将来の夢
「先生は何になるの?」
塾で高校三年生の女の子に聞かれた。
高校三年生の可愛い女の子に、あなたならなんて答えますか?
ほんの十年前にはなかったような携帯電話。
もうなくなってしまった風景。
なかった仕事やあった仕事。
必要とされている仕事、かつては必要にされた仕事。
世界はまるでいきもので、
私たちはいきもののような世界に家を建てて、
食べ物をつくり、毎日働き、誰かを愛している。
先日読んだ写真家のエッセイにはこう書いてあった。
”夢というのは、職業のその先にあるものだ”
”お金や仕事というツールを得るために必要なのが学歴や職業で、それ以上の意味はない”
読んでみると納得で、「〇〇になるのが夢(目標)です」だと、
そこに到達してしまったらもう終わりで、それじゃ夢じゃない。
例えば「医者になる」という夢を持つのであれば、正確に言えば「多くの人の命を救うために医者になる」となる。そうするとその人の夢は「医者になる」ではなく「多くの人の命を救う」になる。
彼女が私に求めていた答えも「職業」であって、その先じゃない。
職業というのは非常にわかりやすいのだけれど。
あいにく私になりたい職業などなく、
好きなことを好きな時にして、
満足する食事にありつけて、お気に入りのものに囲まれ、
自分の家族を作ること。これが今の夢であり目標だ。
なので彼女には、
「わたしがわたしであること」
と答えておいた。
ちょっと格好をつけていることばだけど、
いけてることを言いたいのではなく、
この十年でさえ目まぐるしく自分の環境が変わるのだから、
せめて毎日じぶんらしく幸せを感じて生きていくことは「夢」になるのではないかと正直に感じたからだ。
頻発する災害、
揺れ動く為替市場、株価、
発達する科学、
流行り廃りのある職業。
こんなもんに振り回されるなんてまっぴらごめんだよ。
そんなことより、
わからない未来はみんな同じなんだから、
自分が、また自分の愛する者たちが健康でにこにこ過ごしてくれる毎日を送ることは夢といわずなんと言うのだろうか。
これを守るために毎日生きていると思う。
サポートされるってどんな感じですか? でもマイペースに進んでいきたいと思います