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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜押し潰されそうな空の下で〜 #6

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【原罪(げんざい)】

 1. 
《original sin》。キリスト教で、人類が最初に犯した罪。アダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。アダムの子孫である人類はこの罪を負うとされる。宿罪。
2.
罪業学的特異点。第四大罪。〈原罪兵〉の語源とされる。

 失楽前、即ちホモ・サピエンスが地上でその生を謳歌していた頃、世界には様々な宗教が存在した。だがその後立て続けに起こった大罪と大戦、それに伴う変動の嵐、そして「彼ら」との戦いにより、人々はその全てを忘却した。
 ……いや、役に立たなかったので捨てた、と言う方がより正確だろう。贖罪神機による殺戮が吹き荒れた時、創造神はヒトを救わなかった。月の無慈悲なイザナミは勝手気ままに生者を喰らい、それに対抗したのはあくまでヒトだった。
 何より大きかったのは、当時世界の大半を支配的に覆っていたアブラハムの宗教が説いていた「原罪」が存在しないと、科学的に証明されてしまった事が挙げられる。
 太祖が犯した罪を子々孫々に至るまで受け継ぐシステム。そんなものが存在したならば、この冷たい殻の世界は今よりもっと温かく、理想郷と呼ぶに相応しい場所になっていただろう。だがそうはならなかった。赤子に罪業変換器官を繋いでも、何の出力も得られない。人は、無原罪である。
 ――なれば、創ってしまえば良い。
 その発想はごく自然に生まれ、「血の封建社会」が崩壊し人類が新たな秩序を多大なる犠牲を払いながらも築きつつあった時代背景が、それを実行可能せしめた。
 ゼロから組み上げるのは難しい。だが参考に出来る者達がいた。〈法務院〉が敷く、苦悶の秩序の頂点におわす貴顕達。「青き血脈」。彼ら・彼女らのDNAの塩基コードにはある特定の解析不能領域が含まれている。それこそが人類が唯一目にすること能う原罪。「第四大罪〈ネフィリム・ブラッド〉」、その欠片。
 当時の〈法務院〉科学部の要請に、「青き血脈」はアルセニス・ニックジェルニム・ヴァルデスという一人の少女を差し出した。好きに使え、と。
「青き血脈」の少女を切り刻むという大罪により莫大なエネルギーが発生し――その利得は全て研究に使われた。悪魔のような行為だが、関わった者達は真に人類の未来を憂いていた。
 そして、彼らは失敗した。

「当時のクソみたいな科学力じゃ、土台無理な話だったのさ」
 ブリーフィングの時にギドから聞かされた話がアーカロトの脳裏に過ぎった。
 結局できたのは紛い物――それも適性無き者に植え付けるとあっという間に癌化するというシロモノだった。癌化を抑える為の免疫抑制剤、人を無理に適性者に仕立てあげるためのバイオニューロンチップ等といった副産物のほうがよほど有用だったという。
 研究は打ち切られ、罪業学究極の到達点たる原罪への夢は絶たれた。だが人を変え、罪の苗床にしてしまうという発想自体は残り――今日に至る〈原罪兵〉の技術基盤として今も社会を支えている。
 ギドは法務院と「青き血脈」の失敗を実に痛快そうに語った。そして、なお嘲る笑いを深め、続けた。
「だがこの話には続きがあんのさ」
 出来上がった〈原罪〉の紛い物――〈原罪の欠片〉はその後も密かに研究が続けられたのだという。〈法務院〉内に極僅かに存在する反「青き血脈」派の支援を受けて。
 主流派が〈原罪兵〉とそれを収監するための機動牢獄を開発したのを見て、彼らは〈原罪の欠片〉に改良を加えていった。外部に被せる牢獄ではなく、内部から見張る獄吏として。
 〈原罪の欠片〉は普段はジャンクDNAとして眠っている。罪業変換器官に繋がれるか、適性者が生命の危険に陥った場合にそれは発動する。だが癌化を抑えるために組み込まれたコードは副作用を生んだ。身体成長の抑制。しかし当初目指した機能は果たしていた。即ち、罪業の遺伝という目的は。
 切り刻まれた「青き血脈」の少女・アルセニスの苦痛と呪詛、そして科学者達の妄執を核として発生するその罪業場は、予定外の効能をもたらした。罪業の規格化である。個々がバラバラに発動させる罪業場は、軍事的観点からしてみれば非常に扱いにくい。性能が揃って、規格化されてこその兵器だ。
 それが確認された後、主流派から泳がされていた反「青き血脈」派は鏖殺され〈原罪の欠片〉は有用な技術だけを接収され破棄された。
「それが、なんで今も残ってるんだ」
「研究者がトチ狂って当時の公共遺伝子バンクに〈原罪の欠片〉のコードを混ぜ込んだからさ」
 アーカロトは息を飲む。そんなことをすれば、世間は身体成長が抑制された子供で溢れ返る。
「当然すぐに削除されて、その間に産まれた〈孤児〉達は全部処分された――だがまあ、漏れがあった。〈原罪の欠片〉は劣性遺伝だ。しかも受け継いだとしても適性者でないと扱えない上に、発現には肉団子に繋ぐか殺されそうになる必要があるときた」
「そうなっては事実上もう発見は不可能か」
「青き血脈」の遺伝コードが関わってる以上、〈法務院〉も大っぴらな調査をして下々の者に嗅ぎ付けられるのを嫌ったため、今まで見過ごされてきた訳だ。
 それが今、眼下でまさに発現しようとしている。
 隣に立つギドは余裕たっぷりに葉巻を取り出すと火をつけた。ゼグはその様を見て食って掛かる。
「おいババア、なんで今のうちに殺らねえんだ」
「ママと呼べって言ってんだろクソガキ。ちったあ頭使いな。どうやったら遺伝コードを金に変えられるんだよったく。完全に発現した形態をぶち殺して、その死体を見せないと〈組合〉は納得しない」
 ゼグは不満そうだが、納得したのか引き下がる。確かに敵に優位をむざむざ与える前に倒してしまった方が良いとアーカロトも思う。だがそんな戦術的思考を塗り潰す程の危機感、嫌悪感をアーカロトは覚えていた。今殺さねば、取り返しがつかないのではないかという焦りを。

