高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【436】
妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の映画化芝居化・・・
その他いろいろ作品化できれば
なんて途方もない夢を観ています
📖 高山のエッセイ〜「Tさんと沖縄」
Tさんの事を書くとなると、沖縄の良さと複雑さを思います。
僕も観光で行ったのと仕事で行ってるだけですから、語る資格はないかもですが好きな所です。
僕は、通算すると五年近くトンネルの仕事で沖縄に行ってて住んでます。
今話題の高江地区の側にも友人が居ますね。
もう六十代の後半ですが、非常に良い人で働き者でした。
日本のトンネルを掘ってるのですが、一本目は途中で山が動いて中止になって数ヶ月後に再開してます。
その時には父の会社もかなりヤバくて、僕しか所長で行く人が居ない状況でした。
当時は三十一歳とかです。
それに父の会社の事でかなり参ってて、体重もガックリ落ちてて体力も落ちてました。
おじさんが一応付いててくれたけど、会社の倒産とこの仕事が重なりました。
それでも何とかやれたのは、沖縄って所の不思議な力だと思います。
精神的にも薬を飲みながらでしたし、体重もガクッと落ちてて五十三キロ位まで落ちましたね。
しかし、途中から変わった炊事婦さんが良くて、無理でも食べなさいと言われて少しずつ戻して行きました。
中断になる前は、その人は少し来ただけで印象に残って無かったけど、二度目は良く覚えてます。
五十前半でしたが既に頭が真っ白で、眼鏡をかけてて冗談ばかり言うんですが、仕事は出来ました。
僕は下請けの下請け、つまり孫請の所長でしたから作業員に払う金額は上の所長が決めてました。
それでも僕は、その沖縄のTさんを上げてくれと言いました。
上の所長は古い考えで、沖縄の人を使うなら沖縄の値段って人でした。
本土の人間には出しても、沖縄の人には出さないと言う考えです。
沖縄単価とか言われてましたね。
かつて日本に復帰した沖縄の人達は、こうして本土の人と仕事をすると差別を受けたらしいです。
僕はそれは違うだろうで、Tさんの日給を上げるように粘って、何とか本土の人と同じにしました。
仕事は出来るんだから当たり前なんだけど、これを何処からか聞いたTさんは非常に僕に感謝しましたね。
そこから年齢の離れたTさんとの交流が始まりました。
本土の人間でも妙な差別意識を持たない僕は、色々聞かされましたね。
別の会社から来てた土を処分する人と話してたら、若くても所長の僕が対等に話しをするのに驚くと言いました。
昔は本土の人間から非常に差別を受けたと聞いて、逆に僕が驚きましたよ。
これはあくまで建設業界の話しで、他の業界は知りませんよ。
だけど安い給料で牛や馬のように使われて、こうして僕のような立場の人間が、まともに話し等はしてくれなかったと言ってましたね。
驚きましたね。確かに沖縄の人達を使うのは難しいんです。
トンネルのプロが少ないのと、時間にルーズだったり酒にやられたりです。
しかし、Tさんのようにまともな人も沢山居たんですね。
Tさんは沖縄の人しか知らないような米軍が流した物を、安く手に入れる店に良く連れてってくれました。
普通の民間かと思ったら米軍が置いていったり、多分流したりしたものが非常に安く手に入りました。
軍人の履くズボンが新品で千円とかですよ。
古いと数百円です。
アメリカ製のアーミーナイフが数百円とかでした。
これが那覇の観光客相手の店に行けば、十倍にはね上がるんですね。
僕は名護市から更に北で仕事をしました。
名護市の飲み屋街も行ったし、辺土名地区の飲み屋にも行きましたね。
まあ何処でも飲み屋が有るのに驚きましたよ。
小さな村にも民家を改造して、簡単なスナックにしてたりね。
飲むのが好きな県民だなと思いましたね。
休みになると、時々Tさんとそういう買い物をしたりしてましたね。
一度だけ、名護市のスナックの二十周年記念とかに行かないと行けないからと言われて、Tさんが高山ちゃん奢るから付いてきて、で行きました。
