仕事を辞めて社会福祉士を目指すため学校に通っています。

こんにちは。初めてnoteを書いてみました。

昔から文章を書くのは好きだったので、思うままに書いていこうと思います。


私は金融機関で7年勤め、現在は退職して学生をやっています。(学生といっても、今はオンライン授業ばかりなので何だか無職のような気分です)

30近くになったら、一度自分の人生を見つめ直して、その時に一番興味ある分野について勉強をしよう!と元々思っており、

ちょうど勉強したい分野が見つかったから仕事辞めて学校入った、という割とフワフワしたものです。

良いサバティカル期間だと思って、一年間満喫したいと思っています。


私は今社会福祉士の勉強をしています。

元々社会福祉に興味があったというよりは金融機関勤めで「経済学で飯を食う」なら、元から興味あった「社会学で飯を食」えるようになりたいという漠然とした目標があったこと。

今までの金融で色々な方と出会い、パートナーとなって仕事してきた経験が活かせるのではないかと思ったこと。

環境の大切さについて気付いていたので、その人本人だけでなく環境にもはたらきかけて改善していくことがとても大事だと思っていたからです。

どんな分野に具体的に興味があるかというと、元々児童館の先生もやっていたくらい子どもに興味があったので児童福祉の分野が中心でした。

しかしながら、勉強していくと変わるものでして

結構興味があった分野というのは、今まで仕事の傍ら趣味でやる分にはとても楽しかったのですが

いざ好きなようにどうぞ!朝から晩まで勉強したっていいのですよ!となると

勉強し始めた時点で割とお腹いっぱいになってしまっているんです。(贅沢な悩み)


そうなった一方で興味がわいてきたのは障害者福祉分野。

お友達に障害を抱えている子がいて、ボランティアで作業所に行ったことも何度かありますが、なんとなく自分がそこで働いているイメージもなく、当初は考えていなかったのですが

障害者福祉の歴史を学んでいくうちに、福祉のあり方というか、人権の在り方というか、

私がイメージしていた福祉の世界では収まりきらない、勉強しなきゃいけないことがそこにはあるという風に感じました。

特に勉強している中で、強く疑問を感じたのが、福祉という概念自体が人をカテゴライズしてしまうことでした。

勿論ソーシャルインクルージョンという言葉もありますが、そもそも福祉がすべての人に対してあるものなのに、福祉自体が障害者の当たり前を定義づけすぎているというか。社会と切り離されている原因に福祉そのものがある気がしてならないんです。

勿論程度の軽重はありますけど、なんなら私眼鏡なければ0.1もない近視という視覚障害がありますけど、眼鏡があればいいわけです。他の障害も、なんかしらの補助や合理的配慮があったりすればそれは障害じゃなくなります。だから、他の障害についても眼鏡と同じくらいの"普通さ"をもって社会が受け入れられるようになればいいなって思うんです。

その時には福祉という概念も次元が変わっているのかな。

別に障害者福祉に思い入れが特に強いかどうかといえばそんなことないかもしれないけど、自分が思い描く健全な社会像って障害があってもなくても普通に暮らしていける社会なのです。みんな健やかに生きた方がいいじゃん。軽いのかな。でもその方がいいと思うんです。

と思いながら色んな勉強をしているところです。


勉強も始めてまだ2か月ですし、まだまだ勉強していない分野もありますから

自分の変化も楽しみながら学生生活を満喫してみようと思っています。

お読みいただきありがとうございました。

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