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アイドルと日々(バカになれたらラクだったのに)


育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないとむかし、山崎まさよしが歌っていた。似たような環境で育ったとしてもまったく同じ人なんてどこにもいなくて、人それぞれ価値観は違う。

願いはひとつのはずなのに、どうしてかいつも、すれ違って、違うことに戸惑い、妬んだり悪口を言い合ったりしてしまう。
学校や会社の中には色々なタイプの人が詰め込まれている。
それぞれの正義が違って当たり前だ。
ミーティング中、疑問に思ったことを尋ねたとして、たとえ返ってきた意見が自分の価値観と異なっていたとしても、相手の立場を考え、理解を示せる人は大人だ。
それが出来ないなら、その場で黙ってやり過ごせばいいのに、どうしても黙っていられない人がいる。そしてその発言が認められないと、あの手この手で面倒な話をひっぱり出してきて、自分の正しさを武装する。
この言葉は誤解されるんじゃないのか、こういうことが起きたらどうするの?このようなケースにはどう対応するのか?…ベラベラと、誰かがじっくりと考えた仕組みにケチをつけては、まだ起きていないことを心配して、あれもダメこれもダメだと縛り付ける。

規則やルールは必要だ。
顧客を満足させたい。良い思い出を作って欲しい…。私たちの願いはひとつだ。
だけど私は、規則でがんじがらめになって息苦しさしかない世界って、なんてつまらないんだろうと思う。心は時々、規則やルールだけでは守れない。がんじがらめに縛ることで、時に相手のニーズに応えられなくなるのではないだろうか。守っているのはお客様を満足させる為ではなく、自分が傷つかないためではないのか…。常識の範囲というのは大切だけど、ほんの少しはみ出せる遊びも必要だと思う。
私はその空間で、あれもダメこれもダメだと主張する彼女の顔を、おそらく、大人気なく渋い顔で見ていただろう。ついつい顔に出てしまうのは、私のいけないところだ。

そして自分の正しさを必死に主張する彼女の話を却下した上司の意見に、今度は微笑みながらうなづく私を見て、彼女もまた、このやろうと思っただろう。
昔はプライベートで遊ぶほど仲が良かったのに。
変わってしまったのは私の方だ。

私はこんなに正しい。私はこんなにがんばってる。なんでみんなもっと一生懸命がんばらないの!?………そんな風に訴えているような彼女の主張に、こんなにもうんざりするのは、まるで昔の自分を見ているみたいだからだろうか。
変わってしまった私を、あんな人じゃなかったのに。と数少ない仲間に陰口を叩くだろうか。
……どうでもいい。正直そんなことに取り合っているような暇はない。
私のプライベートは、自分の予定と大好きなアイドルの日々の確認で、とってもとっても忙しいのだから。


人に褒められることはとってもうれしいことだ。
お金の他にありがとうがもらえるのはとってもすばらしい。
だけど、それがすべてじゃない。
私の価値は、他人が決めるものじゃない。
人に認められることは、ちょっぴりうれしいことかもしれないけど、そればかりを求めているのってとっても悲しいような気がする。


ふと思う。たくさん働いて、疲れて帰ったその後に、あの人は何をするんだろう?
その日のできごとを聞いてくれる家族や恋人や友人はいるのだろうか。
ぴっと伸ばした背筋とともに張り詰めた気持ちをほどいてくれる“お気に入り”があるのだろうか。

私はこじれた話し合いに完全に飽きて、途中から少し上の空で大好きな人のことを考えていた。
世界のどこかの行ったこともない国で、身体中にあざをつくっても辛い顔ひとつ見せず最高の瞬間をくれる彼の、まっしろな腕に這うきれいな筋や、笑うと目尻によるシワや、丸くなった輪郭のかわいさのことを。そうすると、目の前の人の必死な訴えを見下して眉間に寄ったシワは、いつの間にかなくなって、どろどろの気持ちは自然とどこかに消えていた。
おたくって最強だ。それがおかしいと言われても、かわいそうだと思われても、他人の評価だけが頼りの、自分を癒してあげられない毎日の方がよっぽど問題だ。



『バカになれたら楽だったのにな』

松田龍平がドラマで言っていたセリフだ。
バカになれたら、私たちはもっと簡単にお互いを認め合うことができただろうか。
バカになれたら、互いの違いをもっとおもしろがることができただろうか。

バイバイ、いつかのかわいそうな私。
こんにちは、あたらしい私。
まだすぐに怒ってしまうけど、その時は大好きな人のことを考えればいい。
スマホの中にたくさん詰まった愛しい瞬間は、ホッカイロみたいに私をいつでもあたたかくしてくれるから。

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