そしたらそこのママはTさんの若い頃を知ってて、武勇伝がどんどん出てきて驚きました。
沖縄の日本への返還の時期は、相当荒れたようです。
Tさんはママにいらない事を言うなでした。
しかし、あーこの人は普段はふざけてるけど、修羅場を潜ったんだなと言うのは何となく分かってましたね。
そういう雰囲気って消そうとしても消えないですからね。
年齢が二十は離れてたのですが、お互い友人でした。
今でもですね。家にも何度か呼ばれてご馳走を沢山食べさせて貰いましたね。
一度信用したら徹底的でした。
それから数年後にまたその側でやるとなって、とにかく沖縄在住の炊事婦さんとTさんの確保は一番にしました。
炊事婦さんに関してはなかなか居ないんですよ。
本土の人間の口に合うのを作れて、面倒見も良いって人はね。
沖縄の料理は美味しいですが、家庭の料理となるとやはり毎日ですから、本土の人間には本土の料理ですね。
昔は関東で、大きなクラブか何かをやってたおばさんで肝も座ってるし、人を見る目も有りました。
僕はとにかく可愛がれましたね。
甘いものがあったら隠れて僕にくれたり、名護まで飲みに出るのにそっと車に同い年の作業員と乗せてくれたりです。
隠れて行かないと、あいつらは二人で土曜日になると出るとか変な嫉妬があって、二度目はやりにくかったです。
僕はおじさんの下で何でもやる作業員として置かれました。
ここはちょっと珍しいタイプのコンクリートを練る機械を使ってて、メンテナンスをきちんとしないと壊れやすくてそれを任されたり、当然掘るのもやりました。
おじさんにしてみたら、何でも屋で置いておくほうが重宝したんでしょうね。
Tさんは相変わらず働き者でしたが、一歩下がって掘る方の段取りに回ってましたね。
人間関係が少しややこしくて、そういう位置を選んだんだと思います。
しかし、夜勤になるとしんどうそうでした。
前の頃も夜勤になると手が白くなるんですよ。
振動病です。
長い間振動工具を使ってるとなる病気です。
沖縄の暖かい夜でも、それがかなり酷くなってました。
手をやたらに擦ったり、お湯が有ればそれに手をつけたりしてましたね。
暖めると幾らかましなようでした。
だけどそれが有るからとかで、仕事の手を抜くとか無かったですよ。
機械関係を専門に見る機械屋の人が息子と来てて、この人が非常に扱いにくい自分勝手な人で、何度か僕も言い合いになったり作業員も陰で悪口言ってましたね。
Tさんはその人が居るから宿舎に来ても、直ぐ家に戻ってました。
宿舎に寄るとTさん飲まないとか誘われてたけど、一切断ってましたね。
機械屋の人が嫌だったようです。
二度目は、前に比べたら二人で出掛けなかったけど、それでもけっこう遊びましたよ。
朝礼中には高山ちゃん昨日はエッチしたかとか、そんな事ばかり言う人でしたが仕事はしっかりしてました。
最近も連絡を取るんですが、振動病と前に橋から落ちた事が災いして、夜はなかなか痛みで眠れないらしいです。
外の建設業を六十代になってもやってるようですが、体力的にかなり酷い状態のようです。
振動病と、橋から落ちての怪我とじん肺です。
僕は何度も申請して、何とかお金を貰えと言うんですが、なかなか沖縄では難しいようです。
先に少しの事で取ってる人が沢山いるようで、取れないようです。
これは本土も変わらないけど沖縄は更にですね。
だから、何処かに行って有力者にお金を払って取るとか、或いは病院にお金を払って取るとかです。
十年ほど前まではそういう病院の噂を何ヵ所かで聞いたんですが、それで取った人達の中には不正で取ったとなって、取り調べ入ってましたからね。
中には取り調べ入ると聞いて、六十代で多分自殺した人が居ますよ。
はっきり自殺とは分からないけどね。
本土が十年ほど前はそういうので、非常に荒れたんですよ。
そうなると沖縄では更に取りにくいでしょうね。
正直、ずるして取った人達の気持ちも分かるんですよ。
歳を取って仕事が出来なくなったらどうするかです。
それにトンネルの作業員は腕が良ければ高額な賃金を貰うから、そういう生活になってしまってるんでしょうね。
