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コロナの渦中で考える。日本語の違和感→民主主義とは!(2020.5.21)

みなさんの地域は、緊急事態宣言が解除されましたでしょうか?
「あたらしい生活様式」って、どうですか?

私は都内に居住しているので、今もれっきとした「ステイホーム」下にあるのですが、雰囲気としてはもう「なし崩し的に日常に戻っていいよね? 戻るね」が近いと思います・・・。
子どもたちはよく我慢してると思うけど、なんかもう・・・スーパーも商店街も密だし、電車の混雑も元に戻ろうとしてるし。


さて今日は、日本語ムズカシイネという話です(笑)
「自粛疲れ」とか「気の緩み」っていう日本語の使い方にすごく違和感がある、という話。から、壮大な方向へ発展していく(予定)。

※だいたい4300文字


1-1 コロナ疲れ・自粛疲れ

これは「疲れ」という言葉がほんとうにぴったりなのか?と思う。 
「自粛疲れなんてとんでもない、これからが本番です」
って百合子氏(小池都知事)に言われた時、むむ?って思ったんですよね。

もちろん知事の言うことはごもっともです。
でも、なんか「え?」って思っちゃったんです。

「コロナ疲れ」という言葉は、確かに私も初期の頃に使ったし、そういうnoteも書いた。
私の場合は「飽きた」が近かった(その後、その認識がとんでもなく浅薄なもので、ステイホームで命を守らなくてはいけないことは理性で認識しましたが)。

確かに、出勤の人も、在宅の人も、職があってもなくても、子どもも大人も、心身ともにほとんどの人が「疲弊している」のは事実だと思う。

ママの友人の話とか、SNS見る限り、子どものいる女性の負担は重大だ、と思います。
SNSには出にくいけど、要介護者のいる家庭もたぶん・・・。

1-2 震災のときとの違い

東日本大震災のときも「自粛」はあった。
震災のときの自粛は、「喪に服す、痛みを分かち合う」意味合いが強かったと思う。(物理的に節電が要請され、町が普段より薄暗くなり、余計そのムードを強めた)
直接的な影響がない地域でも「喪に服す」ことには同調せざるを得なかった。「死」には逆らえないし、何度も繰り返された津波の映像、誰もいない街を見たらもう何も言えない。
だから「普段通りに過ごせる地域は過ごして経済回そう」とは言いづらかった。

だから、あの時は、被災地も被災しなかった地域の人も「すごく疲れた」と思う。
被災しなかった地域は、どこまで被災地のことを「汲み取って」「寄り添えばいいのか」わからなくて、どこまでいっても罪悪感があって、終わりがなくて、それで、疲れたのであった。
日常をふつうに生きることが申し訳ない、という感覚を「持たねばならない」ことに疲れた。
しかもそれは誰からも強制されておらず
(国や自治体がそう”要請”した訳ではない)
これこそ、自発的に、全員が全員の空気を読み合った結果、そうなったのである。日本のお家芸。
しかも、被災地者は必ずしもそれを望んではいなかったようであった。

私は3.11のことを茶化しているわけではありません。
私の友人家族も被災しました。本当に心配で無事だとわかった時は涙が出ました。
あの災害は、人災だった部分もあり、国全体で「自分事」としてとらえないといけない部分はある。
でも、何もかもを自分事としてとらえていたら健康な人も病気になってしまいます。
そういう意味で、どこまでを「自分事」にすればいいのかがわからず
みんな疲れていたんだと思うんです。

でも、今回の「自粛」は、本当に「物理的に効果・作用のある自粛」だ。
痛みをわかちあう、という抽象的なことではなく、
人との接触機会を減らせば確実に感染が減る。
しかも影響のある地域は、日本全土、世界全体である。

この「自粛」には本当に効果があり、意味があり、納得感もあるものと、私は思う。

※そういえば「自粛」という日本語にも、別の意味ができてしまったなー。  
 もともと「自らそれをしないでおく」という意味だったが
 「ウイルスの感染拡大を防ぐため、営業を自主的に縮小・とりやめたり、家になるべくいること」
 という意味が付加されたのだ。

1-3 まとめ

私個人は、命のために納得して「ステイホーム」しているつもりだった。
だからそれで「疲れています」とはあまり言えないような気がしている。
実際、仕事が半分以上休みになり、家から出てないので体力的にも疲れていない。
精神的にもわりと安定している。
(これは、諸条件により、私が偶然、恵まれていた部分も多々ある。ありがたいことである)

いやー難しい!
疲れたと感じてる人は「疲れたよー!!!」と吐き出すことで、精神の安定につながるから、抱え込まないでほしい。

でも、あまりにカンタンに「疲れたつかれた」って言ってると、大して疲れてないのに疲れているような気になってきませんか? ということもある。
ムリはよくないが、ちょっとくらいなら脳をダマして、たのしむ工夫できないかな。

ほんとに悪いことばっかりですか??
私のように、もともとの日常に疲れていた人は、
この状況で(無駄に)人と会わなくて良くなり
むしろ良かった、なんて人もいるはずだと思う。

そして、イチバンの違和感は、その言葉の選び方だった。
これは後述します。

2 気の緩み=たるんでる!?

