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転売擁護の基礎理論とその陥穽~余剰と価格差別

 にわかに転売問題が話題になっています(完全に乗り遅れました).模型・フィギュアなどの専門誌『月刊・ホビージャパン』の編集者がtwitterで転売行為を容認する発言をしたことに端を発するこの問題(元の発言を正確に知りたい方は→リンク),要約すると,

・転売を憎んでいる人は(高いから)買わなかった人だ
・生産元としては生産した分売れてるんだから文句ないだろ
(・量販店での値引き販売のほうがよほどつらい)

といったもの.内容の不用意さはさておき,500フォロワーのアカウントのつぶやきがいきなり炎上し,解雇処分とは……ほんとtwitterってリスクでしかなくなりつつあるなぁ.本エントリの主題ではありませんが,この解雇の方が(その気になれば)法的には問題となる可能性高いと思う.

 世の中としては「転売ヤーけしからん」「それを擁護する発言などもってのほか」で発言者を叩いて終わりでしょうが,これに黙っていられないのが経済学者の性.「転売そのものの否定って,ほとんど資本主義の否定(→)」「転売屋が生じてくるのは社会法則という名の自然現象(→)」などの発言が批判の的になっています.

 でもねぇ.経済学者のこの反応は非常にわかる.フツーそう考えるよね.ごくごく一般的(特別な事情のない)な市場環境を想定して転売そのものを問題視するロジックを導くのはかなり難しい.さらに,取り締まりコストをかけてでも排除すべき……と示すのはほぼ不可能に近いと思う.

※ちなみに経済学のロジックにそこそこなじみがある人には,超初心者向けの本エントリより,小樽商科の中島大輔の発言まとめ(→)で十分.すぐに「転売市場の個別性について」までジャンプしてください.

前提として余剰の話

 というわけで今回は,初歩的な経済学による

・なぜ経済学では転売を(それほど)問題視しないのか
・転売を問題視しうるとしたらどのような状況か

についての解説エントリです.まずは,お話の前提となる余剰の解説から.経済学では取引から生まれる「経済的な豊かさ」を余剰という概念で把握します.まずは消費者にとっての経済的な利得は,

消費者余剰=「最大限払っても良い金額」より「安く買えた」分の合計

です.要は購入した人が「お値段以上」に感じた分を全購入者について合計した部分のこと.

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 生産者についても,「生産者余剰=最低限払って欲しい金額より高く売れた分の合計」ですが,今回はあまり重要ではありません.
 そして忘れてならないのが転売者の余剰.転売者はその商品自体に何の価値も感じていない(つまりは金儲けのためだけに購入する)と仮定すると,

転売者の余剰=「転売価格ー購入価格」の合計

と想定することが出来るでしょう.ちなみに消費者余剰・生産者余剰とはことなり「転売者の余剰」はあくまで本稿限定の用語法です.この三つの合計が市場のパフォーマンスを表す「総余剰」となる.なお,「転売者の余剰」を考えるなんてけしからん!という人もいるかと思いますが,そういう話は後ほど.

仮想的な需要構造

 余剰によって市場のパフォーマンスをはかること自体がけしからん!という話は後回し.まずは仮想的な需要構造で,

・転売の存在は総余剰を増大させる
・転売の存在が消費者余剰を増大させる状況も十分考えられる

を示してみましょう.ある商品には需要者が,

・「100円でも買う」という人が10人
・「60円なら買う」という人が10人
・「30円なら買う」という人が80人

いるとしましょう.区切りをもっと細かくしても良いのですが,話が煩雑になるわりに理屈は同じなので,以下,この超単純な需要構造を元に議論を進めます.

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このような需要構造に対して,メーカーが「20円で100個」生産すれば欲しい人全員が購入できてみんなハッピーということになる.このとき,消費者余剰は,

・「100円でも欲しいが20円で買えちゃった人」×10
・「60円なら買いたいと思ってたら20円で買えた人」×10
・「30円なら買おうと思っていたら20円で買えた人」×80

ですから,2000円(=80円×10+40円×10+10円×80)となります.図で表すと,下のグレー部分が消費者余剰.ちなみに生産者余剰はオレンジ部分から(可変)費用を引いた部分になります.