 それは、蛇だった。

――蛇婦に言けるは汝等必らず死る事あらじ

 それは、機械だった。

――神汝等が之を食ふ日には汝等の目開け汝等神の如くなりて善惡を知るに至るを知り給ふなりと

 それは、剥き出しの腸だった。

――婦樹を見ば食ふに善く目に美麗しく且智慧からんが爲に慕はしき樹なるによりて遂に其果實を取て食ひ亦之を己と偕なる夫に與へければ彼食へり

 それは、囚人を鞭打つ獄吏だった。

――是において彼等の目倶に開て彼等其裸體なるを知り乃ち無花果樹の葉を綴て裳を作れり

 それは――それは、大罪の欠片にして人が犯した罪の根源。禁断の知恵の実を食して世界の姿を知り、而して楽園を失ったソピアー。肉と煩悶で出来たアントロポス。
 癸零式内臓獄吏。
 蜘蛛の脚に似た、しかし肉感生々しい触手が背中から七本、放射状に生えている。触手の間を水色のグラビトン軽減規格化罪業ラインが走り、その様はグロテスクな翼にも見えた。
 ヒュートリアの幼かった肉体は強制的な骨格の伸長と、それに伴う内臓の肥大化により引き裂かれている。露出した血管網、そこから滲出した血液が高エントロピー規格化罪業場と交じり合い、表皮を覆う殷黎(あかぐろ)い装甲と化す。
 腕は太いものが左に三本、細いものが右に四本生えており、それぞれ脊椎の表面を伸縮性の罪業光が走る鞭を携えていた。
 胸の中央に蓮華のように咲くのは罪業収束器官。原始的な、幼さを感じさせるそれは瞳の様にも見え、実際その役目も果たしているのかぎょろりと回転した。
 人からあまりにかけ離れた上半身から視線を下に転じると、そこにはほっそりとした美しい女性の脚がある。尋常であることが、逆説的に異常であった。
 そして、その顔。爬虫類と人類を冒涜的に交配させたような面構え。耳まで裂けた口の中には不穏な罪業光が明滅する。
「――――っっっあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!」
 それは、吼えた。
 呪いであった。詛いであった。恨みであった。怨みであった。妬みであった。僻みであった。
 あらゆる負の感情の爆発。
 そして寸毫の静寂。
 触手翼を展開させ、ヒュートリアであったものはこちらを見て、嘲笑った。
「さあ、もう遠慮せずにぶっ放しな!」
 ギドの号令のもと、総攻撃が始まった。
 だが弾丸は悉く装甲に弾かれる。癸零式は、そのたおやかな脚の見た目に反した力強さで床を蹴ると、重力軽減を発動して一気にこちらと同じ高さまで飛び上がった。
「わるいこは、ころすですぅ」
 標的は――アーカロト!
 ゼグや子供達に目が向かないのはむしろ僥倖。
「君とは出会ったばかりだが――その罪を絶つ
 アーカロトは静かに宣言し、床を力強く踏みしめた。

続く

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