僕の同い年の作業員も、二十代で高額なマンション買ってますからね。
どうやって歳を取って維持するかになるとずるして取りたくなるんでしょうね。
しかし、ずるして取る人のせいでまともに悪い人は取れなくなってる。
この辺りはどちらの気持ちも分かるけど、Tさんの話し聞いてたら夜は痛みから声が出るらしくて、孫達が怖がってしまってるとの事です。
今ではトンネルの話しをとても嫌がるくらいです。
僕らに恨みはないけど沖縄のトンネル屋たちは早めに取ってるらしくてね。
それもTさんのアドバイスとかで取ってるのに今、では皆知らんぷりするらしいです。
だからトンネルの話しは辞めてくれと、けっこう強い調子で言われて驚きました。
何とか悪い人にきちんとお金がおりるようにと思うんですが、本土より沖縄の方がそういう点遅れてるし抜け道も少ないんだと思います。
トンネル屋が少ないし理解も低いんだと思いますね。
しかし、あれだけ明るかった人が苦しんでるのを見ると悲しいですね。
一つ非常に印象的なTさんの話しがあって、僕が雨が降った後の坂道を小さいタイヤショベルで走ってて、滑ってタイヤショベルと一緒に下に落ちたんですよ。
これは僕の注意不足から起きた事故ですが、僕はヤバイと思って下まで乗って落ちたら数メートルあったし、死ぬなで一瞬で判断して機械から飛びました。
タイヤショベルは少しだけ横に落ちたけど、僕も数メートルを飛んで落ちて頭を強く打ったんですよ。
これはタイヤショベルが違う方向に転がったり、或いは僕の飛ぶ方向が間違えたら死んでますね。
偶然助かったんですね。
僕は一度起き上がって、あー!やってしまったでした。
直ぐ誰かが気付いて救急車呼びました。
その時には意識は戻りかけてて、買ったばかりの作業着を切られてるな、もったいないなでした。
身体の検査と頭の検査をしたら、軽い怪我ですみました。
次の日には確か復帰してますからね。
おじさんは所長でしたから、付いてましたね。
お前は馬鹿かと言われましたが、最初はやはり心配してましたね。
その日の十一時位には宿舎に戻れるで、名護の病院をおじさんと二人で出ました。
そしたらTさんが奥さんと待合室みたいな所に来てて、高山ちゃん大丈夫か?でした。
事故を知って驚いたらしいですが、一度は家で飲んでたらしいんですよ。
だけど、飲んでたら段々心配になってきて、奥さんに頼んで運転して貰い来て待ってたらしいです。
おじさんと僕が大丈夫だと言うと、ほっとしたようで帰りました。
お互い仲良いと行っても、わざわざそこまでして来る人とか滅多にいませんよ。
驚いたのと有りがたいことだなです。
Tさんに何とかお金がおりて、身体が少しでも良くなれば良いなと思いますよ。
年齢は離れてても大事な友人ですからね。
良く遊びに来いよ寂しいよとも最近は言うようになってて、何だか切ないですね。
六十代半ばをもう過ぎてると思います。
そういう人が、苦しまずにゆっくり出来るようにと思いますよ。
それが、政治の大事な役目の一つなのではとも思います。
本土と沖縄では、常に沖縄の全うな一般人は損をしてるように思えるのは、僕だけではないでしょう。
少しでも沖縄と本土の格差が埋まれば良いなと思います。
大好きな土地ですし、大好きな人が沢山住んでますからね。
おわり
📖無名居士のたわ言・・・音楽でひと遊び〜深き淵より
「闇の中」・・・
ある言葉が浮かんでくる
その言葉に出会ったのは
クラシックのある曲を検索していた時
HPのタイトルだった
「深海のように暗く冷たい人の心の深き淵より」
URLを記していたがリンク切れ
掲示板のタイトルが「深き淵へ・・・」
「詩の小部屋」というコーナーに
『深き淵へ』という詩のページがあった
説明書きの一部を引用すると・・・
ルオーの絵画に、同題名の、有名な物があります。
元は、旧約聖書の詩編130編に「深き淵から
主よ 我は 汝に呼ばわる・・。」で始まる節があり、
絵画ならずとも、音楽の主題として取りあげられてきました。
有名なのはバッハのカンタータ第131番(BWV131)です。
その詩の一部・・・
