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【小説】『売却少女』第2話

 一限目の号令にすべり込みで間に合った蓬生は、結果として「あさはぎりぎりにきて」という四ツ葉との約束を守ることになった。ただ昨晩眠れなくて朝寝坊しただけだったが。
「ちゃくせーっき!」
 級長の桶良(おけら)が舌っ足らずな声を張り上げ、火曜日が始まった。
 しかし先週、先々週までの火曜日とはわけが違う。その理由は今、ズボンの左の尻ポケットに入っている。四つ折りにされたルーズリーフが。

「じゃあ、今日はここまで。チャイムが鳴るまで静かに自習しているように」
 世界史の水瀬は教科書をまとめると、給料分は働いたと言わんばかりにさっさと教室から出ていった。授業も性格と同様に淡白だが、良く言えば本質的なポイントだけを押さえた明瞭な解説のため、意外に生徒内での評価は高い。加えて授業がスムーズに進んだ際には、無駄に時間を潰したり予定より先に進んだりすることもなく、チャイムが鳴る前でも関係なく切り上げる合理性も加点対象だった。
 とはいえ、元気(ばか)が有り余る高校生が「静かに」「自習」するわけもなく、毎度のことながら水瀬なき教室は一瞬で談話室と化す。
「なにぼーっとしてんだよ、ヨモ」
 背後の菊池からの呼び掛けを受けて、蓬生はのそのそと椅子に直角に座りなおし、背中を壁にもたせかける。けれどまだ上の空で、
「宇宙人は心臓ってないのかな?」
「はあ?」
「あ、いや、ごめん。なんでもない」
 我ながら変なことを口走ってしまったと慌てて首を振る蓬生をよそに、菊池は腕を組んで思いのほか真剣に考えはじめた。
「なんの話かわかんねえけど、うーん、あるんじゃねえの? いやそうとは限んねえか。どうなんだろな」
「ごめんごめん、ほんとなんでもないから。ちょっとした思いつきというか」
「そういうことは成績優秀な学級長様に訊いてみるか」
 妙なスイッチが入った菊池は、恐らくこの教室内で唯一、水瀬の言いつけを守っていた隣の桶良に声をかける。
「なあ学級長、宇宙人にも心臓ってあんのかな?」
 桶良はノートから顔を上げ、
「わたしが知ってるわけないれしょ」
 そりゃそうだ、と蓬生は思う。桶良ちふゆはクラスで一番背が低く幼い見た目をしている。黄色い帽子を被せて赤いリュックサックを背負わせたら難なく子ども料金で通用しそうである。舌っ足らずで滑舌も甘いため、よく「で」が「れ」に、「だ」が「ら」になってしまう。
「そもそも宇宙人なんてほんとにいんのかね?」
 と菊池。二大ヒロイン宇宙人説を唱えていたお前がそれを言うか、と蓬生は思ったが口にはしない。
「らから、わたしに訊かないでよそんなこと。天の川銀河に住んでるって意味じゃ、わたしたちらって宇宙人じゃない。地球以外の惑星のって話になるとわかんないけど」
「でも宇宙人って、なんであんなキモいイメージなんだろな。灰色の皮膚してて裸で、頭と目が馬鹿みてえにでっかいの。なんて言うんだっけ?」
 それはたしか、
「グレイ?」
「そうそう、グレイ。ヨモも意外と詳しいよなそういうの」
「た、たまたまだよ」
 昨日の夜中、さんざん宇宙人について調べまくったなんて言えない。蓬生のスマホの直近の検索履歴は「宇宙人 女の子」「宇宙人 美少女」「宇宙人 高校生」であふれていた。もちろんめぼしい成果などなく、アニメや漫画、二次創作のキャラクターを掘り返しただけだったが。
「らけどグレイって妙っちゃ妙なのよね。特にあの目とか」
 菊池と蓬生は同時に首を傾げる。
「基本的に、目が黒いのは被食者側れしょ?」
「ひしょくしゃ?」
 菊池がさらに首を曲げて訊く。
「狩る側じゃなくて、狩られる側ってこと。ライオンとかチーターなんかの狩りをする猫科の動物って、人間みたいに黒目と白目が分かれてるれしょ? だけど、鹿みたいな草食動物は目が真っ黒じゃない」
「言われてみりゃそうだな。なんでなんだ?」
「諸説あるけど、逃げるのに有利か、狩るのに有利かれしょうね。草食動物が逃げるとき、目線で次の動きがバレたらまずいじゃない。だから目の動きがわからないように全体が黒く進化したみたい。言ってみれば完璧なポーカーフェイスね。逆に集団で狩りをするときは、声や音を出すと獲物に気づかれちゃうからアイコンタクトれコミュニケーションをとるの。黒目と白目の違いがはっきりしてたら遠目からでもわかるから。それが理由のぜんぶってわけじゃないれしょうけど」
 菊池は桶良の説明を聞いて、両手で机をぱたぱたと叩く。どうやら拍手のつもりらしい。蓬生も控えめな動作でマネをする。
「さすが、ちふゆはよく知ってるね」
「ら、らから──」
 蓬生に褒められた桶良は少しうつむき、早口でまくし立てるように残りの言葉を吐き出した。
「宇宙船に乗って地球に来るくらい知能と文明が発達した生物の目が、どうして周囲を警戒する必要があるみたいにバカ大きくて、草食動物みたいにまっくろ黒なのよって話! っていうかこれなんの話よ!」
 菊池が再度腕を組み、
「なんだっけ? 最初はたしかヨモが……」
 ぶつっ、とスピーカーがオンになるノイズがして、一限目終了のチャイムが鳴った。
「あ、そうだ。宇宙人にも心臓があるのかって──なあヨモ?」
「うん? え、あ、ごめんまた後で!」
 蓬生は急いで席を立ち、机の間を縫ってそそくさと後ろ扉目指して逃げていった。
「なによあれ?」
「さあ? 腹痛いのかな」
 菊池と桶良は誰より先に教室から出ていく蓬生の後ろ姿を見送っていたが、折りたたまれた白い紙の先が尻ポケットからのぞいていることには気づかなかった。