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くじ引きによる配分

 しかし,メーカーはこの需要構造をわからず――つまりはどれだけ売れるか不安だったため,20個しか生産しなかったとしましょう.100人が欲しいけど,実際に購入できるのは20人.つまりは確率1/5のくじ引きになります.
 くじが平等に設計されていると仮定すると,「100円でも欲しい人」も「60円なら買いたい人」も「30円なら買おうという人」も1/5の確率でしか購入できないことになる.このとき,

消費者余剰の期待値
=全員20円で買える時の消費者余剰×1/5
=400円

となります.生産者余剰は収入(20円×20個=400円)から費用を引いたものです.

転売者がいる場合

 転売者は1人ではなく多数存在するとします.世の中には当該商品の潜在顧客よりはるかに多くの転売ヤーがいるとすると,今回の生産20個の全てがいずれかの転売者のものになると想定します.

※経済学には「結論を導くために必須の仮定」と「話を簡単にするための仮定」があります.ちなみに,この場合「転売者は多数いる」は必須の仮定,「全商品が転売者のものになる」は簡単のための仮定です.

 転売者はその商品に何の価値も感じていないため,売れ残りが発生しないように価格設定をします.転売市場が競争的であると,転売のための仕入れ20個をちょうど売り切ることができる「1個60円」が均衡価格となります. この時,消費者・転売者・生産者の余剰はいくらになるでしょう.

 まずは生産者.「20円で20個」の商品を販売し,400円の収入(下図オレンジ)を得ています.ここから費用を引いたものが生産者余剰になる.これはくじ引きの時と全く変わりません.つまりは生産者余剰には変化なし

 つぎに転売者.20円で仕入れて60円で販売したわけですから,1個あたり20円の利益です.40円×20個の800円が転売者の余剰(転売買にも費用がかかりますが簡単のため省略します)です.

 そして肝心の消費者余剰.60円で販売されるわけですから,

・「100円でも買うという人は60円で買えて40円お得」×10=400円
・「60円なら買うという人は60円で買えて損得なし」×10=0円

と,消費者余剰は400円になります.なお,「支払っても良い額」が30円の人は転売市場で60円の値がついているとそもそも購入しないので余剰は0です.これらを図解すると下の通り.

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では市場のパフォーマンスを表す総余剰を計算してみましょう.

総余剰
=生産者余剰+転売者の余剰+消費者余剰
=(400-生産費)+800+400
=1200円-生産費

です.
 くじ引きの時の総余剰が800円-生産費ですから,総余剰は増大しています.ちなみに,この結論は需要構造がどうなっていようと変わりません.ランダムな割り当てよりも,高い額を払う気がある人に商品が行き渡る方が必ず総余剰は大きくなります.

 転売アリの方が総余剰が必ず大きくなる……というのが経済学者が転売に容認的になる第一の理由.

消費者余剰を増大させる可能性

 転売者の利益を含めて市場パフォーマンスを計測すること自体に違和感があるという人もいるでしょう.そこで,消費者余剰だけに限定してその増減を考えてみましょう.ここでは,

くじ引きの際の消費者余剰=400円
転売ありの場合の消費者余剰=400円

となっています(というかそうなるように数字を設定しています).両者の大小関係の決定を整理するとーー以下の条件が成立している時に「転売アリの方が消費者余剰が高くなる」ことがわかります.

・低価格でなら買いたいという人が多いと,くじ引きで当たる人のうち「低価格でなら買いたいという人」の割合は高くなり,くじ引きシステムでの消費者余剰(の期待値)は低くなる

・評価が高い(本ケースで言えば200円でも買いたいなど)人が多いと転売アリの場合の消費者余剰は大きくなる

 そして転売が活発に行われる,そして定価をはるかに超える(「異常な転売価格」と人々が感じる)のって上の2つが成立している時ですよね.転売がさかんに&高値で行われる市場ほど,転売による消費者余剰向上が生じやすい.これも,経済学者が転売を問題視しない理由です.

余剰は正しい指標だろうか

 ここまでの説明で納得できた人は話はここまで.その一方で,「より高い金額を支払ってもよい」という人が購入することが「望ましい」という価値観が納得いかないという人もいるでしょう.健全な反応だと思います.

 しかし,「より高い金額を支払ってもよい」という人よりも「あまり高い金額は払いたくない」という人が商品を入手する方が望ましい理由を私は思いつきません.
 貧しくて買えないという人がいるじゃないか……と言われるかもしれませんが,個別財市場において所得分配に考慮した取引を行う必要はあるのでしょうか? 

