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それでも僕らが世界の主役でなければならない

深い悲しみを背負った人がいる。
耐え難い苦痛を味わった人がいる。
創作や表現という分野において、それらは時に大きな強みとして発揮されるかもしれない。
実際に自身が経験した喪失や悲痛を、切迫した、或いは琴線に肉薄した表現で僕らに訴えかける人がいる。
そういった背景に基づいた作品が僕らに与えるものは大きい。
良い意味でも悪い意味でも。

けれどあなたはそれを羨んではいけない。
自身と比較する必要も無ければ、卑屈になることも無い。
悲しみや苦痛など経験しなくても良い。
羨んだり、望む必要など決して無い。

あなたの大切な人やものはいずれ失われる。
それは悲しみとなり痛みにも苦しみにもなる。
望むことなどしなくても、あなたはいずれ味わうことになる。
もしかしたらもう経験したかもしれない。
けれどそのどれ一つだって、安易に創作のネタにしてはいけない。
いたずらに表現の材料に使ってはいけない。
不特定多数の人間に消費されるコンテンツにしてはいけない。
そんなことをするまでもなく
あなたから産み出される想像や表現は創作として成り立つ。
あなたが経験した痛みや苦しみは、あなたの中でいつか創作や表現として昇華されるだろう。
実際に痛みや悲しみを負うことも求める必要も無い。

自分のことを空っぽだと思うかもしれない。
文章に残すほどのものなど何もない人間だと考えてしまうかもしれない。
あの人に比べたら。
あの人に比べたら。
自分の人生を浅いと感じてしまうかもしれない。

実際、僕らは空っぽなんだ。
とある人の壮絶な過去や経験と比べてしまったら。
けれどそんな人と自分を比較する意味があるのだろうか。
周りの人は凄いけど自分には書けない。
けれど僕の空っぽさを、多くの物事を経験してしまった人には書けない。
僕らの空っぽさを書けるのは、結局僕らでしか無い。

「自分という人生の主役は自分だ」なんて言葉。
僕ははっきり言って嫌いだ。
事実としてそうだということはもちろん分かっている。
けれど僕がなりたいのは、平凡でありふれた人生の主役じゃない。
誰もが羨み、憧れ、山があり谷があり、最後はハッピーエンドで終わるような
そんな人生の主人公なんだ。

「夢を追うのに遅すぎることなんて無い」なんて言葉。
僕ははっきり言って嫌いだ。
いわゆる成功者と呼ばれる人間にしか言えない言葉だ。
もしくは追うべき夢が定まっている人間。
夢を夢として追える人間は強い。
僕ははっきりと思い描くことが出来ない。
内心では夢を追う誰かに嫉妬する程度の浅ましい人間だ。

現実問題として、自分には出来ることと出来ないことがある。
努力ではどうにもならないことがある。
他人と比べることは無意味だと分かっていても
それでも頭から切り離せない時がある。
言い訳や理屈で固めて、目を背けてしまうことがある。

表現は自由だ。
僕は書くことしか出来ないけれど。
それでも多くの言葉から一つ一つ選び抜いていく。
僕自身を、僕の中から生まれるものを言葉にしていく。
まだ見ぬ表現や出会いはここから生まれる。

表現は自由だ。
僕らは何をどう表現しても良い。
物語の主人公に自分を投影しても、
自身の過去を大げさに盛って書いても、
嬉しいという三文字を千字にして書くことだって出来る。

実際に辛く、悲しい経験なんてする必要は無いのだ。
僕らは想像することが出来る。
もしかしたらその想像は現実味が無いかもしれない。
経験者が語る言葉には遠く及ばないかもしれない。
それでも
あなたはその人を羨ましがってはいけない。
経験せずとも想像できるような知性や教養、哲学を学ぶことを求めるべきだ。

この場所を選んだということは、僕らは書くことを選んだのだ。
自身の内側にあるものを言葉として表現することを選んだのだ。
それは想像かもしれないし、経験なのかもしれない。
その一つ一つがあなたにしか書けないかけがえのないものだと、
どんなに綺麗事だと言われても僕は言う。
僕には僕にしか書けないものがある。
あなたにはあなたにしか書けないものがある。
比べればつまらないと思うだろう。
並べれば劣っていると思うだろう。
それでも僕らは言葉として表現することを選んだのだ。

自分には想像力が無いのかもしれない。
あるいは語彙力や文章力、才能。そんなものの全てが無いのかもしれない。
僕はいつかここで書いた。
才能なんて言葉で片付けないでくれと。
想像力でも語彙力でも何でもいい。
自分に無いと思っているもの、それを会得するためにどれだけの努力をしてきたのだろうか。
一行では変わらないかもしれないが、数万行ならどうだろう。
一日では変わらないかもしれないが、数年経てばどうだろう。
あなたが羨む人は、どれだけの努力を重ねてきたのだろう。
あなたが妬む人は、どれだけの研鑽を積んできたのだろう。
楽なことではない。
それでも僕らは言葉として表現することを選んだのだ。

深い悲しみを背負った人がいる。
耐え難い苦痛を味わった人がいる。
創作や表現という分野において、それらは時に大きな強みとして発揮されるかもしれない。
しかしその悲しみや苦痛を創作や表現とするまでに、どれほどの時間と労力を割いたかを想像しなければならない。
決してそんな経験を羨んではいけない。
望まずともあなたはいつか経験することになる。

あなたという人間が一人しかいない以上、あなたにしか書けないものがあるのだ。
悲しいも苦しいも、嬉しいも楽しいも、単語にすればこれだけだけど、そこに至るまでの物語はあなたにしかないものなんだ。
綺麗事だって思うかもしれない。
下らないって思うかもしれない。

表現は自由だ。創作は自由だ。
楽しみがある。苦しみもある。
けれど僕はそんな文章が書きたいんだ。
そして僕はそんなあなたの文章が読みたいんだ。
主役は僕で、主役はあなただ。

僕は書くから、あなたも書いてほしい。
僕は読むから、あなたも読んでほしい。

比べることなんて何にも無いんだ。
主役は僕で、主役はあなただ。

そうやって、続いていく。


貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。