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おじいちゃん、さようなら。ありがとう。最後の手紙です。

祖父が7日、他界しました。
今、お通夜・お葬式などが終了し一息ついたところでこの記事を書いています。

お通夜・お葬式の最中は(忙しいこともあり)そこまで「亡くなった」という実感が湧かなかったのですが落ち着いた今、猛烈に「あぁ…もう居なくなったんだ」という気持ちになっています。寂しい、悲しい。

最後のお別れの時(棺の中にお花を入れたりする時)に小さく、本当に小さく「ありがとう」しか言えませんでした。言いたいこといっぱいあったのに。

なのでこの記事で手紙を書くような形で言いたかったこと、感謝の思いを思い出とともに綴りたいと思います。

僕の大好きなおじいちゃんへ。

小学生の時、ほぼ毎週、金曜日の夕方に片道40分ほどかけて迎えに来てくれたね。(そして月曜日の朝に送ってくれたね。)
次の日は近くの釣り堀に連れて行ってくれて、夜には家の庭で七輪を使って焼き肉を楽しんだね。
網がボロボロになっていて網目の隙間からお肉が下に落ちてしまい、拾い上げたんだけど実はお肉じゃなくて炭だったことがあったね。よく覚えています。
あの時のおじいちゃん「これは肉じゃねぇ、炭だ」と吐き出した顔一生忘れないんじゃないかな。

トラックの荷台に乗せてもらってドライブしたこともあったね。(ちなみに、当然の如く普通に違法です。時効と言うことで許してください。)
オープンカーみたいに風を感じれるのが凄い楽しかった。
また、おじいちゃんの運転するトラックの荷台に乗りたいなぁ。

よく、お餅屋さんでお餅を買って食べたね。よもぎ餅だったかな。
僕はお餅があまり好きでないけれどおじいちゃんと一緒に食べるお餅は格別でした。

家のお風呂ではミニカラオケ大会みたいなことをしたね。
僕がきらきら星を歌うと「ひーちゃんは歌が上手いなー」って言ってくれたっけ。
そして頭や体を洗ってくれた。
僕の体が細くて、おじいちゃんの力が強くてちょっと「痛いな」と思っていたけれど今ではあの痛さが懐かしいよ。

近くにある温泉にもよく行ったね。
本当は泳いじゃだめだけど、「泳いでみぃ」と言ってくれたっけ。
別にそれで泳ぎの指導があったとかじゃないけどそんな些細なことも忘れることができません。

ご飯の時、スーパーで買ったおかずを兄と分け合おうと箸で受け渡ししようとすると「やっちゃいかん。葬式の時のやつだから一旦お皿に置きなさい。それでおかず交換しなさい」と怒ってくれたこと、当時はわからなかったけど今はよく分かるよ。あの時、教えてくれてありがとうね。
おかげでちょっとは常識のある人になったかな。
まだまだ色んなマナー教えて欲しかった。

夏休みやGW、冬休みといった長期休暇は色んなところに旅行に連れて行ってくれたね。ほとんど覚えていないけれど。
日帰りバス旅行のビンゴ大会で100万円札束メモ帳をおじいちゃんが獲得したことは忘れません。ドンキホーテなどでそのメモ帳を見かける度にあの日の旅行のことを思い出します。

近所でお祭りがある時は連れて行ってもらった日のこと、初日の出を見るために山を一緒に登った日のこと、おじいちゃんの妹さんの家に連れて行ってもらった日のことも覚えてる。
妹さんの家、ボットン便所で怖かったなぁ。

東条湖おもちゃ王国、バイキング、函館市場に行った日のこと、すっげーよく覚えてる。楽しかった。函館市場ではめっちゃ高いトロのお寿司を「遠慮せずに食べなさい」って言ってくれたね。

トマトが好きな僕のために、夏前になるとミニトマトの苗、普通のサイズのトマトの苗、ちょっと高級なトマトの苗を買って畑で育ててくれたね。
畑の面積の半分トマトだった。
もう食べられないけどあれは世界で一番美味しいトマトだよ。

体調を崩して学校を休んだ時、「元気になれ」と三田牛やフルーツを買って持ってきてくれたね。その時にハグをしてくれたことも覚えてる。
おじいちゃんの暖かさをよく知りました。
三田牛、体調回復した翌日にすき焼きにして食べたよ。

夏休みの自由研究、小さい引き出しを作ってくれたね。
後は段ボールで壁を作る(?)というところまでやってくれたのにそれすらもせずに学校に提出しました。

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今のままでは「おじいちゃんの作品」です。
もう学校に提出することは出来ないけれど、落ち着いたら段ボールで3方を囲って「おじいちゃんと僕の”最後の”共同作品」にしたいと思います。

冬になるとメジロをミカンで捕まえていたね。
だからメジロを見るといつもおじいちゃんのことを思い出します。

歳のせいか、何回も同じことを話したり聞いてくるおじいちゃん。
そんなおじいちゃんに正直ムカついたこともあったけれど、その時に僕がお小遣いでプレゼントした箸を使ってくれているのを見た時、ちょっと心が安まりました。
その時は素直に謝ることができませんでした。ごめんね。


他にも思い出はたくさんあるけれど、あまりネットに書くと、ネットについてあまり理解していないおじいちゃんから怒られそうだからここら辺にしておきたいと思います。

おじいちゃん、たくさんの想い出をありがとう
正直まだ、おじいちゃんが居なくなったことを完全に受け入れることができていません。
実は葬式したのはよく似た別の人で「てってれー!ドッキリ大成功」と言いながら登場するのではないか、おじいちゃん家に行ったら「おー、ひーちゃん、よう来たな」と出迎えてくれる気がしてなりません。

何も恩返しができなくて、わがままばっかり、迷惑かけてばっかりの孫だったけれどちょっとでもおじいちゃんにとって気にいる要素があったら幸いです。

おじいちゃんから学んだことを大切にしていきたいと思います。






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