 ──はしらなくていい。はやあるきくらい。
 ルートの書かれた地図を片手に、足を動かしながら昨日の四ツ葉の言葉を思い出す。事前に何度も脳内でシミュレーションしてきたが、不安になって繰り返し手元の紙の“赤の線”を目でなぞった。
 進んで、上がって、曲がって、下がって。
 廊下でたむろする生徒とぶつからないように気をつけたのは教室を出てからの直線と、階段を上がって曲がるまでのほんの短い区間だけで、進んでいくうちに人影はほとんどなくなった。
 そして、ついに蓬生の視界から生徒も先生もいなくなった。
 誰もいない廊下を蓬生はせっせと歩く。
 手元の紙を確認する。そろそろ星印のポイントだった。
 あと十五メートル、十メートル、五メートル、到着して──通り過ぎた。
 ……あれ?
 立ち止まるのもおかしい気がして、蓬生は歩く速度を落としながらもそのままルートに従って進んでいく。
 突き当りの角を曲がったところで不意に四ツ葉が出現し、危うくぶつかるところだった。
「わっ!」
 慌てて身体を開いて避けたのは蓬生だけ、四ツ葉は素知らぬ顔ですたすたと去っていく。その背中を見つめていると四ツ葉が首から上だけで振り返り、
「はやすぎ」
 ぽつりと言った。
 四ツ葉の姿がどんどん小さくなっていく。
 相変わらず四ツ葉が発する言葉は異国語のように響き、脳内で変換されるまでにまだラグが生じる。
 早すぎ。と四ツ葉は言った。
 相変わらず誰もいない廊下を歩きながら蓬生は思考する。おそらく自分は、四ツ葉の想定よりも移動速度が「はやすぎ」たのだ。だから本来なら星印付近ですれ違うはずが、通り越してもっと先のポイントで会うことになってしまった。あるいは四ツ葉にとっては、蓬生の姿が現れるのが「はやすぎ」たのかもしれない。どちらも同じことだが、要するにもう少し歩くペースは落としたほうがいいらしい。四ツ葉の「はやあるきくらい」を鵜呑みにしていたが、蓬生であれば早歩きのさらに一歩手前、ふつうに歩くよりはちょっと早いくらいのスピードで十分のようだった。
 明らかになったのは適当な歩く速度だけではない。
 蓬生は──恐らくこの学校で唯一人──なぜ誰も四ツ葉ゆめをあまり見かけないかの理由を知った。四ツ葉は授業中以外ずっと移動しているのだ。それも人目につかないように。──でも、どうして?
 次にわかったことは、蓬生に渡された休み時間ごとのルートは、九分九厘、ほとんど人に合わないように設計されているということ。どうして四ツ葉がそれを、しかもあんなにすらすらと描き出せたのかは不明だけれど。
 そして、四ツ葉が別ルートで巡回している以上、蓬生が約束を守らなかった場合、すなわち星印付近で遭遇しなかった場合、不正はただちにバレて蓬生は嘘の──正真正銘の嘘ではなくなってしまったが──噂を四ツ葉に拡められる可能性が本当にあるということ。それは即ち一年目にして高校生活終了のお知らせである。なにせ、ただの同級生女子のおっぱいをさわったのではないのだ。あの、四ツ葉ゆめのおっぱいをさわったのだ。不可抗力とはいえ。ゆえに誰かはわからないが、間違いなく誰かには撲殺される、と思う。
 ぶつぶつ考えているうちに、一年六組の教室へと戻ってきた。

 教室の入り口まできて、慌てて手にしていた紙をまた四つ折りにして尻のポケットに突っ込む。後ろの扉からそっと菊池と桶良の姿を探す。幸い二人とも別の生徒と談笑していて蓬生には気づいていない。特にあの二人に知られると、なんだか非常に面倒なことになりそうな予感が今さらながらにした。
 席につくとほぼ同時に二限目開始のチャイムが鳴る。
 机から教科書を出しながら、蓬生は重大な問題にようやく気づいた。
 ……あれ? これっていつトイレに行くんだ?
 ついでに時間割を確認する。午後の授業は移動教室だった。最悪なことに灰谷の。
「ねえちょっと、大丈夫? 顔青くない? ほんとに具合悪いの?」
 桶良が斜め後ろの席から小声で話しかけてきた。
「う、うん。平気」
 引き攣った顔で返事をする。全然平気ではない。なんとか四ツ葉にルールを変更してもらわなければ。膀胱が破裂するか、灰谷に殴られるか、学校のアイドルの胸を無理やりさわったA級犯罪者になるか……。

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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