人として生きる運命の鎖
己の内なる暗闇の底
我らが溺れ 迷いながらも
決して 道を踏み外さぬよう
詩を読めば思い当たる言葉が並ぶ
このHPに出会ったことで
「音楽でひとやすみ」に一ページを追加することができた
📖 高山の作品から〜「濡れる女子事務員14」
Aちゃんのシリーズも、出来たらこれを入れて二話か三話で終わらせたいです。
出来たらこれを入れて二話ですね。
ここで、重要なのは、Aちゃんが活躍してる事よりも人から人への考え方が伝わる事と、一人の人間によって流れが変わる事ですね。
それと本物の坑夫が、どれだけのハードな仕事もこなすかと、それを支える人達です。
Aちゃんの物語で有りながら、トンネル物語なんですよね。
トンネル屋を舐めるなよと言うのと、こういう下請け目線のリアルな話しってないですからね。
それも続け過ぎたし、Aちゃんの成長は素晴らしいけど、そろそろ終わりにと思います。
Aちゃんが主に居た現場は、この数ヶ月、一人百万円を越える成果をあげてますが、少し前から坑内の温度が異常になりました。
トンネルは、貫通しない限りは冬は暖かくて、夏は涼しいんですよ。
しかし、あれ暑いなあと思ってたら、最初は三十度程でした。
それでも暑いですね。おかしいなあと思ってて気付くと、四十度を越えて六十度に近くまで上がりました。
あっという間でしたね。温度が上がるのが。
それだけ掘削も進んでるからかも知れないけど、これは、おかしいです。
過去にこういう風に上がった事が、一度だけ有りますよ。
前の話しに出たHとやってた時もいきなり温度が上がって、なんだ!?でした。
調べると地熱です。
そういう山なんですよ。
過去に上がった時は一週間程で下がりましたが、そりゃ大変でしたね。
坑夫は、外の仕事と違って暑さや寒さに左右されないですし、六十度に近いとなると、もう何をするのにも汗だくですよ。
普段も作業着をしぼったら汗が出ますが、今回は水を被ったように皆がなりましたよ。
今は随分下がったけど、三十度の後半です。相当高いです。
元請けが調べたら、高山君この区間は地熱で暑くなるってなってる、です。
それでも、予定の所を過ぎても三十度の後半ですから、JVの所長が役所に調べに行ったり学者に会いに行ったりしてます。
トンネルを掘る前にはボーリング調査をしますが、これが当たった試しが無いって程予想を裏切ります。
良いと思われてた山が全然違ったり、悪いと思われてた山が良かったりですね。
数メートルおきに上からボーリングしてるけど、それで山は予想できないって事です。
だから、中に入ってる坑夫が目で見て感じて、その度にダイナマイトの量や掘削のやり方を変えるんですよ。
それでも、六十度に近くなると坑夫もコンクリート班も、何度も出てきては涼んだり水分を大量に採ったりします。
中に持って行ってる麦茶じゃ足らないし、すっかり暖かくなってるのを飲みたくないからね。
僕も中で仕事してて、こりゃ駄目だなでしたが、坑夫はお金が取れてますからめげませんでしたね。
こういう風にお金が取れてる時の坑夫は強いけど、かなりの期間暑いのが続いてもめげないのは感心します。
コンクリート班も請け負いになってるし、坑夫がそうならめげませんでした。
コンクリート班の方が、一番暑い時は大変だったと思いますよ。
コンクリートは熱を持つし、身体を動かす作業なのでね。
僕は、Aちゃんと手伝いに入ってた時に、外に出たら水道の所にバケツを用意させて上半身裸になって水を被りましたよ。
坑夫もコンクリート班も、余りに暑いから真似をし始めました。
作業着のズボンとかもびしょびしょになるけど、またトンネルに入ると乾くんですよ。
この時ばかりは、Aちゃんが可哀想でしたね。
女の子ですから、脱いで水を被る訳にはいきませんからね。
それでも、僕がホースを繋いで何度か水を掛けましたけどね。
Aちゃん最初は、嫌がってたけど、乾くのに気付いてから
は、わりと僕にホースで水を掛けられるのに抵抗無くなりました。
僕とかAちゃんは、一時的に入るだけなので、まだ良かったけど、坑夫やコンクリート班は段々と食べられなくなりました。
