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ideas_together_hotchkiss 033 水野仁輔さんインタビュー〈その1〉

カレーパンにカレーうどん、カレーあられなど、「カレー」というものはどんな食材と組み合わせてもカタチになる。そんなカレーの可能性をさらに広げようとしているのは、水野仁輔さん。カレー×音楽で20年以上前に始めた東京カリ〜番長や、カレー×学校で始めたカレーの学校はすでに23期生を受け入れている。カレーに対する愛は保ちながら、今後は写真家としてやっていくことを先日表明した。そんな水野さんの活動の根元にあるものを探りたくて、代々木公園駅近くの水野さんの拠点「ルーム」を訪問しました。

----先日はトークイベントに呼んでいただき、ありがとうございました。あの場で印象的だったのが、有賀さんはマーケットインで水野さんがプロダクトアウトなレシピ本づくりをしてるんだということだったんです。まずはそのお話から聞きたいです。

水野仁輔さん(以下、水野) 20年以上カレーの活動をしてきて、改めて自覚していることがあるんです。僕がおもしろいと思うものは、みんながおもしろいと思うものとずれている、ということ。だから、ナチュラルに自分が好きなものをやったところで、みんながおもしろいと思ってもらえないのがわかってきた。考えてみればスタートが“東京カリ~番長”ですから。クラブDJしている横でカレーのライブクッキングをするんですよ。「え? なんでカレー!?」とよく言われました。サブカルというのかアングラというのか。でもそれが僕には楽しくてたまらない活動だったんです。スタートからずれている。そして、さらにプロダクトアウトの視点が強すぎるから、気を抜いていると結果的に誰も見向きもしないところに行ってしまう。長年続けてきたからカレーの世界ではそこそこまわりの人から注目される存在になりましたが、メジャーな舞台で活躍できるセンスとか才能はないわけです。

----『俺カレー』からスタートした本づくりですが、そもそも水野さんが本をつくりたいと思ったきっかけはなんだったんですか?

水野 自分で何かものをつくって発信したいっていう欲が、昔からあったんです。それで、東京カリ〜番長(以下、カリ〜番長)をやり始めたけど、カレーというモチーフがそういう欲を満たしてくれるツールだとはその当時は思っていなかった。いまだによく覚えている小学生の時の記憶があって、5年生くらいだったと思うんですが、学校に友だち3人で集合して、〇〇くんの家に遊びにいこうってなって、校庭にある砂場に集まった。当時、僕は普段からおもしろいギャグネタが付いてくる駄菓子の付録を集めていたんですが、その中のベスト盤をセレクトしてまとめて明日みんなに見せようと思いついた。前日夜にああでもない、こうでもないとページネーションも考えて、セロハンテープで貼り付けて、手づくりの小さな本に仕上げたんです。自分なりに編集したわけです。翌日それをポケットに入れて、ワクワクして砂場に向かった。みんなに見せようとしてポケットから出した瞬間に、友だちのうちの一人が「おー、ゲームウォッチじゃん!」って言って、僕の手からその本を取り上げたんです。ところが、「なんだ、ゲームじゃないんだ。いらない!」って返された。前日にあんなにワクワクしながらつくったのに、ページもめくってくれなくて、大スベりした。その後成長してからも、そのことはずっと覚えていて。はっきりしているのは、人が集まるんだったら、僕がつくったものを披露したいというものづくりの欲求はあった。でも、みんなが喜ぶだろうゲームウォッチを持っていくという、いわゆるマーケットインの発想はなくて、こんなおもしろい本ができたんだから、みんなにも刺さるはずだっていうプロダクトアウトの発想だったんでしょうね。48歳になった今でも、まだそれをやっています。笑

----相変わらず、砂場で。笑 そんなにものをつくるのが好きだったら、そういう仕事に就くものだと思うのですが。

水野 大学時代に写真と出会ったんです。カメラマンになろうと思って就活もせず、ふらふらしていた。すると、マスコミ志望の友だちから「これ、いらないから、面接だけでも受けてきなさい」とハガキを渡され、面接受けたらあれよあれよと広告会社に入っちゃった。とはいえ、クリエイティブ職は狭き門。営業職で社会人生活がスタートしました。

----予期せず会社員になっちゃった水野さんが、本業とは別に仲間を巻き込んでカリ〜番長を始めます。「水野といえば、カレーだよね」っていう位置に引き上げてくれた人はいるんですか?

水野 いわゆるブレイクみたいなものはないんですね。ずっとじわじわなんですよ。でも、5年、10年と続けると、少しずつ目立ってくる。当時出張でカレー提供したり、クラブでカレーのライブクッキングをしている人はいなかった。そういうのをおもしろがってくれる人は何人かいたけど、明確なきっかけはなかったですね。

----水野さんはカレーにおもしろさを見つけて、おもしろいからどんどんカレーを深めていった。おもしろいからこれを誰かに伝えたいって気持ちがある。それなら、カレー屋をやるかといえば、やらない。カレーを中心に、そこにどんどんいろんなものがつながっていくようになっている。それは、意識してやってきたんですか?

水野 カレーの中に見つけた魅力が、まさにそこだったんです。美味しい料理は他にもいっぱいある。香川のうどんは感動したし、フランス料理も大好きだし。でも、料理をモチーフにいろんな人を巻き込みながら、多ジャンルにつなげて楽しめるというポテンシャルはカレーがダントツかもしれない。それを「見つけちゃったかも!」っていうのが、カリ〜番長初期の頃の興奮だったんです。

----そのおもしろさはカリ〜番長メンバーと共有できていたんですか?

