岸田秀『ものぐさ精神分析』を用いて 自己嫌悪を構造から捉えなおし克服まで

自己嫌悪には解消できるものがあるのではないかというのが今回のnoteのテーマである。前半は岸田秀の著作『ものぐさ精神分析』のある小テーマからの引用とまとめで、後半はそれを利用した私なりの自己嫌悪の克服方法である。読むのが面倒な人は太字だけ読んでくれればよい。もっといえば『ものぐさ精神分析』買って読めばよい。

1.『ものぐさ精神分析』-自己嫌悪の効用―太宰治の『人間失格』について-引用&まとめ

注:太宰治の『人間失格』については小テーマのまとめ的役割を果たしているのでここではほぼ扱わない

岸田は

自己嫌悪という以上、自分を嫌悪する自分と、自分に嫌悪される自分とが存在するわけである。(p.320)

という一文で議論を始め、

1:嫌悪されるのはつねに現実に自分が行った行為かつ何らかの満足を求めた行為であること

2:それがあとから嫌悪の原因となるような行為であっても行為の時点で欲求に対する何らかの利益か快楽を得るのは現実の自分であること

3:無意識的なものだったとしても自分が現実的に持っている欲求であることは行為をしたという事実で説明できること

としたうえで1,2,3より

「嫌悪される自分」とはまがうことなき現実の自分である。(p.321) とした(便宜上Aとする)

次に

4:本来何かを嫌悪する行為には対象の排除、あるいは消滅に向けた力があること

5:それに対し自己嫌悪ではある行為を嫌悪しても同じような場面になるとその行為を繰り返すことが多く、嫌悪本来の排除・消滅に向けた力が感じられないこと

6:自己を嫌悪する行為に対象の排除・消滅の力がないのは嫌悪する自分に現実的基盤がないからだいうこと

として4,5,6より

「嫌悪する自分」とは、いわば、架空の自分であり、架空の自分に発するものであるがゆえに自己嫌悪は、現実の自分に対して影響力を持ち得ないのである。(p.321) とした (便宜上Bとする)

そしてA,Bより

自己嫌悪とは、つまり、「架空の自分」が「現実の自分」を嫌悪している状態である。(p.321) とした 

また架空の自分とは、卑怯なことを思ったりはしたないことを行ったりしない自分・人に下劣なことはしないと思ってもらいたいという自分・自分で「自分はそんなせこいことはしない」と思いたい自分であるとし、こう結論付けた

すなわち、自己嫌悪は、その社会的承認と自尊心が「架空の自分」にもとづいている者にのみ起こる現象である。(p.322) 

加えて

・自己嫌悪をする者は現実の自分の行為によって満足を得ているのにも関わらず「ついやってしまった」という架空の自分を用いて行為を嫌悪することで罪を洗い流そうとすること

・現実の自分がやったことは認めながらも真の自分(架空の自分)の行為ではないと解釈しているから何度嫌悪しても行為の抑止ににはたらくのではなくむしろ嫌悪が免罪符になることで行為を促進するだけだということ

・岸田は差別・偏見の心理的基盤も自己嫌悪にあるということ

という以上を説明したのち太宰治の『人間失格』の葉蔵を例に挙げて自己嫌悪の効用全体を振り返ってこの小テーマをしめくくっている。

2.私見

 初めてこの本を読んだとき私は大きな衝撃を受けた。自己嫌悪はその名のとおり自分で自分を責めるものだと思っていた。しかしその嫌悪する自分とは現実に基づかない、架空の自分であったのだ。そして架空の自分がいかに欺瞞に満ちたものかが暴かれた。。自己嫌悪をする者はおそらく世の中にごまんといるし私も数えきれないほど経験をしているが、ここまで引いた見方でその正体を捉えられるのは岸田秀だけだろう。しかし岸田秀は自己嫌悪を紐解きながらその克服法を書かなかった。人間を本能の壊れた動物というところからスタートする唯幻論の立場(フロイトの本能論の立場でもある)やそれを証明するかのような人間の歴史を見るとそれもやむを得ないのかもしれない。

 しかし私は、自己嫌悪が不可避なものだとしてもその都度自分なりに消化して克服できるものであることを諦めたくない

3.私なりの自己嫌悪の克服方法

 ここからは『ものぐさ精神分析』を読んで私が思いついた自己嫌悪の克服について書こうと思う。ステップを追って自己嫌悪の構造を整理しながら進めるのでぜひやってみようという方は文字にして自分の思いや考えをはっきりさせながら読んでほしい。

注:克服対象は自己嫌悪だけ。例えば自分がしがないサラリーマンであることに対する自己嫌悪は解決できるかもしれない。しかし来年脱サラをして農業をする自分と来年高給を求めて転職をする自分(どちらも架空の自分の比較)等の葛藤の解決はできない。