水分は採るけど、食べ物は受け付けなくなりましたね。
それで、とにかく色々な物を用意しました。
水分塩分補給は当たり前ですが、食べ物はお菓子からウィダーインゼリーとかですね。
栄養材とかも用意しましたね。
元請けも対策を色々考えて、風管をもう一つ小さいのを入れたりしましたし、後向き雑工を増やしたりしてくれました。
その分の予算は増やしてくれるらしいです。
風管は中に風を送るんですが、大きいのが元々着いてますし吸い込み用のも有ります。
何故かと言うと、トンネル内は凄い粉塵なんですよ。
この風管が数十分止まるだけで、中は粉塵で暗くなりますからね。
それを風で飛ばして、吸い込んで出すんです。
どの程度出せてるかは、それほど出せてないけど、坑内の空気を常に乱すってのは重要です。
そうしないと淀んで見えなくなりますからね。
トンネル内は、様々な機械が動いてるし排ガスも有ります。
僕は、昔から防塵マスクを首に掛けてるけど、余り本格的にはしません。
それは、班長とかが多かったからいちいち外して、声を皆に掛けるのが面倒だからです。
今でも時々はしますが、飾りのようですよ。
Aちゃんには、しっかりするようにと言ってますけどね。
粉塵を吸うといずれは、じん肺と言う病気になりますからね。
まあ、暑さは一時期よりは引きましたが、予想ではとっくの昔に普通に戻ってないといけないのに三十度の後半ですからね。
坑夫やコンクリート班から、少しずつ休みが出るようになりましたね。
今まで出なかったのが、不思議な位です。仕方ないですよ。
皆痩せましたからね。それだけハードだったんですよね。
たまたまAちゃんと中で作業してたら、元請けの若い連中が測量してて一人がその場で吐いたのも見ました。
彼らも当然慣れてないから、そういうのが出ますよ。
そういう中でAちゃんと僕は営業にも行ってますからAちゃんは、スーツに着替えるのに汗はかいてるしで大変のようです。
化粧もしないといけないしで一度は、高山さん、女がどんなに大変か分からないでしょうと嘆いてましたよ。
僕も作業着を代えますが、女性程の大変さは有りません。
Aちゃんのお父さんとは最近非常に仲が良くて、電話がかかります。
Aちゃんの家の離れを事務所に改造してるのもあって色々話しますが、既にそういう仕事の領域越えた仲ですよ。
帰って来て珍しくバテてる娘の首などを、氷で冷やしてあげてるらしいです。
それと、本格的な散水車がなかなか借りれなかったのですが、Aちゃんのお父さんが漁業で使ってるのを融通してくれると言って来ました。
レンタル料は、普通の半分も行かないです。
お父さんの顔が効いたんでしょうね。
大きい散水車をやっと入れられて、それで定期的に中に水を撒いてます。
一時的でも温度が下がるから、効果は有りますよ。
本格的な散水車がなかなか借りれなかったのは、一つはトンネルだからってのもあったようです。
トンネル屋の機械や車両の扱いは荒いから嫌がられたんですね。
Aちゃんのお父さんのお陰で借りられましたし、ぶつけても気にするなと言われてます。
それと、食欲の落ちた坑夫達に差し入れが続いてます。
魚や貝や海老、蟹だけで無くて果物等も届くようになりました。
Aちゃんのお父さんに果物は買ってるでしょうと言うと、知り合いの八百屋が協力してくれてるらしいです。
小さい地区ですが、Aちゃんのお父さんは、その辺りのボスですね。
家にも何度か泊まりに言ってますが、荒いようで実は繊細で本を沢山読む人です。
最近は、とにかく良く電話が有るし僕もAちゃんのお父さんとは、仕事を抜きで付き合えるから楽しいです。
家に行って、Aちゃんと僕とお父さんとで飲んでたら僕も酔ってたけど、お父さん酔ってたんでしょうね。
突然大きな声で、高山君とにかく死ぬなよと言い出しました。
事故でも何でもとにかく死ぬなよと繰り返して言い出して、奥さんの写真が飾ってる仏壇に線香をあげてくれと言いました。
奥さんが、若くて病気で亡くなってるのを娘二人を育てたから、そういう言動になったんでしょうね。
僕も考えたらAちゃんのお母さんに線香をあげて無かったのを思い出して、仏壇のある部屋に行って線香をあげました。
