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直木賞受賞作 『テスカトリポカ』選評

前回、直木賞受賞作 『テスカトリポカ』について書いたとき、あまりにも自分の感想だけを書いたので、選者の選評を引用して作品に対する評価を補足したい。

選評 三浦しおん

『テスカトリポカ』は圧倒的な傑作だ。本作を残虐すぎる」「倫理観に欠ける」と評するご意見もあったが、それに対する私の反論は、『ジョジョの奇妙な冒険』の名言「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」に尽きる。つまり現実に、理不尽な死と暴力は満ちあふれている。そもそも他者(動物や植物も含め)の命をまったく奪わずに生命活動をするのは不可能だ。本作は徹底した暴力描写により、現実に存在する理不尽から目を逸らそうとする我々の欺瞞を撃っているのだ。その意味で、むしろ極めて倫理的な小説だと私は考える。また、ただ露悪的に欺瞞を撃つだけでなく、そのさきー 理不尽な死に本当の意味で抗うには、暴力に満ちたこの世界を変えるためにはなにが必要なのかさえも、きちんと描きだしている。私は小説に絶対に「希望」が必要だとは微塵も思わない。しかし世界に満ちる暴力性の問題を徹底追求する本作は、暴力と理不尽を越える希望をも、ちゃんと提示してくれているのだ。硬質な美を湛える文章が紡ぎだす静謐な多摩川の情景を、コシモが選び取った道を、よく見てほしい。これがまっとうな倫理と希望でないなら、なんなのだ。受賞を心から喜びたい。

選評 桐野夏生

『テスカトリポカ』この作品を読み進む中で、真っ先に驚いたのは、カサソラ家の四人兄弟の三男、バルミロの「粉」という呼び名だった。その呼び名には、最上級のコカインを示す「黄金の粉」という意味もあるが、バルミロが得意とする「液体窒素で手足を凍らせて、鋼鉄のハンマーで打ち砕く。犠牲者は粉々にされる自分の手足を、自分の目で見ているように強要される」処刑方法を表してもいる(映画「スノーピアサー」を彷彿させる)。
 この方法を考えつくだけでも、想像を絶する「残虐さ」ではあるが、作者は何の逡巡もない。その動じる風もない様子は、この世の残酷が、常にこれ以上のものであることを知っているからであろう。
 なぜ人は、これほど邪悪な存在になり得るのかという疑問は、この作品の中で珍しい答えを示される。人格異常でも偏見でもなく、信仰だ。つまり、バルミロの「邪悪」を担保するのは、アステカの古代神テスカトリポカヘの信仰である。ゆえに、バルミロは子供の臓器移植工場についても、良心の呵責を感じない。
 余談だが、レバノンに暮らすシリア難民のドキュメンタリーを見たことがある。行方不明になった子供が臓器を取られた死体となって発見されるシーンがあった。この小説を遥かに上回る残虐な出来事は、世界のあちこちで起きている。現実を直視すれば、この作品はその意味で「清い」のである。
 言葉にもディテールにも揺るぎはなく、文体は簡潔で力強い。満足のゆく質と量である。これだけうまく構築されていれば、どんな「残虐」な虚構も楽しむことができる。
 ただ、日本編は、メキシコの乾いた土くれに血が吸い込まれるような凄絶さが消えて、少々湿気を帯びたきらいがある。また、聖なる巨人、コシモが善の方向に向かうのが、私には少し物足りなかった。

「花の戦争」 宮部みゆき

『テスカトリポカ』のなかで、「花の戦争」という言葉には特別な恐ろしい意味があるのですが、ここではその意味ではなく、今回の選考会は強力な候補作をめぐる華やかな戦争だったと申し上げたいのです。
 まず『テスカトリポカ』につきまして、選考会で、作中の暴力描写が凄惨なこと、悪の主役のバルミロが日本人医師・末永と組んで展開する児童臓器売買ビジネスが冷酷で許しがたいことが、作品そのものの欠点であるように評されるのを聞いて、私は驚きましたし心配になりました。未読の方々に、「読まず誤解」をされてはいけません。この作品は、直木賞の長い歴史のなかに燦然と輝く黒い太陽なのですから。
 『テスカトリポカ』は昨今稀なー 現代を舞台にしては書きにくくなる一方の、きわめてまっとうな勧善懲悪の物語です。登場する悪は確かに「最悪」でありますが、最後には全て滅びる。それはこの「最悪」そのものが内包している自己中心主義と貪欲による自壊が半分、あとの半分は、この「最悪」をくぐり抜けて、命をむしり取られようとする幼き者を守り、自分の魂も守ろうと目覚めた戦士の力によるものです。そして暴力描写は、設定とストーリーに現実感と臨場感を与えるために必要な分だけしかなされていません。そのバランスをとるために、佐藤究さんが細心の注意を払つていることを、私は随所で感じ取りました。
 構造を取り出してみれば、たいへんオーソドックスな小説でもあります(ですから、意外なほどに読みやすい)。主人公の青年コシモは、現代国際社会の地獄巡りを経て成長し、己の生きるべき道を見出す。ヒューマニズムを信じている小説なのです。敵役が邪悪だからといって、作品そのものが邪悪なわけではありません。
 敵役の側も、中心人物は「最悪」を背負う人間としてしっかり描かれています。バルミロの家族史は、それだけで一篇の重厚な小説になり得るほど充実しています。その一方で、彼の手下で人間ばなれした強さを誇る「殺し屋」(シカリオ)たちは、もちろん現実にこんな人たちがいたら一秒だって同席したくありませんが、フィクションの作中人物として「極端に強すぎて怖すぎて笑ってしまう」くらいにキャラクター化されており、それが読者を暴力の毒から守る緩衝材になっています。これもまた作者の周到な配慮だと思います。
 全編を通して力強い物語性に溢れ、血と暴力を題材としながらも、俗なセンセーショナリズムからは遥か遠く離れたところにいる。暴力を、「心の闇」などという言葉で水割りにしない。私は読後、「参りました」と感嘆することしかできませんでした。傑作です。
 澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』は、一見オーソドックスな歴史人物小説であるように見えて、実は掟破りの挑戦をしている果敢な小説です。その点で『テスカトリポカ』とは好対照であり、素晴らしい二作受賞になりました。

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