見出し画像

学校はどこから来てどこに向かうのか-休校を経験した中学生に伝えたいこと-[後編]

[前編]はこちら

歴史に目を向ける-その2-

提供された課題だけをこなしていたらいかに危険かを説いた文献があります。
1977年に刊行された「脱学校の社会」という本がその一つです。

著者である社会評論家のイヴァン・イリッチは、学校で決まったことを教える仕組みについて、「教授されることと学習することを混同する恐れ」があると警鐘を鳴らしていました。
最初から簡単に予想できる正解を導いたり、求めている正解を空気を読んで発言してみたりした経験はないですか?これが一種、教授される教育と言えるのかもしれません。そこには自発性がほとんどありません。

イヴァンは義務制の学校制度の廃止を主張しました。
一見すこし乱暴で、触るとチクッとするような主張ですが、学校自体の廃止を推奨しているのではありません。「教授されること」ばかりの教育から脱出するために、やり方を改めようと説いたのです。ネットワークを活用して色々できるのではないか、とアイデアを巡らせて。

“教育のハードウェアとソフトウェアを普及させても、あるいは教師の責任を生徒の生涯にわたるように拡大してみても、そのことによって全ての人に等しい教育を与えることは実現できないであろう。”
“必要なのは、公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワークである。”

そして、“だったら学習の仕方・学習を共有する手だてを工夫したらどうか”という主張に続きます。

今回の休校措置によって、必ずしも生徒が、「学校の先生によって」「教室という場所で」みっちりと決まった学習を享受する状況が最良なのかということを疑問に感じるのは自然なことです。
実際にいま教育関係者の間では学校の存在意義について議論の活性化が起こり始めています。

また、

“参加することによって最も良く学習する”
“人が実際にやってみせること(実演)は、多くの人々からもとめられ続けるだろう”

このように教師の目標に奉仕するものに成り果てた学校は否定しつつ、人と人とが会うことの重要性も説きました。

さて、学校という場所を通して何が得られるのか、さらに悩むことになりました。

歴史と今を繋げる

休校措置や自宅勤務率の上昇の影響で、中学生も社会人もオンラインでのやり取りが爆速化しています。休校を経験した皆さんは、フルタイムでリモートスクールライフを送っていたとでも言えましょうか。

ニュースでもおなじみの通り、会社員は自宅勤務をする人が増え、働き方改革が見切り発車的にスタートを切りました。それが社会全体や企業の形を考えるきっかけになっています。
同様に、働き方改革と似たような改革が、皆さんの学校生活においても急速に発展して行くでしょう。

発展するであろうものの一つが、プログラミング教育です。世の中にあるシステムは全てプログラムによってつくられています。休校中、コミュニケーションツールとして重宝されている「Zoom」もそう。
プログラミング教育は、じきに小中高で学校の学習内容に含まれるようになります。2020年には小学校を、2021年には中学校、2022年には高校を対象に学習開始予定です。
順を追って2024年には大学入学共通テスト(旧センター試験)にも出題範囲として加わります。

なぜプログラミングを必修化するのか。考え方は、義務教育制度ができた理由と似ています。
皆さんが三十路や中高年などと呼ばれる年齢になったとき、高齢社会となることが統計上明らかです。その結果、労働者数もその比率も減ります。
労働者が減っているのに、一人一人の労働力が今と同じだとどうなるでしょうか。一人一人の労働力を最大限まで高めるかそれ以上のことをしなければ、社会構造が立ち行かなくなります。

なので、プログラミングをはじめとするテクノロジーの知識を基礎体力として、ITを使いこなせる人材を育てることは、日本の教育では急務で、ゆくゆくはITの力を使って労働力をフル装備したり・ひいては今は人間がやっている仕事をAIに取って代わらせることも十分に考えられます。
時代ごとに、やはり戦略性をもって教育の内容は決定されていくことがよく分かると思います。

世界に目を向ける

「脱学校」は理想主義的ゆえに現実味は薄い。でも、脱学校に限りなく近いところにあるのではと思い当たる教育方針があります。それが、オランダを中心に普及しているイエナプラン教育です。
日本にはあまり馴染みのない考え方を体現した教育です。

イエナプラン教育は、受け身ではなく自立して学習することが特徴の教育方針を取っています。面白いことに、1つ年を取ると1学年上がる、というような学年生ではありません。
クラスメイトは3つの年代から構成され、1年ごとに3分の2の子供が残ります。一部の文化を残しつつ、新しい文化を取り入れているのです。
クラスで最年長の子にとって、同じクラスの自分よりも年が下の子が「ものを知らないことは当たり前」の認識なので、最年長の子が下の年代の子に対して教授したり助言したりすることが日常です。クラスメイトは3つの年代から構成され、1年ごとに3分の2の子供が残ります。
自発的に学習することも特徴で、学習計画は基本的に生徒自身が立てています。1日数時間、独立して学習するためのスケジュールを組むのです。
また、学習で得たことを周りの子たちに発表・作品展示する機会も多い。さらに教育者から子供に対して、活動成果に対して具体的な改善策を必ず伝えます。

ここでは、子供の自立を支援するために教育者が行うことは子供へのコーチング(その人の能力を最大限に発揮できるようになるための手助け)だと言えます。

日本の生徒や学生、社会人が取り組んでいる、自分を成長させるためのアウトプットを日々当たり前にこの世代からこなしているのです。
決まった教科書や授業があるわけではありません。教育指針(ビジョン)が明瞭である分、ビジョンを体現できていると認定されれば、それはイエナプラン教育となり得ます。

ちなみに、オランダでは受験制度がなく、基本的には自分が望む大学へ進学できます。偏差値という概念が学校に無く、受験のために必要な勉強を詰め込むこともありません。
成功も失敗も自己責任に終始する。
だから自分が何者か・何を学ぶか・何を発信するのか/それは周りからの評価によって成り立つものか・自己完結なのか。そうやって、常にどう生きるかということを問い続けています。

自分を作るのは遺伝や環境だと聞いたことがあるかもしれませんが、そのどちらもは自分でコントロールできませんよね。でも唯一、置かれた環境の中で目の前に現れる好奇心を掘り下げるいくことはできます。
不要不急で外には出てはいけない。であれば、中で出来ることを考えてみる。家の中やオンラインの中に好奇心を見つけてみる。
自分から発信するにはエネルギーがいりますね。そのエネルギー源は今あなたの中になくても、誰かと話したり検索したりして見つけた好奇心を無視せずに視野を広げていけば、あなたの視点は価値あるものに育つはずです。
皆で乗り越えることと自分の将来の事は分けて考えてみてもいいと思います。

教授されることと学習することとを混同していたとは、当事者には中々気付けないものです。

関連(おうち時間のお供にどうぞ)

記事の参考にしたもの:

「脱学校の社会」(中学2年〜高校生)
「学校って何だろう」(小学生高学年〜中学生)

その他おすすめ:

● 「サバイバルファミリー」(映画)(小学生〜高校生)...電力が無くなった世界。当たり前が当たり前でなくなった世界で生き残る道を模索する人間たちの話。今の状況と少し似ている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?