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斜めから恋をしている人たちへ 2


超有名な韓流アイドルが結婚した。

それはファンたちにとても歓迎されていたようだ。
(少なくとも私が目にした限りは)
少し前、同じ事務所の別のアイドルが結婚した時、Twitterの中にはいろいろな感情があふれていたのに、その違いはなんだろう。静かに現実を受け入れる人、受け入れられないで悲しんでいる人、突然推しを失って絶望している人…人の感情は様々だけど、私には少しずつその悲しみや複雑な心が分かる気がする。
むしろなぜ嬉しいと思えるのかが全然分からない。いや、全然分からなくもない、分かる…。でも私の中の素直さが分かってしまうことを拒否している。
大好きな人が選んだ相手だから、きっとすばらしい人に違いないし、大好きな人が幸せになるのなら、それはとても喜ばしいことだ。分かる。でもそんなの分かりたくない。
推しが知らないどこかの誰かをこれから愛していく世界線なんていらないのだ。


じんくんが幼馴染の結婚式の司会をしたらしい。
私はそんなこと知りたくもなかったのに、“幼馴染の結婚式”という言葉がTwitterのトレンドに上がっていて、うっかり見てしまった。びっくりした。まさか自分の推しグループのメンバーが出てくるなんて思わないじゃないか。
その写真の中のよく知っているその人は、あまりにも現実世界に馴染んでなくて、とても特別にかっこよくて、顔の小ささが際立っていた。
私の知らないところで、大好きなじんくんが普通の人たちと同じようにちょっぴり特別な休日を過ごし、大切な友人の門出をお祝いできたことがとても嬉しいと思う。そしてそのささやかな一日が秒速で世界中にばら撒かれた世界に彼はどんな気持ちになるのだろうかと心配してみたりもする。嫌なことは30分で忘れるじんくんだからきっと自分の未来を悲観したりはしないだろうけど、彼の気持ちを案ずる一方で私はどうか、自由に恋をすることができる未来を悲観してくれとも思った。そう、私は狂っている。

日本の年齢で28歳の頃といえば一般的にはたくさんの人が結婚していく年頃なのかも知れない。私の友人はその頃、毎月のように誰かの結婚式に出席して、いったい自分は人を祝ってばかりで何をしてるのだろうと言っていた。人生ゲームのそのマス目をスキップしてしまった人たちは、まるで自分が映画やドラマの脇役にでもなったような、取り残されていくような感情をきっと誰もが経験するだろう。
だから分かっている。結婚式に行ったからといって何かドラマティックな出会いがあるとは限らない。そこに行ったからといって近い将来自分にもその幸せな日が訪れるとは限らない。何も変わらない。だけどなぜこんなにもうろたえるのだろう。
友達がいないって言ったのにサンドゥルくん以外にも友達がいるなんてうそつき。いやバカじゃないの?本当に一人も友達がいないわけがないじゃない。…ともう一人の私が言う。私の心は支離滅裂で狂っている。


先日推しのミックステープのMVをファンでもなんでもない友人各位に送りつけるという迷惑行為をくり広げたところ、その時は適当にあしらわれたのに彼のことを少し調べてくれた子がこんなことを言った。彼やばいね!これはバカモテる。山手線各駅にてんてんてん…と言った。狂った私は戸惑うことなく彼女のその考えを否定できた。まず、私の推しはそんな人ではない。とても誠実な人だ。そしてとてもとても忙しいから、知らない誰かと遊んでいる暇なんてない。雑誌のインタビューか何かで本人もそう言っていた。それは私の本心だけど、言いかけて口を閉じ濁した。それを真面目な顔で言ってしまった瞬間、私はとてもかわいそうだろうから。
だって今この瞬間だって何をしているのか分からないじゃないか。とてもよく知っているけれど、私は彼らのことを何一つ知らないじゃない。だから漫画の世界にでもいるみたいによく知らない人のことを、家族や友人のように語るなんてそんなの狂ってる。

韓流アイドルが結婚するたびに、自分に“その日”が訪れる前に私も私だけの特別な誰かを見つけなきゃと思う。
私は夢見がちだろうか?
大好きな彼らのような人と日々の暮らしの中で出会えるなんて思っていない。
こんな人はいないよと人生ゲームのコマを器用に進めていく友人は言うけれど、アイドルみたいな人を現実で探しているわけなどなく、ちょっと何を言われているのか分からなくなる。
私は何も白馬の王子様を待っているわけではない。かっこよくなくていい。食の趣味が同じで嫌いなものが同じで気軽に悪口を言い合えて、お互いに干渉しすぎないでいられる人がいい。それだけで良いけど、それだけのことがとんでもなく難しい。
そして欲を言えば、魂まで愛せる人ならもっといい。
心のずっとずっと奥にある大切なものを愛おしいと思える人がいい。
私は夢見がちで欲張りだろうか。私は狂っているけれど、とてもとても現実的でとてもとても冷静だ。


昨年の6月、私たちのかわいいマンネが故郷からセルカをUPした。
私はその写真を見た時、何か胸騒ぎがしていた。
あかちゃんみたいな子だったのに、いきなり男の匂いを感じたからだ。
私は、私たちは、大好きな彼らのことをよく知らないけれど、それと同時に気持ち悪いくらいによく知っている。
夏の終わりに恋の歌ばかり口ずさんでいたあの子が、まるで私たちの知らない人みたいで、たくさんのファンたちの心をざわつかせていたあの時、咲き乱れる花の、むせ返る香りのように撒き散らしていたその独特のオーラは2020年の6月には消えてしまったように思う。彼は少し大人になったけど、また元どおり、みんなのかわいいビッグベイビーだ。

あの頃彼は恋をしていたのかもしれない、それともただ少年から大人になるときの独特のきらめきを纏っていたのかもしれない。
真実は分からないけれど、もしも恋をしていたとして、それは暑い夏がすぎて行くようにとても短く、あっという間に終わったのかもしれない。
恋は終わる。
私たちの狂った関係にもいずれ終わりがあるだろう。
だけどおしまいにしようと思わない限り、私たちはずっと変わっていく大好きな人と、共に変化しながら同じ季節を共有することができる。
誰かに恋して、それを失って、自分の未熟さに打ちのめされて転んではまた立ち上がって、そういうひとつひとつを重ねあわせることができる。

“お互い歩調が合わないかもしれないけど、ある時は速く、ある時には待ちながら、これからも一緒にこの道を歩いていきたい”

共に笑って共に泣いて、この狂った幸福の中でずっとずっと遊んでいたい。



テヒョンがいつかみんなの子どもに会いたいと言った。
その言葉は20年も30年も一緒にいたいという意味だとじんくんは慌ててフォローしたけど、じんくんはなぜわざわざそうしたのだろう?
私たちの気持ちなんて分かるはずないのに、今じゃなくてずっと先の話だと夢を見させてくれるのは、彼が隠したがる細やかな思いやりの為せる術だったのだろうか?
君たちはきっととてもいいパパになるだろう。
とてもすてきな夫になるだろう。
でもいやだよ。
ずっとずっとひとりぼっちでいて。
私たちに会えないことをさみしがって「会いたい」という歌に泣いていて。
おじさんになっても7人で一緒に住んでいて。
いつかもし誰かに恋をしても、きっと私は許してしまうけど、
心のずっとずっと奥にある大切なものだけは、誰にも見せないで。
私たちだけに見せていて



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