亡くなった奥さんは、Aちゃんよりも美人かもって人ですね。
Aちゃんが、どちらかと言えば可愛いタイプなら、亡くなった母親は美人タイプですね。
それをお父さんに言うと嬉しそうにして、昔のアルバムを引っ張り出して僕に見せました。
お父さんも若くて精悍ですが、奥さんの美人さに驚きましたよ。
良くまあ、嫁に貰えましたねと率直に言うと、そこからいかに当時はライバルが多かったかを話し始めました。
Aちゃんも知らない話しもあったようで、驚きながら聞いてましたよ。
当時の若い連中は、亡くなった奥さんを皆が狙ってたらしいです。
この中で最も実は、嫌われてのはAちゃんのお父さんらしいてす。
お父さんの激しい性格を嫌ってたらしいてす。
それが、とにかくお父さんは惚れたら一直線で、毎日のように会うようにしたらしいです。
今では、ストーカーと言われても仕方ないと笑ってました。
ある時、船が荒波の中で出て何艘も遭難したらしいです。
お父さんは、まだ、若くて人の船に手伝いで乗ってたらしいです。
幸いお父さんの船は助かったけど、完全に駄目なのが二艘出たらしいです。
その中に、お父さんの同級生で親友が居たらしいです。
その船は見つかったけど、破損が酷くて乗組員も居なかったらしいです。
しばらくして何人かは水死体が上がったらしいですが、その同級生の水死体は結局上がらなかったらしいです。
それで、お父さんは惚れたお母さんの所に行くより、港を何時もうろうろするようになったらしいです。
相当ショックだったと、今でも言ってました。
夜でも夢遊病者のように、うろうろ港をしてたらしいです。
仕事も手に付かなくて一日中そんな状態が続いたらしいです。
ある時、夜にうろうろしてたら奥さんになるAちゃんのお母さんが来て、大声で怒られたらしいです。
何時までそうやって甘えてるのか、とね。
皆が辛いのにあんただけが、辛いような顔をして、凄い剣幕で怒られたらしいです。
そう言われても直ぐに立ち直れないお父さんを、お母さんがデートに誘い始めたらしいです。
デートと言っても映画を観に行こうとか、何かを食べに行こうとかだったらしです。
そういうのが、二ヶ月以上続いて二人は結ばれたらしいです。
お父さんは、お母さんと結ばれると働き始めたらしいです。
そして、直ぐに結婚したようですね。
お母さんは、あんなにしっかり者で荒っぽい人が落ち込んでるが、可哀想になったとの事です。
しかし、元々少しは好きだったのではと思いますよ。
そうじゃないと、人の事をそこまで心配出来ないですからね。
お父さんは、お母さんの若い頃や、AちゃんやAちゃんのお姉さんの子供の頃の写真を見せながら、高山君、生きててなんぼだからな。
死んじゃダメだよと繰り返してましたね。
そこには、親友の死と、最愛の人の死を経験して来たからこそ言える物を感じましたね。
そこから、セックスの話しになってお父さんは、結構遊び人だったのに奥さんに対しては、最初はとにかく良いセックスをしないといけないって言いましたね。
本気で好きだからでしょうが、娘が居る前で良く言うなあです。
しかし、娘も笑いながらフムフムと聞いてましたよ。
お父さんは、最初は意識し過ぎたのをお母さんからそれも怒られたらしいです。
テクニック云々じゃなくて愛情じゃないの、とね。
お母さんは、Aちゃんに似てるかもですね。
わりと本質をずばっと言うのがね。
その日は、Aちゃんの家に泊まって朝、港をお父さんと歩きながら話してると、若い漁師らしき人が相談が有ると言うとお父さんは引っ張って行きました。
僕は、海を見ながら煙草を吸って待ってました。
戻ってくると、若い漁師の恋愛相談に乗ってたらしくて、それも若い漁師が狙ってるのはAちゃんなんですよね。
思わず良くまあ、自分自身の娘を狙う男の相談に乗れるなと笑うと、仕方ないよと笑い飛ばしてました。
だけど、娘は今は、無理だしお前じゃ無理だとはっきり言ったと言って、また笑ってましたね。
港を歩くと、老若男女がお父さんに挨拶してくるのも、いかにも港町のボスだなと言う感じでしたね。
