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ピアノレッスン

ピアノレッスン 


 男性・女性にかかわらず、
人が楽器を演奏する姿は非常に格好が良いものだ。
特に年配の男性がピアノを奏でる姿にはウットリとしてしまう。

 知人の男性で、ある合唱団の指揮をしておられる方が居るのだが、
年齢は60代後半で、小柄ながら見た目にはチョット怖い顔をしている。
その怖い顔をしたオジサマがピアノの前に座ると、
流石のピアノもビビッて仕舞うらしく、実によく言う事を聞くのである。
ピアノに向かって座る後姿はチンマリとして、顔が見えない分、以外に愛らしい。
背中越しに奏でられるピアノの音色は華麗で、流れる旋律に思わず聞き惚れる。

そこで・・・(こいつぁ~私もピアノを弾いて、誰かを聞き惚れさせなけりゃ成らない)と思った。
誰を聞き惚れさせたら良いのか判らないが、その内、該当者も現れるにちがいない。

 さて、私の楽器演奏の経験といえば。
10代の頃に、義兄の持っていたクラシックギターを、
彼の留守に持ち出してはペンペンと心もとない音を鳴らし、
自己流で、かの名曲「禁じられた遊び」を半分ほど弾けるようになったが。
ある日、ギターを持ち出して居る所を義兄に見つかり、こっ酷く叱られて、あえなく「禁じられた遊び」になってしまった経緯がある。
その後、少ない小遣いを貯めて、やっとの思いでハーモニカを買った。その成果もあり、お陰でハーモニカだけは何とかメロディーらしき物を奏でる事が出来る。
しかし、(誰かを聞き惚れさせてウットリさせる)と言う崇高な目的の為には、私のハーモニカの稚拙な吹奏では心許ない。
ところで、吸ったり吹いたりするハーモニカも、(吹奏)というのだろか?。
こんな深遠な疑問を抱きつつ生きている私の姿は、
誠に「真摯」の一語に尽きるのである。

 矢張りピアノだ。
と・・言う事で、直ぐさまピアノを習い始めようと一大決心をした。
もしかしたら、これが天才的ピアニスト誕生の端緒になるやも知れない。
そんな心中の声に聞き惚れてウットリしている私である。

 ところで物事を習うには、それを教える人が必要である。
「自習」という言葉がある位だから、自分に自分で教える、
という方法もありそうだが。
残念ながら、私はモーツァルトでは無いので、他人に教えて貰わなけりゃ~ どうにも成らない。
その昔、親鸞上人というお坊さんが、
「他力本願」という願っても無い教えを説いたのは、
こういう場合の為なのでは無いだろうか?。

 そんなこんなでピアノの先生なのだが。
私にピアノを教えるという無謀な試みに、
果たして果敢にチャレンジしてくれる奇特な人が居るだろうか?
・・・・・・・・・・・・・居るのだ。
ネット上で何処のだれ某と公表するのも憚れるので、
此処では便宜上、単に「先生」とお呼びしよう。

 私にとって、ピアノの先生と言えば、
第一に若く、そして美しく・気立てが良くて・優しく、
たまにお茶の一杯も飲ませてくれれば、他に言う事が無い。
お茶の時間には、茶菓子が付き物で有るのは当然といえば当然である。
あと強いて言えば、ピアノを弾けるのも条件の内だが、
この問題はさほど気にしなくても良い様な気がする。

先生について、私の真心の篭った言葉をこれだけ言えば
キット先生も納得して感動さえしてくれるだろう。
従順な生徒である私には、
姑息な計算心など微塵もないのだ。
(今度のレッスン日には、キット紅茶などが出るに違いない。)

 そんな素適な先生の元で、
偉大で芸術的な天賦の才能を秘めた
私のピアノレッスンは、バラ色の未来に向けて今日も続くのである。

 ところで・・本当に弾けるように成るのだろうか??


私のピアノの先生は、事故により若くして逝去されました。
文中の失礼をお詫びし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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