ポエムの価値

詩は意味してはならない。存在するのだ。

ポエムという単語がネット上では、決して良い言葉として使われていないことはずっと分かっていた。
ポエム(笑)なんていう心無い揶揄が生まれ、それは当然僕自身にも投げつけられたことがある。

誰もが創作表現を自由に投稿できるようになったのは、ネットの恩恵の一つだと思っている。
では損害は何だろう。
言うまでもない。濫立しすぎたのだ。

携帯小説が爆発的に流行ったのも、今や昔。
これらの作品もポエム(笑)と同様、一緒くたに小馬鹿にされていた。

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ポエムという言葉の価値を上げようという試みが行われようとしている。
素晴らしいと思う反面、後ろめたさがある。
それは僕もポエムという言葉の価値を下げていた人間の一人だからだ。
一八歳の頃から始めた創作表現だが、あの頃は若かったという理由だけでは済まされない量のものを投稿してきた。

自身の不甲斐なさを自虐している場合ではない。
僕はポエムが好きだ。
書くことも、読むことも。
価値を上げなければ、いつまでもポエムという単語の後ろには(笑)が付きまとう。
実際にこのnoteという創作を最大限受け入れてくれるプラットフォームですら、ポエムに関する公式マガジンは無い。
創作といえば小説。そんな雰囲気が出来上がっているように感じる。

ポエムを定義することは難しい。
というよりも、そもそも言葉であれこれ語るのは野暮ったい。
けれど価値を上げるためには、野暮だと分かっていても言語化しなければ始まらない。

ここから先は、ただの持論だ。
これが正しいと押し付けるつもりは毛頭ない。

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ポエム(詩)とポエチック(詩的)に違いを設けなければならない。
詩的な文章だけれど、いまいち中身が無い。
これをポエムとして一括りにしてしまった結果、ポエムという言葉の価値が下がったと考えている。

詩的な文章が悪なわけではない。
種類が違うのだ。

「詩的な文章」は一つの楽器だ。
ふと聴こえるワンフレーズ。
時としてそれだけでも音楽として成立する可能性を秘めた綺麗な音色。
随筆や日記といった実際的な文章にこの音色が添えられると、一気に情感が増し、読者の感受性をくすぐる。

「詩」は楽団。
様々な韻があり、多くの喩えがそれぞれ楽器として重層的な音を生み出す。
クラシック音楽とは少し違う。指揮者はいない。格式張ってもいない。もっと自由だ。
例えばそう、ジャズのセッションのような。
より情熱的に、より衝動的に言葉と音が交ざり合うイメージ。

どちらが良い悪いという話ではない。
種類が違うのだ。
ポエムにはポエムの、ポエチックにはポエチックの良さがある。

けれどポエム(詩)とポエチック(詩的)は同じだとも思う。
上述と矛盾しているかもしれない。
しかしどちらも受け手の感情や記憶に干渉し、言葉や行間に様々な想像や質感を与えることが出来る。
この二つを定義して分別して使うことと、曖昧なまま書き続けるのでは意識が変わってくる。
ポエムの言葉の価値を上げるために、ポエムを書く自分が出来ることの小さな一つだと思っている。

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ポエムの価値を上げるために何が出来るのだろうか。
だいすーけさんが手書きでの可能性を示してくれた。

手書きで書くことによって、「ポエムのビジュアルの概念が拡張される」。まるで一枚の絵のように、アートの要素をまとう(すでにアートなんだけど、美術的な意味合いが増すという意味で)。

ポエムとは単に文字だけで成立するものではないのだろう。
手書きとしての質感や、写真、イラストと共に添えられた時の視覚効果。
言葉としての意味ではなく、形としての美しさも挙げられる。
だいすーけさんが言語化した「ポエムのビジュアルの概念の拡張」というポエムの価値が、自分の中でとてもしっくりときた。

ポエムを「書く」だけではもういけない所にいるのかもしれない。

僕は音としてのや、形としての表現に可能性を感じている。
言葉の意味を越えた、純粋な音の響きとしての綴り。
音楽に沿った歌詞とは少し違う。
ポエムそのものが音楽として成立するような作品。
写真や絵としての側面を持たせることも不可能ではない。

あらゆるものにポエムは存在している。
それらをきちんと言語化して敷衍することが出来れば、ポエムの言葉の価値は上がっていくだろう。

けれど、この試みは一年やそこらで簡単に達成できるものではない。
そしてここまでダラダラと書いてきたけれど、僕自身は具体的にどうすれば良いのか判然としない。

僕はポエムが好きだ。
書くことも、読むことも。
この気持ちにきちんとした意味や価値を持たせ、行動や言語として示さなければならない。
今、無理やり具体案を出す必要は無いのかもしれない。
一緒にやる方々と意見を擦り合わせたりもしていきたい。
少しワクワクしている。

言葉は神聖なものだと諭してくれた人がいた。

とりあえず僕に出来ることとして
自分の書いたものを(笑)だなんて語尾につけずにポエムだと言い切ることにする。
別に僕のはきちんとしたポエムだと言いたい訳ではない。
ただ僕自身の中でポエムという言葉に価値を持たせてあげたいというだけ。

この活動がこれからどんな風に、価値や意味を持っていくのか
とても楽しみな自分がいる。


貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。