『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【167】2007/10/11~10/13

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
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今週の観想詩→10/22(月)~10/28(日)

2007/10/21 観想詩1
一郎
★過去にしばられるなかれともいいますよ。

過去にしっかり縛られているのが私と言えます
もう70過ぎたのに まだ過去にこだわっています
しかたないですね それが私らしいと思えばいいでしょう
何となく生きてきただけでもいいとしましょう
物事は思いようによって良くも悪くもなる
どうせなら良い方に思いましょう
思うだけで救われます
どうせなら人生楽しく
過去にとらわれ今日まで来ましたが
死んでチャラにしましょう
そうすれば死ぬのも苦にならない
死ぬまで生きて楽しむ
これでいきましょう
どうせならね
2019/12/01

里恋詩くて、10/21・むかごめし

2007/10/21 里恋日記
一郎
   ★贅沢が 今や、当たり前になった

いまや質素が私も当たり前になった
考えられないこと
お金はなくてもそこそこぜいたくしていた
贅沢といっても貧乏人のぜいたくはたかがしれてる
けど今は質素になった100円んオヤツ遊びもしなくなった
生協に注文した分だけで1週間つないでいくようにしている
そりゃあ必要な買い物はするけどね
たとえば野菜ジュースが無くなった
明日買うつもり これなどは必要経費
無駄には使わない
節約倹約質素になれてきた こうなるとしめたもの
出来れば反動が来なければいいが
2019/12/01

里恋詩くて、10/20・写真、こんにゃく作り

2007/10/20 里恋日記
一郎
・・・私へ

さとちゃん 自分に言い聞かせてるんだ
私へ いうことh無いよ
なんかしてるし
そのっまでいいんじゃない
そして死んでいけばいいのさ
死に支度っていしきするようになったけど
完璧には出来ないし
一人で死んでいく人多いし
孤独死してもちゃんとあとしまつしてくれる人いるから
歌の文句じゃないけど
あとはどうなときゃあなろたい
2019/12/01

一枚岩(古座川町)

2007/10/19 熊野まんだら路
一郎
それは、無謀に近いと思いました。

年齢には関係なく
無謀なことをする時があると思う
その時本人にとっては無謀でもなんでもなく
当たり前のことをやっているに過ぎないと思うもの
その時はだれが何を言ってもだめ
やるところまで本人がやって納得すればいい
そういう時があるってことは素晴らしい事
無謀と人は言おうが あとから思えば本人も無謀だと気づく
ひとはやりたいことをやればいい 
人はそれをも守ってやればいい
2019/12/01

里恋詩くて、10/17・

2007/10/17 里恋日記
一郎
じゅくし柿

出ました出ました
大好きなじゅくし柿
私の田舎ではボタ柿といいます
熟したままでジャムになってる感じ
甘い甘い おいしいおいしい
よだれが出てきた

   ★逃げ道は 作ってあげないとね。

実は今日
また一つブログ始めました
というのも数日前から利用しているブログがログインできなくなったのです
それでもう一つのブログを作って
般若心経の写経した画像を後悔しようと思いました
1日ですから切りがいい 始めるのにはうってつけ
公開するとやめられないでしょ 写経を
もう一月ほど続けてはいるんです
私の場合公開して逃げ道を封じたのです
写経を続けるしかない 私の常とう手段
こうでもしないと意志薄弱ですから
2019/12/01

里恋詩くて、10/15・山桃のブランデーとアケビ(玉川峡の福ちゃん食堂)

2007/10/15 里恋日記
一郎
・・・はじまらないもんね

ありがたいことに
目が覚めて一日が始まる
目が覚めるのは当たり前
いえいえそうではありません
奇跡の連続なのです
奇跡だと思うのです
奇跡の連続だから当たり前のように思っているけど
けして当たり前ではない
いつ何が起きても不思議ではないと思うのです
ほんとにありがたいことです
毎日が当たり前のように繰り返されるということが
当たり前のようで当たり前でない
奇跡の連続だという認識
考えれば不思議なことばかり
そう思えるかどうか
想像力を働かせるかどうか
いや何もしないでも何も考えないでも
明日は来るのです
目が覚めたら
一日が始まるのです
ありがたいことです
2019/12/01

里恋詩くて、観想10/14・写真は、丹生川の柿おばあちゃん(九度山町)

2007/10/14 里恋日記
コメント
一郎
   ★大正13年生まれの作る柿 喰らいたくなりましたよ。

先日亡くなった姉さんは大正15年1月まれ
年が明ければ満93歳になるところでした
高齢のためいつかそん時が来るとは覚悟していました
姉さんが死んだらめでたく人生の卒業
歓喜の歌でお祝いしてあげると私は言っていました
しかし思い出すといけません やはり涙が出てきます
私がまだ20代の後半のころから世話になっていました
この5年は股関節骨折の影響で寝たきりでした
訪問看護師さんや入浴サービスン方々皆に好かれていました
姉さんのが無くなってから 「姉さんのいない日々」という日記を書くつもりでしたが
四十九日を過ぎてもまだ書くことができません
50年近く一緒に暮らしたのですからそれは仕方がないと思っています
でもできればまた姉さんのことを書きたいと思っています
今日記サイトに書いていた日記をPCに保存する作業をしていました
9月末までが終わり次回は10月13日に無くなるまでの日記保存
それは「姉さんの日々」というタイトルでしあ
無くなって「姉さんのいない日々」というタイトルにして数回書きましたが
前にも書いた通り日記を再開する気持ちになれませ
今調べたら9回ほど書いていました
そのうちまた書きたいと思う
いつになるかわからないけど
2019/12/01

今週の観想詩→10/15(月)~10/21(日)

2007/10/14観想詩1
一郎
★流れに逆らってまで生きることはないというのですか。それも情けないことですね。

抗うという言葉が好き
あらがう
従わないであらそう。抵抗する。逆らう。
goo辞書より
嫌いな言葉は流される
時流に 時代に 大勢に
2019/11/30

ソバの畑(上阿田の里)

2007/10/14 観想詩2源風景の森
一郎
ソバの畑

ソバと来ればすぐ浮かぶのが
「信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃ貴方のそばがいい」
という都都逸?
この文句を覚えたのはいつ頃だろう
寅さんの映画だったか それ以前か
どちらにしても寅さんの啖呵売の名調子の影響が大きいだろうなあ
学校で習う前に子供は社会からいろいろ学ぶ
流行歌であったりマンガであったり映画であったり
大人たちの話であったり
子供時分の吸収力はすごいものですぐ覚える
そして忘れない
とこには意味も分からずに言葉として覚えてしまう
学校で学ぶことより社会で学ぶことの方がどれだけ多いだろう
今でこそこんなことを思うが勉強嫌いだった
勉強をなめていた やればできると
できないことをそれを粉実に何もしなかった
ソバのことからこんなことまで思いが廻った
2019/11/30

吐田米(はんだまい)(御所市、森脇の里

2007/10/13 観想詩2源風景の森
コメント
一郎
吐田(はんだ)

こんな読み方初めて
珍しい字と読みだと思うけど
検索しても由来は出てこない
やっとわかったのは
「奈良県磯城郡川西町吐田
・ 「半田」「飯田」とも書く。「はんだ」は「墾田(はりた・開墾地)」のこと。」
このくらい ちょっとした不思議
2019/11/30

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Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士

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