 プラモデルやコンサートチケットで所得分配に配慮した取引が求められるのであれば,その他の商品についても所得格差に考慮して……最高価格制などを通じて「需要>供給」の状態を強制し,くじ引きや行列で商品の配分を決めるべきと言うことになるのではないか? これは,冒頭の坂井先生の発言にあるとおり,それこそ「資本主義の否定」です.

 もし所得格差によって「買いたいけど買えない(払っても良い金額が低い)」人がいることを問題視するならば,主張すべきは所得再分配政策であって個別市場での取引制限ではない……というのが私の基本的な見解です.

 その一方で,私は「欲しくても(貧しくて)買えないという人に配慮して高額転売は規制すべきだ」という主張を文字通りにはうけとめられないと思っています.転売が問題だという人は多い.しかし,その瞬間に炎上している商品以外の(再分配上より重要と思われる住宅市場などの)個別市場に取引規制が必要だという人はそこまで多くないですから.

 反市場主義志向と再分配への支持はあまりリンクしなくなっています.一般的に,他者への信頼感の高い人は個人の行動に対する規制を嫌い,そして再分配を支持する傾向があります.逆に言えば,個人の自由な行動に規制が必要だと考える人は再分配についても冷淡ということになる.両者を同居させるためには社会主義計画経済という概念装置が必要ですが……少なくとも40代以下ではその影響は小さいでしょう.

 むしろ,「高額転売が非常に問題のある行為に感じる」のは別のところに理由があるのではないでしょうか.そのひとつの可能性が価格差別です.

転売市場の個別性について

 「転売市場がなんか問題な感じがする」…………これは経済学をはなれると個人的にもなんとなくわかる気もします.この「なんとなくいや」の正体は,転売が消費者余剰を減少させるという直感が働くからではないか.これが本稿のメインの仮説です.

 転売市場での取引は,多くの場合,ネットを通じた相対交渉や(1個ごとの)オークションで行われます.そのため,価格は上の説明のような「一律60円」にはなりません.

 「100円でも買いたい人」と「仕入値20円の商品を可能な限り高く売りたい転売者」の間の交渉価格はいくらになるでしょう.両者のもつ情報(相手方や他の潜在顧客の情報)次第ですが……プロの転売ヤーとその商品のファンというだけの素人だと,まぁ常識的に転売者に有利な価格設定になるでしょう.観光地での百戦錬磨の土産物屋と一見客との交渉を想起ください.

 「客を見て値段を決める」という行為を経済学では価格差別といいます.そして,高く出せる客には高く,それなりの額でしか買えない客にはそれなりの価格で販売することで全ての客に「その人の払える最大の額」を吐き出させることができたならば,それは完全価格差別といわれます.

 このような個別交渉,個々の商品毎のオークションになると商品価格は完全価格差別に近い水準になる.すると,このとき全ての消費者は「払えるギリギリの額」で購入しているので,余剰はゼロになる.

 総余剰に変化はありませんが,極端な場合には消費者余剰は0(すべては転売者の余剰になる)……消費者から転売者への余剰の移転が「不公正だ」または「俺たちが損をしている」と感じるところに転売への厳しい意見の内実があるのではないかと感じるのです.

事業者の利益

 さて.ここであらためて生産者(商品のメーカー・発売元)の利益はどうなっているか.ちなみに,ここまでのどのケースでもメーカーの収入は「生産個数×定価(=20×20円)」です.転売があろうがなかろうが関係ない.その意味で,この問題の発端であるホビージャパンの編集者の感想

・生産元としては生産した分売れてるんだから文句ないだろ

はそこそこ説得的です.しかし,たいした影響はないわりにはメーカーは転売を強く非難しますよね.もちろん客商売ですから,客の気に障ることは言わない。。。というのもありましょう.しかし,理由はそれだけではないのでは?

 この問題を考えるためには,ここまでの静学的な枠組みではなく,動学的(未来の状況を考慮した)思考が必要です.ここらの話は続編にご期待あれ.

※実はこの問題は私が学部生の時は「巨人はなぜドームのチケット代をあげないのか」問題として有名でした(若年の読者への注記:かつて巨人戦はいつでもダフ屋がでるくらい満員でした).

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