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[臍]遠い電車の音が聞こえてくる

遠くで線路を走る電車の音が鳴っていました。線路の継ぎ目を通過する車輪が立てるあの音をカント音というそうです。わたしは眠らずにその音を聞いていました。随分と長い時間響いているのは貨物列車だからかもしれません。

追憶

幼い頃、電車を乗り継いで行くその家はわたしの大好きな場所でした。
30分に一度、柱時計がごーんと音を立てるのが不思議でした。わたしは伯母たちが暮らすその一軒家に泊まりにいく日を心待ちにしていました。
それがどうしてか、わたしには分かりませんでしたが。
閑静な住宅街で、団地や鉄塔が並んでいる他は何もないような場所でした。




入り組んだ路地

いえ、近くには一通りの遊具が揃った児童公園がありました。
それも少し開けた場所に出るたびに一つあるのです。どこも妙に広いだけで人がいるのをあまり見たことがありませんでした。同じ年頃の子どもなんて、一番人の出がある時期に訪れていたはずなのに、数回しか会ったことがありません。
昔は団地の子どもたちで賑わっていたのかもしれません。わたしが生まれた頃にはもうピークが過ぎていたのでしょう。
また、ほとんど緑がありませんでした。殺風景な印象を面積の広さが打ち消しているようなところがありました。形は台形をしていたと思います。
迷路のような路地を抜けると台形をした殺風景な公園がある、と。まるでダンジョンのようです。

聖域

その家はわたしにとっては聖域のような場所だったので、もちろん門番がいました。
それは綺麗なふさふさの毛並みを持った犬でした。犬は南米の青年のような名前を持っていました。仮にカルロスとしましょう。
カルロスはわたしの記憶ではとても獰猛で、祖父以外の人間は近づくことさえできませんでした。そのせいか、いつも頑丈な納屋のような小屋に入れられていました。でも、どうなのでしょう。獰猛だから小屋に閉じ込めてあるのか、いつも閉じ込められているから獰猛になったのか。
とにかく、カルロスがいるので、わたしは聖なる家に独り身で赴くことはできませんでした。
ダンジョンの奥にある聖域。実際、家は袋小路の一番奥にありました。

道が入り組んでいたので、家にたどり着く一番の近道は墓地の間を通っていくことでした。
いえ、ちゃんと歩道があるのです。二人並んで歩ける幅の道の両側が墓地になっているというだけで。
思えば毎回、線香の香りを嗅いでいた気がします。そのせいかわたしは今でも墓地の近くを通ることにまったく抵抗がありません。

十字架

近くには教会があったように記憶しています。
病院だったかもしれないとも思うので、確信は持てないのですが。
ある午後、いとこと少し離れた川原まで行った帰り、わたしといとこは十字架を目にしました。あまり大きな十字架だったので、ひょっとしたらそのような形に見えただけかもしれません。
夕日をバックにそびえ立つそれは、幼い子どもたちを驚かせるにはじゅうぶんだったようです。
わたしたちはわっ、と叫んで駆け出しました。

「モリタ」と書いてある謎の箱

家は二階建てでした。狭い階段を上がって二階には二つの部屋がありました。
一つは引き戸なのですが、反対側の部屋にはカチャと音を立てて奥に閉まる木製のドアがついていました。
ドアの横、日中も陽光の陰になっている隅にそれはありました。
茶色い、縦長の段ボール箱でした。側面には「モリタ」と印字されていました。
その箱、妙に重いのです。なので、ドアを開け放しておく必要がある時には「モリタ」の箱を重しにしていました。
夜になると、「モリタ」の箱のほうの部屋で眠りました。
しかし、子どもたちが寝室に追いやられる時間になっても、大人たちの宴会は終わる気配がありません。しかもとてもとても愉快そうなのです。
夕食の時間には自分たちだってそこにいたのです。そんな状況で眠れるはずがありません。
自然と子どもたちは柱時計がごーんと十二時を打つ頃まで起きていることになります。
すると、ふと、階下に静寂が訪れます。
周りには何もないところですから、外の音がよく聞こえます。
秋ならば虫の声などが。遠くの方からは線路の上を走る電車の音が微かに響いてきます。
一日、終わってしまった。
そう思う間もなくいつしかわたしたちは眠りに落ちているのでした。

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