お父さんは、娘が世話になってるのをこの際は無しにして、俺に何かしら出来る事が有るなら言ってくれと言います。
まあ、良くやってくれてますよ。しかし、Aちゃんが生き生き仕事が出来てるから、それが一番嬉しいんでしょうね。
トンネルの方はまだまだ、温度が下がらずに苦戦しながもこういう事が有るからこそ、元請けやお父さんのような第三者まで巻き込んで一致団してます。
それは、掘削班もコンクリート班も負けない姿勢を見せてるから、人が更に助けようとしますね。
これで、諦めの姿勢を見たらここまで助けようとしないと思います。
肝心なのは、そういうファインてイングスピリッツです。
Aちゃんにもそれが、相当有りますし坑夫やコンクリート班にも有ります。
そういう中で、何とか良い方向に行きつつ有るのは幸せですね。
お父さんとの出会いもAちゃんが、居なかったらなかったでしょうね。
Aちゃんが、色々な繋がりを持ってきて強固にしたなと思いますよ。
今後のAちゃんは更にお母さんのように激しく、時には僕を叱咤するかも知れないけど、コンビですからね。
叱咤されないように頑張らないととお父さんに言うと、又笑いながらアイツも相当気が強いからなと僕に下手なウインクをしてきましたね。
次をこのシリーズのラストにしたいと思いますね。
おわり
📖「ガーターベルトの女」の映画化のためにエッセイをお読み下さい・・・「新・ガーターベルトの女 8~Mの色気」
これも、最近Mと話してて思い出した事だが、もう時効だろうから書きます。
フィクションとして読んでくれても良いですね。
Mが、二十四歳で僕とヤクザの友達が二十六歳の頃です。
九十年代半ばですね。
Mの居たスナックで何かの拍子から、新しいサングラスが欲しいねとなりました。
僕は、今は車を運転する時に薄いサングラスを掛けますが、五十代になってから老眼が強くなってから、サングラスに執着は無くなりました。
しかし、二十代から三十代は仕事意外は夜でも、薄いサングラスを掛けてましたね。
好きだったのと、Mが言うには実は相当照れ屋だったから、人に目線を見られるのを嫌ったのではです。
それは、有ると思います。
今でこそ、人と目を合わせてなるべく話しますが、当時は、人と目を合わせるのは喧嘩の時と思ってましたから、結構それを指摘されました。
人と目を合わせるのは失礼と、何故か思ってたんですよね。
そういう訳で当時は、高いのから安いのまでかなりの量を持ってました。
それで、Mの店で新しいサングラスが欲しいと言う話しになりました。
Mは、目が悪いから車に乗る時はコンタクトか眼鏡を掛ける事もありましたが、裸眼でサングラス掛けてる時も多かったです。
僕も、ヤクザの友達のAも目だけは良かったから、サングラス掛けて車に乗ってましたし、大抵二人とも夜でも掛けてましたよ。
Mが言い出したんですが、目の悪いMが、街の眼鏡屋でコンタクトか眼鏡を買おうとしてたら、凄く態度が悪かった所があったらしいです。
それで、腹を立ててそこでは買わなかったらしいですが、その店は他の人間からも店長の態度が悪いと聞いてました。
Mは、その店でサングラスを万引きしようよと僕らに言いました。
僕らは、えー!ですよ。中学生や高校生じゃないんだから、それは捕まったらみっともないよです。
しかし、Mは真面目にあの店はそのくらいされても良いなどと言って、僕らを説得しました。
僕らもMから真面目に言われたら、仕方ないなあです。
そこから、どうやってサングラスを万引きするかを話し合いましたよ。
かなり細かく計画を立てましたね。
店は、それほど大きくは無いし駐車場は有りましたが、違う場所に停めるとなりましたが、車を特定されたくないとか色々ですね。
Aが、主にそのやり方を皆に教えましたね。
中学生の時には、相当万引きしてたからやり方を知ってたんでしょうね。
決行は、日曜日の三時過ぎです。
店の前を通る時に、その時間が一番混んでるからです。
Mには、少しセクシーな格好をして来てと言いました。
秋に入る位でしたから、必ず上着を着てくる事とも言われました。
やり方は、こうです。
混んでる時間帯に、Mが店の人にコンタクトの相談をします。
