さすがに,もう変わらないと

 本校にはたくさんの視察があります。12月のお客様に配付した挨拶文から一部を紹介します。

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10年後,20年後の世界が見えているか

 もう、何度聞いたことでしょうか。デジタルとアナログ、ICTと黒板、対面とオンライン・・・新しいことが始まると、必ず否定的な意見がでるのは、当然のことです。ただ、ICTを使うと学力が上がったというのは、すでに10年前に日本でも検証されており、白か黒かというようなものではないと考えます。
 世界的視野で令和時代を考えたときに、それがどんな世の中なのかという話をいろいろなところで聞きますが、それでもなお、いままでがそうだったから、これからも同じような世の中で変わらないと思っている人たちも一部には存在することも事実です。
 ただ、われわれが目の前で教育している子供達は、10年後、20年後に、どんな世の中で生活していかねばならないのか、少なくとも、今の大人が経験してきたような20代、30代ではないことは明らかであると思います。
 大量消費大量生産といったSociety3.0の時代では、「指示にしたがい、一定の同じような常識を持った人」が、労働者として必要であったが、VUCAの時代が始まっている令和では、そこそこの学力以外に、独創性や高度なコミュニケーション力、論理的思考力などに代表されるような情報活用能力が重要であると考えます。そして、発想力の豊かな、いわゆる突出した人間が数多く出現しないと、今後の世界の中で、日本が生き残れる道はないと、強い危機感を持っているところです。
 学習指導要領でも、学習の基盤となる資質能力として、情報活用能力が重要であるというスタンスで示されました。日本人は、GAFA抜きにしては毎日の生活が成り立っていないことは、言うまでもありませんが、これらの母体となるアメリカのGDPは、1995年からとどまることを知らず上昇し続けています。しかし日本は、1995年から、ほとんどそれが変わっていないという事実を、どう見るかということになると思います。

日本は経済大国なのか


 世界時価総額ランキングによると、平成元年には、10位の中、7つまでが日本の企業で、NTTをトップに、都市銀行が多くを占めていました。しかし平成31年には、日本の企業は1社も見当たらないどころか、43位にようやくトヨタが登場するといった状況となっています。みごとに日本の企業は、転覆しています。そして、上位には、アリババなど、中国の企業がいくつか登場することとなっています。
 そういった状況を、我々日本人は、まだ実感として感じていないと思われます。それは、デフレ状態による、「物価の安い状況がとてもよいことだ」と感じているからに他ならないと思います。しかし、物価が安いということは、その国の経済が3流であるということの証明でもあります。それなのに、日本は経済大国だという幻想を信じ込まされて、いまだに学歴にこだわる教育の状況があります。そして、難関国立大に何人合格させたというような触れ込みの予備校や、進学校を絶賛するような雰囲気もまだまだあります。いわゆる団塊の世代が祖父祖母世代となり、彼らの学生時代のイメージが、孫への期待へとあらわれているのかもしれません。しかし、それは昭和の最後の時代の話であり、今は通用しないという現実を認める社会でなければ、この大きな変革時代を乗り切ることはできないのではないかと思っています。

何を変えるのか どこを変えるのか

 よりよく生きていくためには、主体性が重要というのは誰しも分かっているのに、授業となると、「同じ時に同じ内容を、先生から同じように教えてもらい、紙の教科書を使って、板書したものをノートに写して、同じスピードで学ぶ」といった、明治の学制からほとんど変わらない教授法で進められています。
 GIGAスクール構想が実現した時代には、まずそこを疑う必要がある、というか、そこを変える必要があると思います。はたして、それができるのかー。一人の教師だけがこれらを変えたところで、それはダメです。学校内で変えるのか、いやいや同一市町村レベルで変えるのか。都道府県レベルなのか、全国レベルなのか・・・・という問題に直面することになります。。
 文科省はすでに、GIGAスクール構想の実施と共に、学習指導要領において「主体的対話的で深い学び」という方針をだし、いつでもそういう授業ができるようにしています。となると、都道府県、市町村レベルでの授業改革は、自信を持って進めることができるはずです。しかし、これらに待ったをかけるのは「誰か?」あるいは、「何か?」そこがポイントであるように思います。

(つづく)

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