絶滅

人間はいつ絶滅するだろうか?

クラウドファンディングで出資していた、絶滅危惧種の写真集である『豊橋 絶滅動物園』が届いた。豊橋の「のんほいパーク」で飼育されている動物の写真とともに、それぞれの動物の現状の説明や、園の活動、世の中の取り組みなどが掲載されている。早速読み進めてみたけれど、幼少期に当たり前に動物園にいたキリン、ゾウ、ライオン、ゴリラ、オランウータンなども絶滅危惧種に位置付けられており、野生種はどんどん減っている。写真に掲載された動物達の姿は美しく、その穢れない目は世界をありのまま捉えているように感じる。なぜ彼らが人為的な影響で絶滅しなければならないのだろう?

現在では、哺乳類の3~4割が人間で、約6割は人間が食べるための家畜だと言われている。家畜は生まれてから狭い環境の中で、肥えるために餌をひたすら食べ続け、最終的に屠殺される訳だから、苦しみを産み出していることを考えると心が痛む。そんな中でも、資本主義経済の歪みで、食糧は均等配分はされずに、片や飢えや貧困が生じており、片やフードロスが起こっている訳で、こういった矛盾が解決できない状態がずっと続いていることを考えると、人間は本当に罪深い行為をしていると感じる。だからこそ、食事の際には「頂きます」としっかり感謝することが重要だと思う。話は逸れたが、人口は今後も増え続け100億程度まで増加すると言われているし、資本主義化の発展のもと、使用するエネルギーも増え続ける。地球上の生命は今後、人間の営みによって、どのような影響を受け続けるのだろうか。

地球温暖化、グリーン政策、SDGsなど、昨今環境に対する理念の浸透は深まりつつあるようには感じる。ただし、これらの帰結する先はだいたいが、テクノロジー開発による課題解決であり、そのために資本を注力しようという流れになっている。結局、ここでも資本主義下での競争が加速する流れになっている。確かに、競争があるからこそ技術発展が進む訳ではあるが、テクノロジーがいくら進歩しても、使い方を間違えれば、理想とする未来は達成できない。良かれと思って開発された数多の技術が、戦争や人殺しの兵器に変わったり、実態のない資本や投資に変わったり、人の洗脳と購買促進(スマホ)に使われたり・・・ある意味、人間の創造性や応用性はすごいものがあるが、それを正しく使う術を学ばなければならないと感じる。

だからこそ、並行して人間の生き方を変えていかなければならないように感じる。上述のテクノロジーは個々人ではコントロールできず、大企業や政府が関与しなければ解決は難しい。一方で、人間としてのあり方であれば、個々人でも見直すことはできるかもしれない。競争化社会の中で、格差も生じている中で、コロナによる対面接触の忌避もあり、人としてのあり方について話をする余裕すらないかもしれない。ただ、そういった話を出来る関係を身近なところからでも作っていくことが、多様な世の中では大事だろうと感じる。まずは対話をして、相手の意見を聴き尊重する。そういった活動を一人一人が少しでも増やせれば、コミュニティーが形成されていき、大きな変化になっていくかもしれない。対話やコミュニティーにより孤独が解消されれば、排他的な思想ではなく、包摂的な思想も増えてくるかもしれない。

21世紀は人間とは何かが問われる時代になった。人が絶滅するのか生き長らえるのかは、今世紀の活動次第だろうと思う。大変な時代に生まれたものだと思いながらも、コーチングの基礎である「聴く」ことを継続しながら、新しい時代の中でのコミュニケーションの模索を続け、少しでも絶滅の可能性を減らしていけたらよいかなと思う。

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