【暗渠】水戸市・大杉山揚水機場の「謎の道」を解き明かす

子供の頃住んでいた茨城県水戸市三の丸にある公務員住宅。そのすぐ裏に、地図にはない500メートルくらい続く謎の道がありました。


先日、同窓会で帰省したついでに付近を歩いてみたところ、公務員住宅は老朽化により取り壊されていましたが、謎の道はそのまま残っていました。
舗装はされているものの、車は通れず、ところどころに謎の換気口が開いています。確か、大雨が降ると中から水が流れる音がした記憶が……。


はい、ビンゴ。暗渠です。ここまでは、大人になった今となっては簡単に分かる問題でした。ではこの暗渠、どこから来てどこに行くのでしょうか。
謎の道の北側は、水郡線の線路に突き当たったところで右に曲がりながら新しいアスファルトの下に隠れて見えなくなってしまいます。その先にあるのは、那珂川です。
地図を拡大してみると、那珂川沿いには「千波湖土地改良区 大杉山揚水機場」の文字。「土地改良区」とは、地元では「農業用水を一緒に開発しよう組合」みたいな意味で使っている言葉です。ここから水を汲み上げて例の暗渠に流していると考えて間違いないでしょう。

では、とりあえずスタートは分かったとして、ゴールはどこにあるのでしょうか。謎の道は赤十字病院の駐車場で途切れてしまっています。
そこからなんとなく道なりに南下していくと、那珂川の支流である桜川にぶつかります。これは臭いますね。合流地点に何があるのでしょうか。

実は、なんとなくそんな気はしていたんです。この合流地点には、「柳堤水門」という取水堰があり、桜川の水を「備前堀」と呼ばれる用水路に流しているのです。

備前堀は地元では知らない人はいない、水戸の街の基となった用水路で、水戸初代藩主・徳川頼房公の命で作られたものです。備前堀から引かれた水は市内の公称35万石の田を潤したあと、最終的には南東の涸沼川に合流します。
その備前堀の取水堰、柳堤水門近くの記念碑には、次のような記述がありました。
「柳堤水門は昭和三年七月に(中略)改修され、灌漑時期には水門を堰止め、桜川と大杉山揚水機による水量とを合せて水田地域の灌漑水とし、洪水時には水門を開放して那珂川に放流することとした。(昭和36年記)」
大杉山揚水機、出てきました!
桜川の水が少なくて備前堀に流す水量が足りない時に、この大杉山揚水機で那珂川から汲み上げた水を、あの「謎の道」の暗渠を通して、柳堤水門の辺りまで持ってきて追加していたわけです。


そして、この大杉山揚水機場と謎の道、最近では別の目的でも活躍しているそうです。
桜川の水を柳堤水門で堰き止めてしまうと、繁殖期の鮭が帰ってきても通過することができません。
そこで、鮭が遡上する時期はなるべく柳堤水門を使わずに、桜川の水はそのまま下流に流し、その代わりに大杉山揚水機場から謎の道を通って流れてきた水を、桜川サイフォンと呼ばれる地下水路を通して備前堀に流すようにしているとのことです。


自分が住んでいてよく遊んでいた場所が、水戸の農業用水の要である備前堀に繋がる暗渠で、しかも現在では鮭が遡上できる環境を整えるために役に立っていたなんて。
全ての道は歴史に通ず。自分の生活は街の歴史の一部なんだなーと思うと、感慨深いですね。
あー、その、幼児の頃、暗渠のグレーチング蓋に向かって何度かおしっこしてどうもすみませんでした。飲用の水路じゃなくて良かったぜ……。


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