水野 できていませんでした。ただ、他のメンバーの存在がヒントになったのは確かです。彼らはカレーに興味がない人たちだった。「水野がカレー、カレーってうるさいから、カレーでやってるけど、別にラーメンでもハンバーガーでもいいんじゃない?」って態度だったんです、最初は。クラブでDJするのが楽しいのであって、カレーは水野が言うからやってるというスタンスだった。でも、ある時から「これ、カレーじゃなきゃできなくない?」ってメンバーが気づき始めたんです。そういう過程があって、相当おもしろいおもちゃを見つけたなって確信したんです。そこが出発点だったから、美味しいカレーをつくりたいってことは、自分のゴールにはなかった。ただ、美味しいカレーを携えていれば、おもしろいことが起こるってわかっていたので、この道具だったり、武器だったり、おもちゃだったりするカレーのことをもっとわかっておいたほうが良いぞと。こんなに楽しめるカレーって何者なんだろうってことにどんどん興味が湧いて、そっちを突き詰めていった。そうやって突き詰めていることが、周りからは「カレー研究家」に見えたみたい。今でも僕に対して「美味しいカレーを追求している人」っていうイメージを持っている人もいるけど、このカレーというモチーフの魅力や不可思議さを掘っていきたいって感覚は変わっていないんです。

----なるほど。カレーというものをどんどん因数分解していくと、いろんなものとの接点が増えていくってことですね。

水野 そうなんです。たとえば最近、カレーの世界では「スパイスカレー」っていうのが大流行している。だったら「ハーブカレー」っていうのがあってもいいんじゃない? と発信を始めたんです。するとハーブというキーワードでつながってくる仲間が増えてきた。そこで僕が彼らに声をかけて「ザ・ハーブズメン」というチームを結成しました。カレーの学校の卒業生に千葉で農家をやっている人がいて、彼の畑に毎月メンバーが集まり、料理をするようになったんです。そうしたらそこに他のシェフや編集者、カメラマンやミュージシャンまで遊びに来るようになりました。レシピ本を作る話が進んでいたり、「いつか中東諸国にハーブ料理を探求しに行こうね」という話で盛り上がったりしています。カレーというモチーフから全方面につながっていく感覚はありますね。

----先日のトークイベントで話していた「カレー脳」について聞かせてください。

水野 世の中のいろんな事象を考える時に、僕の場合はカレーの要素に置き換えることを脳でやっていて、腑に落ちたり、納得したりするってことです。

----「将棋もカレーだ」って言ってましたけど。

水野 はい、何から何までカレーです。笑 例えば僕は将棋が好きだけど、誰かと指すことはしない。プロ棋士に興味がある。その棋士の人となりと、棋風と、それらが絡み合って盤上でどんなドラマを繰り広げていくのかに興味があるんです。カレーも、カレー店のシェフに興味がある。その人はいったい何を考えてカレーをつくっているのか、その人はなぜカレーにハマったのかを考えて、その人と一緒に何かを生み出していくのが楽しいんです。将棋もカレーも人に興味があって、ドラマが生まれたり、ストーリーが紡がれていくことに興味があるんです。

----カレーがあるから他のいろんなものに興味が持てるっていうこともあるんですか?

水野 それはあります。カレーが自分の「ものさし」になっているっていう。自分が一番長い間向き合ってきたものなので、自分が知らない世界のことを理解しようとする時に、自分が持っている一番確かな「ものさし」で計ることで、おもしろがれるんですね。

----いよいよ、本題のカレーの学校について。水野さんの中でカレーの学校はどんな風に捉えているんですか?

水野 「プレーヤー養成所」って言っています。カリ〜番長の活動が長い間孤独だったってことがあって、僕らはこんなにもおもしろいおもちゃを見つけたのに、後に続く人が全然いないまま10年が過ぎ、20年が過ぎ。だから、一緒に遊ぶ仲間が欲しくて、カレーというものの遊び方を伝授する学校にしたいと思ったんですね。でも、その時点でプロダクトアウトの発想が強い。笑 水野仁輔がカレーの学校やるなら、料理教室の方が需要はあるのはわかっている。でもそこにはあまり興味はない。受け入れてくれる人がどれくらいいるかわからないけれども、やっぱりこっち側をやりたいわけです。生徒さんに「ためになりました、ありがとうございました」って感謝されて満足する性格だったら、マーケットイン型の「カレーの教室」をやってたかもしれないけれど。

----基本的なカリキュラムは変わらないですよね。「カレーとは、何か」「スパイスとは、何か」を必ずやります。その意図を教えてください。

水野 はい、1限目が「カレーとは、何か」で4限目が「スパイスとは、何か」、これは変わりません。この目的は、カレーやスパイスをなるべく広く捉えてもらうために、まずは既成概念をリセットするためなんです。「カレーは料理である」っていうところで止まっている時点で、プレーヤーにはなりにくいと思っていて、カレーは食べ物とか料理を超えた存在なんだとか、美味しいかどうかって基準は自分の中にあればいい、その先におもしろみや価値があるってことを受け止めやすい状態になってもらうために、カレーに対する視野を広げる必要があるんです。「美味しいカレーをつくる」とか、「美味しいカレーが食べられる」とかをほとんどの人がゴールに設定しているように思います。そこで満足しちゃうと、次の食べ物に興味が移るか、次の趣味に向かう。でも、僕からするとそれはゴールではなく、手段でありスタートラインなんですね。美味しいカレーがつくれるようになった、じゃあその先に何をしたいか。そのゴールを設定できる人がプレーヤーなんです。カリ〜番長はそこを重視していたけど、仲間がいなかった。今カレーの学校ができて、仲間が増えて、僕はその仲間の中に入れてもらって一緒に遊んでいる。だから、とっても楽しいんです。

〈その2につづきます〉

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