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25周年目を迎えたDRAGON GATE…YAMATOの決意表明

割引あり

「オイ、このベルト、ドリームゲート、これで俺は最多6度目の戴冠だ。誰だ、オイ。またYAMATOか×2、またYAMATOかっつってんのは誰だ。うっせーよ! そんなこと、俺自身が一番わかってんだよ! 首もイテーし、腰もイテーしよ。いつまで、いつまで俺が必要なんだよ。いつまで俺にこんな重い重い十字架背負わせるんだよ。だけどな、しょうがないよ。しょうがないよ。だって俺、YAMATOだもん。だって俺YAMATOだから、しょうがないんだ。これが宿命っていうヤツだ。俺にはな、このBen-Kの腰からドリームゲートを取り返さなきゃいけない理由があったんだよ。アレは5年前か、6年前、俺たちは古いDRAGONGATEを捨てて、新しいDRAGONGATEを作った。その判断自体はまったく間違えじゃなかった。あのままだったらDRAGONGATEはなくなってた。だけど、あのときの決断にBen-Kをはじめとした若い連中は一人もかかわってねーんだよ。決めたのは俺を含めた上の人間なんだよ。このままじゃ終われねーよ。もう一度言う。あのときの判断は間違えじゃなかったんだ。だけどコロナがはじまって、コロナが収まってもまだまだお客さん、戻ってこない。これは俺たちの責任だ。俺たちが元気なウチにまた超満員の、DRAGONGATEに戻せなかったら、俺は死んでも死にきれねーんだよ! 俺が全責任を持ってまた超満員のDRAGONGATEに戻すんだよ!! それでアイツらに引き継ぐんだよ!!! でもな、この混乱の間にいろんな人間がこのリングを去って行ったよ。まあ次のステージに進んだ者もいる。まぁ、それはぜんぜん俺はかまわないと思う。DRAGONGATEだけが人生じゃないから。だけどよ、既得権益を手放さなかった人間、クソぶっかけて辞めていったヤツら。裏切って敵に寝返ったヤツ。オマエらによ、人としての誇りやプライドはねーのか。カッコ付けるのはリングの上だけか、オイ! やめたってよ、ウチのリングやめたってよ、先輩・後輩変わんねーだろ。後輩たち見てんだよ。カッコ悪い背中見せるなよ! 俺はイヤだね。俺はそんなダッセー生き方イヤだ。俺はたとえ最後の一人になっても、このリングにしがみつくぞ。そして30周年、50周年、いや100年続くDRAGONGATEを作るんだよ! 俺にとってはな、後輩たちはみんな弟だし、先輩たちはみんなアニキだし、社長は親父だし。社長! いつもふがいない息子たちが申し訳ありません。僕以外の…(言葉を詰まらせる)。だから俺のプロレスの才能はこのDRAGONGATEですべて使い尽くすぞ。俺が30周年、50周年、いや100年続くDRAGONGATEを作るんだよ! 俺はDRAGONGATEがいいんだよ。DRAGONGATEじゃなきゃイヤなんだよ。DRAGONGATEで夢、見てーんだよ。みんなと一緒に夢、見てーんだよ。みんなに夢、見せたいんだよ! この甘さがさ、俺の限界だってのも、よくわかってるんだよ、俺は。よそにいったらもっと大金稼げたかもしらないけどよ、そんなもの必要ねーよ。俺にはもっと大事なものがあるんだよ。俺は十分満たされているよ。DRAGONGATEのために、俺のキャリアがあったと思えば、俺の人生にも意味があったって、俺は心の底から思える。俺は満たされてる。十分満たされてるよ。(以降、略)」

DRAGON GATE7月21日 神戸ワールド記念ホール大会のメインイベントはBen-Kの保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座にYAMATOが挑戦、YAMATOが奥の手であるラグナロクで3カウントを奪い、王座を奪取したが、試合後にマイクを持ったYAMATOは14分にかけてマイクアピールを行った。そのアピールの中でなぜDRAGON GATEが2018年に新体制(運営会社がDRAGON GATEエンターテインメント)になったか、そして名前は出さなかったがGLEATへ参戦していった選手に対して言及していた。GLEATへ行った選手に関しては、DRAGON GATEのほとんどの選手はコメントを出していなかったが、YAMATOはSNSで含みのある発言はしていたものの、こうやって公の場で発したのは初めてだったと思う。

2018年5月7日にDRAGON GATEは運営会社をDRAGON GATEエンターテインメントへ移行、これまで運営していたDRAGON GATEは岡村隆志が病気療養で退任しCIMAが代表と引き継いでいた。この時点でDRAGON GATEは二つあったわけだが、なぜDRAGON GATEを二つにわけなければならないのか、CIMA側は「海外事業を展開していく」としただけで、具体的な理由ははっきりしなかった。

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