「気の緩み」これもよく報道で知事とか大臣が使ってるのを見かける。
言いたいこともニュアンスもわかるけど、なんか・・・気の緩みって、こういう時に、大人が大人に向けて使う言葉でしょうか。

確かに、「気が緩んでる」ように見える人もいるかもしれない。

私も、複数でマスクせずに歩いている人たちなんかを見ると「うわあ」と心中穏やかでない。(かろうじて「自粛ポリス」になることは自重できているが)

でもそれは、第一に当局の「周知不足、能力不足」だと思う。
危機感を持続させるような呼びかけができてないということだ。
少なくとも国や自治体の側は、そう捉えるべきでしょう。
(あんまり言いたくないけど、事実なので言いますが)実質的な権力を持っている側の方が工夫するしかない。

だいたい「気が緩んでる」って要は「たるんでる!」ってことですよね? 
学生の時によく言われたわーーーーーー。「たるんどる!」って。

「私たちがこんなに周知してるのに!!」って? 私も含め、一般庶民、大衆なんてそんなもんだよ。
戦後75年、自由と平和を謳歌してきた日本人が、そんな簡単に全員「右向け右」で言うこと聞くわけない。北朝鮮じゃあるまいし。
だからって「じゃあ法律を変えて強制的に言うこときかせよう!」という発想ではなく、「聞いてもらえるような言い方とか伝え方が大事」なんじゃないんですか? 
サラリーマンとか、みんな「伝える」ってことで苦労してますよ(私は演劇で学んでますが)。だからコロナ専門家有志は「自主的に」noteとかTwitter始めたんでしょう? 「みんなに聞いてもらい、受け入れてもらえないと意味がない」から。

それでも、日本は世界でもまれにみる「お上に従う、忍耐強く、素直な」国民性なので、大多数の国民は自分で工夫し、ガマンし、ステイホームして、なんとかしのいでいる。
陰湿ないじめやDVはあるが、政府に対する暴動も革命も起きてない。
(世が世なら、対応の仕方間違ったら革命が起きるレベルだと思う)

なんで国民の方に押し付けてるのか?
・・・いや、私も本気で怒ってるわけではなくて(人間同士が争っても仕方ないので)、ただ疑問を呈してるだけです。


3 がんばりましょうって、SMAPか。

「がんばりましょう」。

何を?

みんな「自分のために」自粛している。すでに「がんばって」ます。
 
医療従事者やエッセンシャルワーカー(この言葉も日本語になったね)に「よろしくお願いします、ありがとう、がんばってください!」とエールを送るのはいい。

もう私たち個人では、やれることやってるよ。

でも「自粛してくれてありがとう」と言われるのも違う。
いや、「自粛」は自由意志でやってますし、ちゃんと意味を理解して自粛してるから、ふつうでいいの、ふつうで! 


4 学校の先生感がすごい

わかった! これは、あれだ!
全体的に「ガッコウのセンセー」感がただようからだ。
学校の先生が生徒を「管理」しようとするときの言葉遣いだ。

ということは、対等に見てないってことだよ。国民や都民を。

だから、なんとなく違和感がある(ムカつく)のである。

それでイラっとするんだ。
上から目線を感じるんだ。


5 さらに・・・!

そもそも、私たちの側にも「お上」感覚がある。
平時は「むずかしいことは”負託”してるんだからそっちで良きように計らって」と思う。
非常時になると「策を出せ!責任とれ!」って言いがち。私もそうでした・・・。
それも「対等」じゃない。

負託は、「お上」と「下々」ではなく、
「行政側」と「民側」が緊張関係(=対等)であってよいはず。

日本は今まで本当の民主主義だったことはないというのは私の実感だが、こういうところに現れていると思う。

たぶん「権利」っていう考え方自体が、まだまだ、なじみが薄いんだと思う。もともと民主主義に紐づいてるから・・・しかも、民主主義が生まれた西洋では血で勝ち取ったものだが、日本は・・・なんていうか、「下賜」されたものっていう感じがあるんだよなー(下賜って言ってる時点で、もう上下関係が発生している)。

要は、「人権、権利(義務)」の教育がちゃんとされてないということです。そういう教育を受けたことがないから「権利100%ふりかざすモンスタークレーマー」と「自己責任という言葉にとらわれすぎて病んでしまう人」に2極化。

でも今の時代、「ガッコウでは習わなかった」としても、その気になれば、本とかマンガとかで学べると思うんですけどね。考える機会すらなかったのかもしれないけど・・・じゃあ今だよ。今が考えるときだよ。

「自責」も「他責」も、どちらかだけ100%にするのは無理だし、その必要もない。
行政には相応の責任は果たしてもらわねばならないし、それを要求する権利がある。が、なんでもかんでも、国や自治体任せにせず、自分のアタマでも考えることも大事(だと今回初めて思いました)。

このパンデミックで亡くなった方もいらっしゃる。
辛い思いをしている方も多い。
が、我々はまだ生きている。
生き残ってしまった我々は、この「コロナ禍」を「良き方向に行くキッカケ」にするしかないと思ってる。

ピンチをキッカケに!

ツイッターデモが大きなインパクトを生んだ。みんなが政治に関心を持ち始めた。良き!
家事育児の苦労がわかった。良き!
今までの都市がどんなに「異常」な世界だったかわかり、今後を考える時間になった。良き!

もちろん、今回は「自然大災害」レベルの世界的パンデミックなので
個人の自衛でできることは限られる。
ので、必要なものは、淡々と行政に要求していきましょう。

そして自分の心の安定は自分で守りましょう。



これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m