①自己嫌悪の発生

②自己嫌悪の原因となる自分の行為や状態を思い出す

③嫌悪する自分(架空の自分)と嫌悪される自分(現実の自分)に分けて、自己嫌悪を整理する

○○なんてしない架空の自分が○○をした現実の自分を嫌悪した

××をした架空の自分が××をしなかった現実の自分を嫌悪した

◇◇と思わない架空の自分が◇◇を思う現実の自分を嫌悪した

△△ではない架空の自分が△△である現実の自分を嫌悪した

☆☆である架空の自分が☆☆ではない現実の自分を嫌悪した

◎◎である架空の自分が★★である現実の自分を嫌悪した など

④ ②で整理した文を現実の自分を主語にして書き換えて、現実の自分が架空の自分に対して抱く感情を明らかにする

○○をした現実の自分は○○なんてしない架空の自分に……という感情を持つ

××をしなかった現実の自分は××をした架空の自分に……という感情を持つ

◇◇を思う現実の自分は◇◇を思わない架空の自分に……という感情を持つ

△△である現実の自分は△△ではない架空の自分に……という感情を持つ

☆☆ではない現実の自分は☆☆である架空の自分に……という感情を持つ

★★である現実の自分は◎◎である架空の自分に……という感情を持つ

……には自分の正直な感情を入れる。憧れ、それはできない、極端だな、すこし理想が高いな、それができたらいいな、物理的に不可能だ、努力すればなれるかも、倫理的にダメだろ、自分には向いてない、それは夢かも など。

⑤現実の自分という主語に直すことで、架空の自分に対する感情を発見出来たら、その感情に対して現実の自分ができる行動をなるべく具体的に考える

例 1日に30分ウォーキング、目標を下げてみる集中して練習する、誰かに聞く、共通の悩みを持つ友人をつくる、法的に不可能なので諦める、それを可能にしようとする活動に参加する、ちょっと無理なので諦める、簡単な練習から始める、趣味を見つける、誰かに相談してみる、などなど。

 ・・・・・・自己嫌悪というのは架空の自分によるもので、現実の自分に立脚して整理しなおすことで実は前向きな気持ちであったり、地に足の着いた悩みとして捉えなおせることに気付いてもらえれば幸いだ。この①から⑤のステップは自己嫌悪で苦しくなるたびにやってみるその都度新たな発見があると思う。

注:この自己嫌悪の克服方法が有効に働かない方へ。変えようのない状態に対する自己嫌悪に陥っていないだろうか。例えば自分が黄色人種であることを嫌悪する場合、架空の自分は白人であること、現実の自分は黄色人種であることになる。このケースで主語を現実の自分にしてみよう。「黄色人種である現実の自分は白色人種である架空の自分に……という感情をもつ」となるわけだが……にどんな感情を入れても白人になるための行動というのは思いつかないだろう(サミーソーサという例外もいるが)。そういう場合はその自己嫌悪をする理由に疑問を持つ必要があるかもしれない。例えば黄色人種である自分を嫌う者の場合、幼いころそれで差別を受け、そういう世間の考え方が内在化してまるで自分の考えのようになっている可能性が考えられる。それに自分で気づけというのは非常に酷な話なので、こういった変えようのないことに関して自己嫌悪に陥って苦しんでいるなら、信頼できる第三者に相談してその自己嫌悪の理由が理不尽なものではないか確かめる必要があると思う。

4.最後に

自己嫌悪をある種すり替えたに過ぎないという人がいるだろう。確かにそうである。しかし「現実の自分」を中心に据えて行動で解決を図っていくほかに自己嫌悪をいなす方法があるだろうか。正直に言うと”すなわち、自己嫌悪は、その社会的承認と自尊心が「架空の自分」にもとづいている者にのみ起こる現象である”という岸田の言葉は図星であり赤面した。そして自己を嫌悪することのアホらしさにようやく気付いてこういう文章を書いたという訳だ。上記のやり方や岸田秀への批判があればぜひコメントに書いてほしい。自己嫌悪は私自身の問題でもあるので。話は変わるが岸田秀の『ものぐさ精神分析』は-自己嫌悪の効用-以外にも面白いテーマがいくつもあるのでなんか人間のこととか自分のことで悩んでいる人はぜひ買って読むか、感想サイトとかブログで筋だけ追うかしてみてほしい。その価値はあると思う。このnoteを見て1人でも元気になってくれれば。このことを考えさせるきっかけをくれたすべての人に感謝する。長文読んでくれてありがとう。では。

参考文献

岸田秀『ものぐさ精神分析』中央公論新社,2003改訂版