見出し画像

思春期は図書室で生き延びた(上)

本稿は、とある教育関連の会社のサイトのために書いたもので、「学校の図書室」について語ってます! こっちでも載せていいよーと許可をもらったので公開します(もともと掲載予定だったサイトではまだ公開されていませんのでこれが本邦初公開!・笑)。いつもとちょっと文体(語り口)を変えていますので、その辺もあわせてお楽しみくださいm(__)m

++++++++++++++

私が子ども時代、どんな子だったかというと。
中身は完全な陰キャ。なのに、教室内外でとにかく目立つ子でした(一度も同じクラスになったことない人も、なぜか私のことを知っている…)。
現実逃避癖があるのに、授業ではすごくしゃべったり。
校則は守るけど、心は反抗心に満ちていたり。
ちょっと分裂気質なようです。
将来の夢は「高等遊民」。(わりと本気で)貴族になる、と信じていました。ナゼ!! ※昔の少女漫画の電波を受信していたようです。 
成績は中の中くらい。
国語の点数が異様に良くて、理数系は全くダメ(笑) 典型的文系です。

そして、幼稚園の頃から、本、とくに小説とエッセイ(900番台)が大好きでした!

そんな私の、心のオアシスだった【図書室】について。


1.「図書室」は治外法権だった

私の母校は中高一貫の女子校。いわゆる進学校です。
そのわりに、(私の時代はまだまだ)のんびりした校風で、
バリバリ勉強したい人は勉強し、
部活やりたい人は部活をやり、
趣味(研究)に打ち込みたい人は趣味を極める、
という、基本的にはなんでもありの精神。
制服や校則はありましたが、それでも、「割とのびのびやらせてもらった」という記憶です。

そんな、のびのびした学校の中でも
極め付きに自由だった場所が「図書室」でした。
治外法権。租界。永世中立国スイス(笑)
精神的に不可侵。

母校の図書室は、廊下のつきあたりにありました。確か2階か3階。
3教室をぶちぬいたくらいの広さはあったと思います。
ドアをあけると、細い廊下があって、右手に書棚がずらり。
左手にはカウンター、カウンター前は現代小説の宝庫。
さらに閲覧・自習スペースの机と椅子があって、雑誌、児童書があった。
二方向に窓があって、常に午後の薄い光がさしていた。
窓を開けると、下の運動場からテニス部が練習しているのが聞こえました。
走ったり、ボールを打ったり拾ったり。
日に焼けたレースのカーテン、黒ずんだ木の書棚、木の床。
何もかもが古びていたけど、とても心が落ち着いた。

私はもともと幼稚園の頃から大の本好き。
入学後すぐ図書室に入り浸るようになり、
図書委員を中高6年間務め、
たぶん500冊くらいは本を借りました(数千冊読んでた人もざらにいた)。

図書委員の仕事は主に、延滞督促と、学期末の大掃除。
「延滞督促」は、本を期日になっても返してくれない人に「早く返せ」というビラを書くこと。
私は何週間も返さない人に怒りまくり、ビラに真っ赤なマジックで「返しましょう」とか書いてたが、今ならもうちょっと効果的な”太陽政策”を考えます(笑)
とにかく督促の鬼だった。あの頃の気迫なら税金徴収官とかになれたかも(笑)
 
大掃除は、あらゆるものを雑巾で拭くという原始的なもの。
書棚を濡れ雑巾で拭くと、木の匂いがよみがえった。

図書室では、年に一度くらい「古本市」が開かれました。
もしかしたら文化祭の出し物だったのかな?
図書室で定期購入していた雑誌などが、格安で販売されていたように覚えてます。
私はここぞとばかりに、美麗なイラストと本物のアンパンマンの絵が収録されている『詩とメルヘン』(MOE派ではなかった)やら、インテリぶりたくて、ニューズウィーク(英語版)を買い込みました。
英語版なんて読める訳ないんですが、日本の雑誌とは、写真やイラストの雰囲気がずいぶん違っていて、それ眺めてるだけで面白かったです。
あと、編み物とか手芸の本とか買ってたな(笑) 手芸やらないのに! 憧れだけで(笑)

2.守り人は「司書さん」

図書室にはだいたい、「授業が終わって何もないけど、なんとなく帰りたくない」という時に、寄り道していたと思います。サラリーマンにとっての居酒屋ですね! 

