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余韻のない学校 vol.477

学校という場所は目まぐるしく日々が過ぎ去っていきます。

行事をやったかと思えば、すぐに定期試験。

定期試験が終わったかと思えば、今度は行事。

そして、行事の合間の土日には大会などが入ってきます。

常に何かに追われ、落ち着かない日々を過ごしています。

どんなに頑張っても、大変でも通り過ぎてしまえば、喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつです。

いつの間にか、遠い過去の話に変わってしまいます。

しかし、これは非常にもったいないです。

現在文化祭中ですが、ふとそんなことを思いました。

ふり返りの大切さ

過去はふり返らないという人も中にはいます。

未来に目を向けて前進することだけを考えるのも時には大事です。

しかし、過去を見るのにも大きな意味があります。

過去を見ても現状は変えられません。

しかし、過去は自分の解説書になります。

過去、自分に降りかかった経験や体験を思い返し、そこに対してどのように感じていたのか、どのように対処したのか、それらを考えると、それは自分の頭の中の構造化につながるのです。

自分を構造化できれば、これから先に同じような場面に出くわしたときに、より俯瞰してそれを見つめられます。

過去の体験が未来の自分の指針になっていくのです。

お休みはあるけれど、、、

文化祭を終えて、少しのお休みがあるのはいいことではありますが、とにかく当日はあわただしいです。

15:00の終了と同時に片付けが始まり、17:30には完全帰宅。

代休日を置き、来週の火曜日からは通常の授業が始まっていきます。

まるで、あの文化祭のひと時は夢だったかのように。

文化祭を思い返して、何かをするといった時間は文化祭賞を決めるときくらい。

なんだかもったいない気がします。

これだけ大きな行事、行事に対して自分はどう感じていたのか、どうかかわれたのか、どうしたいと思ったのか、その部分を見つめていかなければ、せっかくの行事も、ただその時間があったという事実が残るだけになってしまいます。

余韻を残しつつ文化を残しつつ

こういった行事が続いていくのは、学校での文化が形成されそれを後世に残していこうと努力をし続けてきているからこそのものなのです。

そのためには、やって終わり、できて終わりではなくて、それを継続しながら、続けていかなければなりません。

余韻を楽しみながらも、その余韻から文化を形成して継承していく。

こういった流れをつくってこそ行事は輝いていくのでしょう。

そしてそれが学校の特色となり、生徒にとってもかけがえのない経験へと変容していく。

そんな行事をつくるためにはどうしたらいいのでしょうか。

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