本当にやりたいこと__2_

「本当にやりたいこと」の名前がわかるまで#1

子どもの頃、なりたくない職業の一つは〈学校の先生〉でした。だって、常に人目に晒されるし、生徒に裏でモノマネされちゃうし、あの先生は好きとか嫌いとか評価されてばかりじゃないですか。だから、到底なりたいとは思えませんでした。

でも、今の仕事は〈学校の先生〉です。ちょっと変わった学校ですが、一応、先生と呼ばれて働いています。一体、これはどういうことでしょう?

この記事では、わたしが〈学校の先生〉=自分のやりたいことだと気がつくまでのプロセスを書いていきます。もしかしたら、「わたしの本当にやりたいことって何?」と模索している方にも、参考にしていただけるかもしれません。

まずは、学生時代のことから。

高校2年の頃、勉強漬けの毎日にくたびれて、無気力になってしまったことがありました。

親は「勉強はしすぎるな!」というタイプでしたが、特待で進学クラスに入ってしまったために、学校からのプレッシャーを強く感じていたのです。真面目な性格でうまく手を抜くことも知らなかったので、あるとき、とうとう限界がきてしまいました。「なんだか、嬉しいとか悲しいとかいう感情が一切感じられなくなった」と、親に話したことを覚えています。学校も休みがちになりました。

ところが、そんな無気力状態からふわっと抜け出せる機会がふいに訪れました。突破口は、学校を休んだ日、母が連れて行ってくれた《美の国 日本》という特別展(@九州国立博物館)です。

そこでは、教科書に載っているようなthe日本美術の作品ばかり、ずらりと並んでいました。中でもいちばん強烈だったのは、安土桃山時代の狩野派の金屏風。実物ってこんなに大きいのか!思ったよりすごい迫力!!と大興奮で、久しぶりに心ゆさぶられる体験をしました。

これをきっかけに、「日本美術の宝庫である京都で美学・芸術を学びたい!」という目標ができました。これまで押し付けられているとしか思えなかった受験勉強に、火がついた瞬間です。

無事に大学受験が成功すると、晴れて京都の大学生になりました。大学では、作品研究を手がかりに、美や芸術について考えていきました。

といっても、恥ずかしながら、これといって熱心に勉強したとは言えませんが、今から振り返ってみれば、

わたしは芸術が好きだ。でも、言うほど好きな作品があるわけではない。自分が作品を生み出したいわけでもない。漠然と、芸術的なもの、その方向性が好きだと感じる。これは一体どういうこと?

こんな、うすぼんやりとした問いが生まれました。

また、卒業論文を書きながら、「芸術が人に及ぼす力とは」「芸術を必要とする〈人間〉ってなに」--という具合に、どちらかというと〈人間〉を問う方へと、軸足がうつっていきました。

社会人になってからも、このテーマへの探求はつづきます。つづきは、また別の記事で!


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