見出し画像

Hello World







心の枯れ葉が落ちる音が聞こえる。

あんなに青々と茂っていた心の大木も、今となっては枯れ葉3枚を残すのみとなった。

この葉っぱが全部落ちるころ、俺の頭は完全におかしくなっているかもしれない。













「note再開しよ」って思ったのには理由がありまして。

先日、サーバーに関するおちゃめなミスをぶっこきまして。

今まで書いてきた雑記ブログと特化ブログを一瞬にして吹っ飛ばしてしまいまして。

きたなー、とうとう、俺のところにもサイバー攻撃が、なんつって。

変だなー変だなーって言いながらもね、復旧はなんとかしてみたんですけど。

かなり焦っていた反面、冷静にブログ以外の書く場所を考えている自分もいて。

怖いなー怖いなーって思ってね。

書く場所が無くなってしまうことが。

最初に浮かんだのが、やっぱりnoteでして。

おかしいなーおかしいなーって感じてたんだけど。

他人のプラットフォームで文章を書くことが。

というのもなんつーか、noteの野郎とは昔からちょっとインネンめいたモノがありまして。

自分の多様性の範囲?みたいなのが認められなくてですね。

避けてきてた感ある。むしろ避けられてた感すらある。

まぁ、でもこっちもブログ2年書いててさ、言っちゃイケナイこととか?

わかってきたし?

banも解けてるみたいだし?

そろそろ和解してもいいかな感出してやがんなnoteこのやろう!

ゴメンねっつって。

さみしくなんかなかったんだからねnoteこのやろう!

スミマセンっつって。

こうやって久しぶりに書いてみてる。

え?見えてるよね?これ。大丈夫?







思いつきで書き始めたnoteだけど、感情にも文章にも鮮度が存在するから、

なるべく早くゲロってしまいたい言葉をここで供養しようと思う。

もし、仮に、万が一、届くべき人がいるのなら、そんな人にできるだけ早く届けてみたい。

そこで新しい何かが生まれるかもしれない。

日記って軽さでもないけれど、記事ってほどにはまとまっていない。

そんな物になると思う。

そもそもこのような文章が、マジョリティに有益なものになるとはとても思えないけど、

ここ数年は他者的な価値基準を重視して行動していない。

役に立つものしか存在を許されない世界では、アートで食える人もまた存在し得ないからだ。

そのような物に無意識に加担したくない。

世界の隅のマイノリティに届くよう、ハリボテの陰にちょこちょこ本音を忍ばせていきたい。

それが伝わったら素敵だな。ちょっと泣いてしまうかもしれない。







自分は体調を崩してしまうと、アウトプット勘を取り戻すのに時間がかかるタチなので、noteくらいがリハビリにちょうどいいかも、とも思った。

最近はコロナ禍も相まってインプット過多な生活になりがちで、なんだかバランスが悪い。

この状態で入ってくる情報の質まで悪いと精神がやられてしまう。

SNSで吐き出すのも向いてない。

うつの日に見るTwitterは右や左や上や下に意見が分かれていて、スクロールがしんどい、見るのもつらい。

誰かの目を気にして文章を書いていたら、言葉以上の何かを失い続けてしまう。そんな気がした。

何か、ちゃんと【じぶん】を吐き出さねば。

そもそも140文字で自分を表現するには圧倒的に技量が足りていないから、戦うフィールドが違うのかもしれない。







つまりこのnoteは、140字から成る承認欲求でもなく、10000字で繰り広げられる自己顕示でもない。

ここで今、こんな人間が、こんなこと考えてるぜ、っていう存在承認の場にしたい。

誰かに怒られてしまいそうで言えなかった本当の本当を、気軽に少しづつ書いてみようかなって考えています。

本音を隠して生きているってのは、ひとりで宇宙を漂っているようなものだから。

それは果たして存在と呼べるだろうか。

最後にひとつ聞いてみたいことがあるんだ。

あなたは本当にこの世界に存在していますか?













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?