いちろー

職業PA イラストはぜんぶベニちゃん

いちろー

職業PA イラストはぜんぶベニちゃん

マガジン

  • にちじょー

    いちろーの日記です

  • こうさつ

    いちろーの暗い話です

最近の記事

黄昏のアドマイヤ

普段、あまり高速道路で遠出をすることがない人は知らないかもしれないけど、 日本のSAには【アドマイヤ自販機】というものが存在する。 この特別な自販機でしか買えない「ミル挽き珈琲」なるものが私は大好きだ。 自販機のカップコーヒー目当てに無駄にSAに寄ってくれる仕事仲間には感謝してもしきれない。 【アドマイヤ自販機】には内部に高精度カメラが搭載されていて、 なんと豆を挽いて最終的にカップにコーヒーが注がれるまでの様子が外の画面に生中継される。 SAでホットコーヒーを飲

    • ユートピア

      先月、実家近くの市民会館で仕事があった。 初めてライブを観たのも、ステージに立ったのもこの小屋だったので、毎回来ると感慨深い気持ちになったりする。 このステージで、「3万円のギターでもここまでやれんだよ~!!」って言いながら、大人の男のひとがギターかき鳴らしていた。 それをフロアーから眺める自分はまだ中学生で、このときの自分の顔を20年以上経った今でも好きなだけ思い出すことができる。 ※皆さん、お気づきかと思いますが、今回もどうでもいい日記です。 リズムに合わせてス

      • チバさん

        突然の知らせだった。尊敬するロッカー・チバユウスケが亡くなってしまったらしい。 現場で会ったのはもう随分と前だし、思い出を分かち合えるような相手も近所にはいないので一人で抱えている。 こんな仕事をしていると「生きててよかった」とか「もう死んでもいいかも」って思う瞬間はたくさんあるけど、 チバさんの肉声がもう聴けないというのは想像しにくい。たださみしい。 10代で初めてロックに触れたとき、すでにチバユウスケはロックスターだった。 レイジ・アタリから洋楽に入り、ニルバー

        • ZIZY

          法事で帰省してきた。さいきん下の子どもが俺の父と仲がいい。 わりと人見知りする子なんだけども、父の膝にはすんなり乗ったりする。 母の話では、俺もかなり自分の祖父と仲が良かったらしい。 たしかに祖父の車で色々な場所に連れ出された記憶があり、思い出せる会話もいくつかある。 母の言葉で、 「おれは弟たちを育てるために学校に行けなかったせいで勉強はできないが、頭が悪いわけじゃない」 と叫びながら庭の木にひたすら正拳突きしていた祖父を、急に思い出した。 祖父は俺が12歳の

        黄昏のアドマイヤ

        マガジン

        • にちじょー
          9本
        • こうさつ
          8本

        記事

          かおのない人々-2

          幸福とは、当たり前に人それぞれの価値観によって形作られていく。 そこで重要なのは「善悪」という要素よりも「好き嫌い」という単純な感情だ。 かのラーマ・クシュリナは、脳内麻薬を操ることによって生きながらニルヴァーナを現世で体現してみせた。 このくらい自分をマスター出来れば、強靭な感情を獲得できそうだが、これは極端な例の気もする。 SNSなどで見かける善悪を語る投稿の多くは、この「善悪<好き嫌い」が幸福を形成する事実を忘れている。 あるいは意図的に省いているのかもしれな

          かおのない人々-2

          おかえりなさい。おやすみなさい。

          色々な場所に行く。色々な人に会う。 そーゆー生活がしたくて今の仕事を選んだところがある。 そんな経緯を知っている友達たちは今だに、 「東京よりも〇〇の方が面白い!」とか「イチローくんは〇〇さんに会った方が良い」とか、 定期的にそんな連絡をくれるけど、 「ちょっとごめんなさい今それどころじゃないので電話切りますね」って言いたくなるくらい生活にどっぷりハマっている。 生活って、もうなんかすっごい広いし、めっちゃ深い。 子どもが生まれるまでは、音楽とか仕事とかインター

          おかえりなさい。おやすみなさい。

          夢ハラスメント-2

          ある分野で優秀な成績を納めた人が、こう言うとする。 「才能なんて努力しない人の言い訳だ」 でも実際は、人より強い体も、努力できる心も、物事に熱中できる情熱も、全て才能だ。 資質に恵まれている人というのは、時にそのことに無自覚になり残酷な言葉を放つ。 怠けでも、甘えでもない。資質的な弱点は必ず存在すると思える。 人には、苦手なこと、どうしてもできないことというものがあって、 そのかわりに得意なことが存在し、他の人が嫌いでも苦もなくできることがある。 悲観ではなく、

          夢ハラスメント-2

          Je!Je!Je!

          ずっと黙ってたけど、街の中華屋が好きだ。 俺は個人経営の中華屋を目ざとく見つける特技を持っている。 この前入った中華屋では今だに素で「じぇじぇじぇ」を使っている大将に出会った。 正確には野球中継を観ながら、 「今のはストライクやろ~!じぇじぇ!」 と言っていた。俺の記憶からは、33%の減である。 もうしばらくしたら「じぇ」となり、そのうち跡形も無く消えてしまうのだろうか。 「じぇじぇ」に関してよりも定食が1500円に設定されていて少し驚いたが、 まぁ財布には2

          Je!Je!Je!

