世の中全部おれみたいになったら楽だけどそうなってしまえば世の中は回らなくなる

生まれながらに文章を書くのが上手い人がいる。顔がいい人もいる。頭がいい人もいる。運動できる人もいる。明るい人もいる。明るいわけじゃないのになんとなく人から好かれる人もいる。

おれの人生は思えば、こういう人たちへのコンプレックスで塗り固められ、同じ方向の努力をし、敵わず、逃げることの連続だ。
顔がいいわけでもないのに学年1の美女を好きになり、寝取られ、運動も得意じゃないのにたまたまやっていた競技で少し結果が出たから部活で学校を選び、レギュラーを取れず、必死に勉強して憧れの研究室に配属されるもの、落ちこぼれ、それでも唯一残ったアイデンティティの経歴に傷をつけることを諦めきれずにキラキラコンサル就活をし、失敗して。なんの成果も得られないまま今に至る。

努力した結果の挫折にも種類はあると思う。本当に好きで努力したか?没頭したか?努力を努力と思わないほど努力したか?この質問にどう答えるかによって、味わった挫折から得られる経験値も変わるはずだ。

冒頭にも書いた通り、やっぱりおれの努力の大元はコンプレックスだ。だからいくら努力しても、結局心の底ではこんなことはもう終わりにしたい、結果が出たら怠けたい、と思っていた。実際怠けた。本当に努力した人は結果が出てもさらに努力できる人だと思う。彼らがなぜそんなに努力できるか?好きだから、意外に理由があるか?

このように振り返ると、コンプレックスを原動力とした努力はやはりどうにもうまくいかない。したがっていまのおれがすべきことは、自分なりに努力できる「好きなこと」を探し、実践することなのだと思い至った。

したがって今、おれは自分の本当に「好きなこと」ってなんだろう、というような24歳成人男性にはあるまじきなんとも恵まれた悩みに悩まされて夜更かしをしている。

早いもので同級生のなかにはもう結婚していたり、夢を叶えたり、テレビに出たり、さまざまである。結果が出なくても、野球に青春を捧げる高校球児、いまなお夢を追い続けるアイドル、バンドマン、机に向かう大学院生、本気で人生を賭けている情熱に当てられると申し訳ない気持ちでなきそうになる。情けないよなぁ、自分が。

好きなもの、好きなことに思い至らないのは、これまでの人生、コンプレックスを埋めるためだけの人生だったことが理由の一つだろう。もちろんそれ以外もあるだろうけれど、今は一旦脇に避けておく。おれがおれ自身のことを深く知ることは、おれの情けない努力で上塗りされたコンプレックスを爪の先でガリガリ削って膿を出すような作業であり、要するに酷く苦痛を伴い、困難である。
これをせねばと最初に思い至ったのはいつの頃だったか。気がつけばもう人生の長い長い春も終わりに近づく中でようやく最近、おれはおれと正面から向き合おうとして、逃げて、今はまた目を背けている。

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