図書室の守り人は「司書さん」。
みんな、ただ「司書さん」と呼んでいました。私も名前は聞いたことがない。
確か、「司書教諭」という、先生の資格もある司書さんだったかと思います。

絵本に出てくるような、ふっくらした優しい女性。
四十代くらいかな、ふわふわしたセミロングの黒髪を後ろで結んで、いつも穏やかな笑顔でした。
不思議なのは白衣を着ていたこと。
どこか保健室の先生のようにも見えました。

1年生で一番最初に借りた本は、『向田邦子全集』。
国語の授業で向田邦子が取り上げられて、面白いなと思ったんですが、とにかく重かった…。なんせ全集だから。1冊が百科事典みたいにでかいし。
中学生に向田邦子小説の本当の良さ、つらさなんてわからないんですけどね。なんか、惹かれて。
(その後、図書室の全集に飽き足らず、市の中央図書館で「寺内貫太郎一家」のシナリオ集やら「ラジオ番組の台本」まで制覇。情熱っていうかもうストーカーだ!)

そして、興味の赴くまま、小説を、ミステリーだろうが純文学だろうが何でも読んだ。

司書さんは、私たちのリクエストに答えて
どんなに”くだらない”と思える流行本だろうが、
小難しい本だろうが
何でも買ってくれました。

読んでいるものを否定されたことは一切ありません。
また、「古典名著だから読みなさい」というような強制も一切なし。
思うんですけど、名作(古典から近現代小説含め、クラシックなもの)ってタイミングなんですよね。
私も、一応太宰とかは読みましたが、名作(特に西洋のもの)を面白いと思えるようになったのは30代に入ってからです。
古典って、それなりに世間や人生の苦みがわかってからでないと、感動できない。
でもそこに出会うまでに、長い長い「伏線」は必要なんです。
私はそれを常に実感しています。

一例を挙げると。
図書室に『月と六ペンス』というタイトルの本がありました。
ずーっと気になっていました。想像がつきませんよね。月とスッポン???
著者はサマセット・モーム。有名な本のようだ。
でも一度も読むことなく、卒業しました。
数年前、モーム(イギリスの作家・スパイ)の本を読んで驚愕。
私、この小説家の作品が世界で一番「自分に合う」かもしれないとまで思った。
で、辿っていくと、モームを読もうと思えたのは、図書室で『月と六ペンス』という背表紙を見て、書いた人が「モーム」ということが、なんか印象に残っていたからです。

もちろん『月と六ペンス』読みました。めちゃくちゃ面白い。けど不思議な小説です。
なお、『月と六ペンス』というタイトルの意味は、読んでも全くわかりせん!!! 読み終わって「あれ、月も、六ペンスも、特に出てこなくない?!」ってなります(笑)
多くの読書家により今でも深読みされている、文学史の謎の一つらしいです。意味ありげすぎるよ!!

なので、何が影響するかわからない。
でも、「こういう名作がある」という、タイトルだけは知っておきたい。
そういう意味で、国語や歴史で無理やり覚えさせられる「名作年表」には、意義があると思います(笑) 

1度、司書さんが、フロイトとユングを勧めてくれたんだと思う。
私が心理学にかぶれた時に(そしてそれは多分筒井康隆のせいなのだが)(まあ中高生の時期って、心理学と哲学は、通過儀礼みたいなもんだし)
「読んでみて」という感じで。
入門書だから簡単なはずなのだが、めちゃくちゃ難しかった(笑)
でも「読みました!」と報告したくて、必死で読み通した記憶がある。
司書さんはとてつもなく幅広い教養を持っているんだと、なんとなく感じた。
でも、きっと読まなくても何も怒ったりしなかったと思う。
本を勧めるとはそういうことだ。

(後半につづく!)


これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m