同士のコミュニティで繋がりのようなものを感じられなかったことが大きなコンプレックスになっているから、自分は男性ではないと感じてしまった部分が大きかったのだろうと最近分析しているんです。女性やクィアな立場の友達には繋がりを感じているけれど、男性との繋がりだけがずっと欠けていて。だけど最近、シスジェンダーでヘテロセクシュアルの男性との繋がりができ始めて、幸せを感じているんです。

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——喪失していたものが再獲得されていくような感覚。

虎鉄:そうです。だけど、男性に受け入れられなかったからノンバイナリーを選択して、繋がりが手に入ったら元に戻るというのも都合がいい話だし、本当の自分のジェンダーアイデンティティがどこにあるのか、混乱している最中です。だから今はノンバイナリーも含めて、どの属性にもしっくりきているわけではありません。今日の取材場所は河川敷を希望したのですが、それは僕がどんなアイデンティティを持っていても、そこに存在することが当たり前であると感じられるから。僕はジェンダーアイデンティティに関して今旅をしている感覚で、いろんな通り道を経て、辿り着く終着点もいろんな場所がありえると思います。たとえまた男性に戻ったように見えても、軽はずみにそうとは言い切れない。また「男性という選択肢」がやってきた! みたいな。ただ、特権を乱用しているような気分にもなるし、考え中です。

歴史を学ぶことは、誰かを傷つけないための方法

——虎鉄さんは以前『ダンセーカイホー』というzineを作ったり、「中里虎鉄という生き物として生きている」と語っていたり、性別ではなく自分自身として生きる姿勢を強く発信されています。既存の枠組みから「解放」されることをどのような状態だと捉えていますか?

虎鉄:僕の言う「解放」は、「拡張」に近いニュアンスなのかなと感じています。例えば「男らしさ」の定義が広がれば、スカートを履くことも「男らしい」と捉えられるかもしれません。既存の「らしさ」を完全になきものにするとなるとそれはそれで難しい部分が出てくると思っていて、ひとつの問題提起のあり方としてこういう発信をしています。ただ、個人が自分に向けて心地いい表現として「らしさ」を使うのであれば、それは「構わない」けど、それが他者に向けられるものであれば、僕はそれを許容することはできません。

「男らしさ」「女らしさ」のようなものによってしんどい思いをしている人が圧倒的に多いと僕は感じます。「男らしさ」「女らしさ」という言葉で一括りにしてその人を表すのはすごく失礼なことだし、その言葉に内包される要素は別の言葉に分解できるはずですよね。例えば来客にスリッパを出すことが「女性らしい」と表現されていたとしたら、「気遣いができる」と言い換えられる。大雑把な「らしさ」でその人を語ることはコミュニケーションを怠ることだと僕は考えています。

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——大雑把な「らしさ」に押し込めたくなってしまったら、一度立ち止まって考え直すことで目の前にいるその人をより理解することに繋がりそうですよね。虎鉄さんは自らの道を歩む上で、どんなものから学びを得ていますか?

虎鉄:僕には、ロールモデルはいないんです。一人ひとりにリスペクトできる部分はありますが、この人みたいになりたいという人はいないし、見つけるつもりもありません。だけど、小さかった頃の僕が、今の僕をロールモデルにしてくれたらいいなとは思います。

自分の考えを更新していくために一番大切にしているのは友達とのリアルな会話ですが、歴史を学ぶことも重要視しています。歴史を学ばないと、今自分がしている活動は100%自分の力によるものだとか、世代の力だとか思ってしてしまいがちなのですが、そうではありません。自分たちよりも前の世代の人たちが努力して戦って変化を起こしたからこそ、自分たちは今声を上げることができているということは忘れてはいけないと思います。それをBLM(Black Lives Matter)のときに感じました。僕自身、まったく知識を持っていなかったので、そのタイミングで勉強したことで、それまでブラックルーツの友達に失礼なことを言っていたことに気づいて。歴史を学ぶことは、誰かを傷つけないための方法だと思います。

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多様性という言葉が人口に膾炙し、認知が広まった一方で、その多様な属性同士の間にある個々のパワーバランスに目を向けず、表面的な題目として消費される場面も多くあるかと思います。そういった現状を知った上で、いかに異なる他者の記号的なラベルではなく本質的な個性に興味を持ち、理解を深め、思いやることができるのか。ジェンダーアイデンティにまつわる旅をしながら、他者や自分自身との対話を深める虎鉄さんの真摯な姿は、一人ひとりを自らの胸に手を当てる行為へと柔らかく促してくれるのではないでしょうか。

※ノンバイナリー:男・女以外の性自認・性表現をするセクシュアリティの総称。男・女という枠組みどちらにも当てはまらないというスタンスの場合、男でも女でもない第3の性であるという立場をとる場合、男であるときも女であるときもあるという不定形な状態を指してノンバイナリーと称する場合、まだ男か女か決めかねている過程にあるという認識の場合など、個々人によってあり方は異なる。身体的性を問わない。
※クィア:ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、異性装をおこなう人などを包括する概念。元は主にゲイへ向けられた「変態」「風変わり」といったニュアンスの侮蔑語であり、それを当事者たちがあえて自ら名乗ることで、プライドを持って自称できる言葉へと転換していった。「LGBT」や「セクシュアルマイノリティ」と指し示す範囲が重なる。

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Diverstyle Book by IIQUAL

ジェンダーバイアスにとらわれず多様な生き方をする人々にフォーカスしたDiverstyle Book。IIQUALの服やスタイリングの参考になるだけでなく、その人の価値観や生き方といったストーリーを追った"ライフスタイルブック"です。

IIQUALが目指すのは、誰かが決めたららしさを脱げる服。自分のらしさを着られる服。「誰かが決めたらしさを脱ぐ服」というコンセプトで、メンズ・ウィメンズという概念のない服づくりに挑戦しています。詳しくは下記リンク先をご参照ください。


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