それぞれ車は一緒ですが、店の駐車場には停めずに、ナンバーには前にも後ろにも泥を塗ります。
それも、普通の目立たない普通車です。
三人で、別々に時間を少しずらして入り、サングラスのコーナーを見ます。
Mが、店員に相談してる間に、万引き防止のミラーから隠れた位置で二つのサングラスを取り上げて見ます。
そして、一つを上着の袖から中に入れて店を出ます。
二つを取り上げて見るのは一つはフェイクで一つだけ元に戻すんです。
もう一つは、袖に入れるんですね。
店を出ても走らずに、ゆっくり歩きます。
当時は、万引き防止のミラーはあっても、防犯の音が鳴るような物はなかったんですよね。
それと、とにかく堂々としておけです。
こそこそすれば、万引きだとばれるからです。
Mがおとりになって、後はシンプルです。
しかし、上着の袖にサングラスを入れるってなかなか難しくて練習しましたね。
Mは、当日タイトスカートにガーターベルトをして来ましたが、下品な感じのセクシーさでは無かったですね。
そうして、最初にMが店員に相談してる間にAは、早くも店を悠々と出て行きました。
流石だなと思いましたが、僕は焦りましたね。
僕は、狙ってた黄色いの高いサングラスを万引きしようとしましたが、なかなか上着の袖に上手く入らずに汗が出ましたよ。
それでも、何とか入れて店を悠々と出るようなふりをしましたが、多分周りから見たら焦ってるのが分かったんでしょうね。
僕が、店を出てゆっくり歩いてると店員が小走りでお客さんと来ましたよ。
僕は、参ったなと思い走ろうかとも思いましたが、開き直って何か?と、相手を完全に睨んで威圧するような態度を見せました。
すると、後ろからMが店員に向かって、他のコンタクトの説明聞きたいんですけどと、思い切り色っぽい声で店員に声を掛けました。
店員は、Mの色気にやられたと思いますね。
それに、僕を多少疑ってても確証は無かったから、もしも違ってたら不味いと言うのもあったと思いますね。
店員は、店に戻りましたよ。
僕は、ほっとしながら小走りで車に乗り込みました。
様子を双眼鏡で見ていたAは、ヤバかったから車で突っ込んで乗せてやろうかと思ったよ、と笑いました。
既に万引きしたサングラスの値札を外して掛けてましたね。
Mは、しばらくするとニコニコ笑いながら余裕で歩いて来ると、車に乗り込みました。
、
Aは車を出しながら、これはMちゃんの取り分と言って、青い色のMに似合いそうなサングラスを渡しました。
Aは、自分自身のと、Mの分も万引きしてたんですよ。
Mは、すごーいと喜びながらそれに比べて、この馬鹿はと僕の頭を笑いながら叩きました。
三人とも万引きしたサングラスの値札を取ると、それを掛けました。
Mが、一番似合ってるようでしたね。
月曜日になってMの居るスナックにAと行くと、お客は居なくてMが笑いながら犯罪者が来たと笑って、自分自身も万引きしたサングラスを掛けて見せました。
今思えば悪い事をしたなあですが、その店の店長は二代目で横柄なので有名でしたから、まあ良いかです。
Mは、今でも車に乗る時には薄いサングラスをしてますね。
僕が、笑いながら盗んだのかと言うと、笑いながらそうだよと答えますが、当時、万引きしたサングラスは三人とも酷使したせいか、壊れてしまいましたね。
Mは、壊れたのを箱に入れて大事にしてると言います。
僕は、これはいつの間にか無くしましたね。
多分、海でも掛けててAと二人でほとんど同時に壊れてしまい、海に棄てたと思いますね。
悪い事ですが、MとAとの楽しい思い出ですね。
今でも、Mが店員を止める時の色気を全面に出した態度を思い出しますし、Aはこの世に居ませんが、悠々と店から出るのを思い出しますね。
おわり
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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
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