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能登半島に来て

元旦の地震で建物や道路や会社が壊れた。犠牲者も数限りない。
が、結果として住む人々の生活や、さらには地域共同体が壊れかけているのが哀しい。

目にすること耳にすることみなうらめしい。

能登かつて大家族が寄り添ったうちには、寄り合いや、子孫の帰省に備えて寝具や、特に座布団を多数お持ちであることが多く、立派な屋敷の中でそれらがだめになってしまったところが目についた。
2次避難され、移転を決めておられるところ、とにかく居続けることは難しいと語るひと、1人暮らしで誰も寄りつかんだろうと呟く高齢の方、ちらちらと気付く。

作業の合間合間に移動などすると、歩けばすぐ1kmを超えてバス停も駅もお店もないことに気付く。実は地震の前からも能登鉄道の部分廃線など地域の資源は減りつつあったのだろうが、拍車がかかっているようにも感じられる。
冷徹に見ればもっと醒めた見方もできるだろうが、だからこそほおって置けない気持ちになるのだ。

全国から応援の手が差し伸べられている。
見てみないとわからない現状。遅いたら、もっと何やらとか言われてはいるが、与条件を考えていくとあまり他の選択肢はないようである。
まだ水道が復旧しない。道路と人手が追いつかない。屋根修理どころか応急危険度判定が追いつかないようでもある。危険、要注意の貼紙がない被災家屋が多い区画があるため。
片付けにもリスクがあるし、明らかに崩壊していても解体はまだまだ。
関心の高まったリサイクルも、とにかく住環境から早く瓦礫や廃材を片付けないと健康にも脅威である。給湯器やボイラーが壊れた家では寒いのにお風呂も入らない。水道が復旧しても、熱源をプロパンや灯油に頼る家では、高くつく。春になれば、であるが、エアコンが壊れていると今度は暑さである。
水道は地下を諦め、地表に仮設するプランもあるそうだが、来年の冬には凍結が気になるため、1年に満たない時間が稼げるだけで、また本復旧に手間暇がかかるだろう。

重機や大型ダンプがはいれない被災道路やそもそも狭小な海岸沿いの道路。

建設関係も産廃関係も行政も疲弊しているとも聞く。
なれば、ちょっとずつしか進まないのも、無理ないな、と思われるところが多すぎる。
誰をも彼をも非難することは難しいと感じた。
防災計画や社会基盤の整備が遅れている、としても今言っても解決にならない。
東日本大震災のように、復旧ままならず廃線やBRT転換(結局廃線だ)に追い込まれるところがないのは不幸中の幸いだが、能登鉄道部分廃線の経過からするも、地方政治や交通行政の敗北か失敗、と思えるところはある。道路整備も十分であったか?しかし今は懸命に復旧が進められている。

さてボランティアであるが、人手による片付けや避難所生活の支援など活躍できるところはまだまだ多いのではあるが、道路や水道の復旧を待たないと大量の動員は難しい面もある。
今、特に有効なのは、廃材を適度に分別しながら運び出せ湯軽トラである。私も昨日今日と、ずいぶん助けられた。
しかし、長尺の廃材や壁面ごと倒れた家屋などは、重機とダンプでないと、人手では限界があるし、危険かつ効率があがらない。

無力感。すら感じる。
地域のニーズや、地元のリリースを、待ってできるとこからできることをやるしかないか。
もう少し介入的にニーズを汲み出せないかな?地方のひとは、「ウチはまだマシだろうから他を先に」と言う。が、それでいいと思うとわ埋もれてしまう。

受援能力。危険の発信力。
周辺のものとして、少なくとも敏感な感性を持ち続けて、また出かけて来ようと思う。それだけ。
あとは見聞きしたことの発信か?しかし、これも気を使うこの頃である。

続く。

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