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海鳴〈いの〉りの祝祭

 乾き切って埃っぽい朝未の空気が、頬と髪を撫ぜる。私はふと海鳴りの音を聴いた気がして、顔を上げた。
 勿論そんな筈はない。目の前に広がるのは、茫漠と続く、起伏の激しい赤茶けた大地。そこに転がるのは無数の船と飛行機や宇宙船の残骸。かつて関西国際宇宙港と呼ばれた施設だったものだ。
 人類は、海を盗まれた。
 全海洋強奪事変。七つの大洋に湛えられていた13.7億立方Kmの海水と、そこで暮らしていた生物達を根こそぎ浚われた、異常事件。結果、大気は薄くなって汚れ、利用可能な水資源も無くなった人類は急速に衰退していった。僅か十年前の出来事だ。
 地球から海を奪った犯人は明白だった。私は地平線から視線を上げ、払暁前の空に煌々と輝く天体を睨みつける。
 月。
 蒼色の、嫦娥。比喩でなく、現在の月は青い――海水の紺碧が、38万kmの彼方から私の網膜に届いている。住んでいた兎達も全員溺れ死んだ事だろう。
「カグヤ。こんな所にいたのか。そろそろ出発の時間だ、行くぞ」
 ミカド隊長に声をかけられ、私は我に返った。隊長の宇宙服には国連環境計画小委員会【第二次奪海軍〈プロジェクト・タイダルフォース〉】の徽章。
「〝里帰り〟の前にそこまで張り詰めるんじゃない」
 隊長が和ませようとしてくれているのが分かったので、私は微かに笑った。
 そう、これは里帰りだ――私達の。今回のチームは全員が元日本人で固められている。第一次奪海軍の失敗を踏まえての対応だ。
 私は宇宙服のヘルメットを下ろす。バイザーのHUDが自動で私が注視している物――月を検知して倍率を上げていく。
 十年前、海が消えた日。私は月旅行からの帰還船に家族と乗っていた。その窓から見た光景を、私は生涯忘れない。帰るべき場所、私の家、祖国。
 日本が海と同時に消える瞬間を、体に刻まれた傷痕と共に忘れない。
 私の視界に拡大された月が広がった。その中央、青い海に浮かぶ緑の細長い島がある。
 ――日本列島。

【続く】

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