          今日はカレーです

          さいきん、子どもたちの健康を考え自炊することが増えた。 もともと料理は嫌いじゃなかったけど、栄養素や美味しさを追求したこともまた、ない。 子どもは時に残酷だ。マズイものをマズイとヘーキで口にする。つらたん。 油に指を突っ込んで、薬指が進撃の巨人みたいになっちゃうこともあるけれど。 それでも外食よりは確実に美味しいし、なんだか生きてるって感じがしてくる。 美味しい料理を作るというのは、マズくしないように調整しながら化学反応を起こさせることだと思う。 料理は皆、野菜な

          今日はカレーです

          溺れるこころ-2

          生きていくのが苦しい、辛い、という状況は、呼吸の方法を忘れてしまっているのと同じだ。 言い換えると、考えない方がうまくいくことを、考えてしまうような。 人はこの状況でもがき続けると、なんとかしようとして、余計に事態を複雑化させてしまう傾向がある。 力を抜けば身体は浮かび上がることを知らない人から順番に、溺れていく。 死にたい人は死にたい人に共感する。前向きになりたいのに、悲観的な人の言うことしか信用することができない。 そうした人が手にできる人生の肯定論は必然的に「

          溺れるこころ-2

          これからのこと

          2023年になった。 自分について言えることは、わりと今、気分的に底辺にいるということで。 こういうとき「これ以上、下がることなんてないんだから、あとは上がるだけじゃないか」みたいなことがよく言われるけど。 しかし実際のところ、人ってものはどこまでも際限なく落ちていってしまうものだと、わたしはそう考えている。 この冒頭の書き出しも、あるいは悲観的に過ぎるかもしれない。 ただ、フラットになんとなく「今、メンタルがすごく低い所にいるな」って思っているだけなので。 あまり生活に支

          これからのこと

          夢ハラスメント-1

          幸せは大きくなければいけないだろうか。 朝起きて手つかずのいちにちがそこにあって、ささやかな趣味に思いを馳せる生活には意味がないだろうか。 夢は偉大な職業でなければいけないだろうか。 自然の恵みに感謝し、日常の生活を慈しむだけでは志が低いだろうか。 誰もが役に立つものしか求めなくなった世界に、自然やアートは果たして存在し得るだろうか。 幸せや夢ってものは、他人と競争したり比べたりすることで、貪欲に誇張されていく。 最初は単純であった【好き】という感情が余計な脂肪を

          夢ハラスメント-1

          かおのない人々-1

          自分は【好き】に対して【嫌い】が多すぎると思う。 これのせいで生きづらいのかなと考えていた時期もあったけれど、同時にこんなことも思う。 嫌いという感情は、ある意味その存在を認めることだと。 存在することを許すことだと。 自分の中のネガティブな感情を許し、相手の存在を認めることで、私たちは遠い別々の場所でバラバラの価値観を持って生きていくことができる。 仮に善悪や優劣で相手を根絶やしに滅ぼせるなら世界はもっとシンプルになるのかもしれないが、実際にはそんなことは不可能で

          かおのない人々-1

          決められたしあわせ-1

          わたしたちの日常は、唯一の答えを探してしまうと息苦しくなってしまう。 あらゆる物事の一部分は一部分でしかなく、それ自体が答えになり得ない。 どのようなことでも限られた視点のみで全体を見通すことは不可能だと思える。 特に個人の考える「しあわせ」のような頼りない概念がテーマならなおさらだ。 ここでは、ある側面からその存在を定義付けしてしまうことの危険性について考えてみたい。 その精神は、実に簡単に人々の生活を脅かす。 自分はひとりでいる時はこんなことばっかり考えてしまうんだ

          決められたしあわせ-1

          溺れるこころ-1

          20代のはじめ頃が、自分の人生の底だったように思う。 かろうじて食べていけるギリギリの仕事はしていたが、それ以外の時間はほぼ何もできない、という時期が1年ほど続いた。 何もかもが億劫だった。動かなくていいのなら何時間でもジッとしていた。 その頃、メンタルクリニックにでも行けば何かしらの診断名が付いて、カラフルな錠剤が大量に処方されたと思う。 ツライことがあっても楽しいことがあって帳尻が合えば呼吸を続けられるけど、当時は負債ばかりが重なって、自分の人生の収支は一生合わな

          溺れるこころ-1

          ほんとのじぶん-1

          溺れるこころ 気晴らしにショッピングに出かけたのになんだかひどく疲れた。 手に取りやすい物で溢れた部屋は虚無感でいっぱいになる。 引き伸ばされた生活の中で我々は学んでしまった。 こうなってはもう、指一本も動かせない。 この気持ちはどこからやってくるのだろう? 決められたしあわせ じぶんの幸せについて考える。考える必要のないことを考える。 幸福に関する考え方は時代によって変化してきたが、基本的には【豊かなこと】であったり【愛すること】あるいは【愛されること】と現

          ほんとのじぶん-1