明日に絶望している後輩へ

#8月31日の夜に 明日に絶望している後輩へ。

それは後ろめたいことではないです。ぜったいに。

あなたがこれから知ることになる「ゴマ粒の外」の世界はあまりにも広く、したがって、その多様さを知る人は誰もいない

世界は、世界というのはね、本当に広い。私たちが今いる場所は、ゴマ粒のような、ほんのほんの小さな「点」なんです。

「こんなの聞いたことのある台詞だ」「言われなくても分かってる」って思うでしょう。でも、あなたはきっと「分かって」いません。どれほど小さなゴマ粒の中で生きているのかを。中学生や高校生で、それは分からなくて当たり前のことなのです。

じつは、私も先生も大統領もパイロットも宇宙飛行士も、世界がどれほど広いのかを、まだ知りません。もとより、世界の広さを実感するのなんて、一生不可能なのですから。

しかし「自分がゴマ粒の中で生きていること」を知っている大人は、そこそこにいます。なぜか。それはただ、ゴマ粒の外に出かけたことが、あなたよりもあるからです。たくさんの土地を歩き、風を浴び、人と語らい、刻まれた歴史を学び、滅んでは生まれてゆく文化や磨かれていく技術を知る旅を、経験しているからです。

これらは全て、あなたが眼を開こうとすればする程、知ることになるものです。だからここに書くことはきっと、未来のあなたからの手紙です。

私は今、日本の最高学府と言われる場所にいます。でも、高校までは、山と畑と田んぼに囲まれた学校で、授業はほとんど寝て、たまに起きると机の下で漫画を読んだりノートの端に絵や手紙を書いて、チャイムが鳴るやいなや夜まで部活に明け暮れて、オフの日はテレビを見たりごろごろして眠る生活をしていました。当時大学に行こうとは思っていませんでした。家と学校のある生まれ育った町が、私の「リアル」の全てでした。

しかし、18才の時、世界中の「リアル」が知りたくなりました。「全て知るのは無理だろうけど、なるべく早く出来るだけ沢山のことを知りたい」と思い、ふるさとを出て大学に行きたいと両親に話しました。
今思うと、この時口にした「世界」という言葉は、今の私が想像する「世界」よりも、ずっとぼやけていて、やたら眩しかったり暗かったりする、真っ白でした。「分からない」から、輪郭があいまいで、光も影もおぼろげな、色を塗ることさえできないままの白い世界。今は、鮮やかで手触りのある世界が、少しは描けていると思います。

振り返ると、学校という「点」は、18才が想像していたよりもずっとずっと小さなゴマ粒だったことが分かります。あまりにも小さな空間でした。

この世界の誰が想像するよりもっとずっと広い世界に生まれてきた私たちは、好きな場所に自由に棲みついていい

個性のある私たちには、誰にだって「相性」があります。だから「学校」という与えられた小さなゴマ粒が自分に合わないことなんて、何も特別なことではありません。だって、最初にたまたま隣の席になった子と馬が合わないことなんて、珍しくないでしょう?ましてや親友になれないのなんて、よくあることでしょう?

それから、学校にいる人たちは、決して「多様」ではありません。学校以外でも。家族、友達、習い事、地元、SNS、ゲーム…あらゆる「集団」に所属する人々は、必ず似通っています。必ず、です。世界には本当に、本当に多様な人々がいます。世界から見たらあなたの学校の生徒はみんな、隣の席のたった一人です。だから、どれだけ全校生徒と馬が合わなくても、それは特別なことではありません。世界に出れば、必ず馬の合う人が見つかるものです。

あらゆる窓を使って、外へ繰り出してみよう

だから、あなたが今やるべきは、外界へ繰り出してみることです。繰り出す方法は、3つあります。
1. 誰かが記したものを読む
2. 誰かの口から話を聴く
3. 自分の目で直接見る
まずは、どんな世界があるのか、本やスマホを使ってたくさん覗いてみてください。広く、深く、高く。本やスマホは、地図であり窓です。そして、もしも周りに、めちゃめちゃ楽しそうに生きている大人がいたら、その人に話を聴いてみてください。もちろん、チャンスがあれば、実際に足を延ばしてみるといいですが、そういうチャンスはこれからたくさんあります。焦らなくても大丈夫。
小さな点や隣の席のたった一人を世界の全てだと思い込んで絶望するのは、あまりにももったいない。地図を広げ窓の外に目を凝らせば、それが分かるはずです。

ブチまけてしまえ

そうは言われても、無理な時って、誰にでもあります。気持ちが限界まできゅぅっとなって、もう絞り切っちゃって余白もなくて、そのまま動けなくなっちゃう時ってあると思います。どの窓を覗いても世界が色を失っていたり、つまらないアニメーションにしか見えなかったり。べつに望んで生まれてきたわけじゃないよ、とかね。

そういうときは、自分よりは楽しそうに生きて見える誰かに、気持ちを話してみてください。そのままを、ブチまけてしまえ。まるごと。
それができないから困るんだよ、と言われるのだろうけど。でも、寄りかかる相手は「隣の席の人」でなくてもいいんだよ。たとえばこのタグをつけているたくさんの人とかね。 #8月31日の夜に

あなたより少しだけ先輩で、きっとほんの少しだけ世界の広さを知っている私が絶対に間違いがないと言えることは、世界の中には美しいと思える場所が必ずあって、そこには馬の合うヤツが必ずいるということです。鮮やかで暖かく、晴れやかで心地よい世界がね、必ずある。必ず。だから、それを見つけられるように目を凝らすの。智恵をつけるの。隣の席の人なんてどうでもいいんだ。自分の幸せのために、自分の景色へ注ぐの。

幸せになるために生まれてきた。絶対だいじょうぶ。絶対にだいじょうぶだよ。
私はね、今、生きていてしんどいと思う時間もたくさんあって、自分に絶望しかけることもしょっちゅうだけど、ほんとにね、本来はいやんなっちゃうくらいしょっちゅうなんだけど、世界はどうしようもなく美しいと、自信を持って言える。だから生きてきて、生きていて、幸せです。もし、どうしても消えてしまいたくて、誰にも話せなかったら、その場合、 広い世界の中の一人として、私も候補に使ってください。

大好きだよ。大切だよ。味方でいるよ。必ず。
一緒に世界を生きよう。

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フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する学徒たちが、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作。今日の日を吹き通る風が、美しい明日を彩りますように。
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