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温度と形のある言葉


エッセイをかれこれ3ヶ月も書いていなかったようだ。自分の体感では1ヶ月くらいしか経ってないと思っていたのに。月日が経つのって怖い!
という事でさすがにこれはまずいと頭の中の私が「早よ書かんかいアホ!」と急き立てているので、素直に従って書く。まずは近況報告を・・・。

この3ヶ月は色々あった。年度末なので保育園も新体制に向けてバタバタしていたり、今年に入って毎週曲を決めて振付を作ってみたりスタジオでピアノを練習したり、小説も週に六冊読んで記録することも始めまた。ありがたい事に今年に入って毎月イラストの仕事も頂けるようになった。
その上、初めて文学賞に応募しようと小説を同時並行で何作も書いてたって言うじゃな〜い。
でもアンタ、前日の仕上げの段階で20枚オーバーする重大なミス起こして結局応募できてませんから!!ざんねーん!!!

キャパはあっても段取り下手くそ、斬り!!!
懐かしの波田陽区。どの世代までわかるんだろうか。

という事で、小説の件は本当に悔しかったですがこの通りエッセイを投稿していなかったからといって文字を書くのをサボっていた訳ではないです。
むしろ個人的に新しい挑戦をしていて。で、一旦落ち着いたので今日からまたゆっくりと綴っていけたらと。
そんな今日は言葉を扱う怖さについて。


私は書く・話すといった、言葉を扱う行為につくづく昔から慎重だ。それは今までに受けてきた数々の言葉をしっかり吟味しながら生きてきたから。
言われてとても嬉しかった言葉はいつまで経っても自分の中にあって力になってくれるけれど、それに反して、言われて傷ついた言葉はいつになれど完全に癒えたりする事はなく呪いのように纏わりつき消えてくれない。
形のないものだけれど極端に言えば言葉は希望に燃えていた人を殺す事もできるし、反対に死のうと思っていた人を生かす事もできる。ある意味、ピストルやナイフといった形のある武器よりも恐ろしいものだと感じる時がある。

だからこそ私はそれが怖くて、これまで身体表現やイラストといったノンバーバルな形で気持ちを昇華する方が楽に感じていた。
でもきちんと自分の思考がはっきりしていくにつれて、伝えたい時に相手に伝わる言葉を使える力をつけなければと思って、今はこういった形で挑戦するようにもなった。もちろん普段の会話も言葉を使う際はとても気をつけている。

私は、小さな頃から人から受ける言葉を色で受け止めていました。口から放たれる言葉に温度も感じていたし、それには形もあった。数字や音に色が見えるような、いわゆる共感覚というやつ。

柔らかくて暖かくてオレンジ色や黄色の言葉をかけてもらえるとそれはそれは嬉しかったし、透き通った緑色の言葉をもらえると癒された。冷たく青く硬い青色は好まなかったけど、完全燃焼している炎みたいに溶けて熱い青さの言葉なら信じていいなと思えた。
いつも人の放つ言葉の色や温度を確かめながら、その直感を頼りに付き合うべき友達も選んでいたくらいだ。

それくらいに言葉というものは見極めが難しい。簡単に嘘を孕むからこそ、そこに誠実さを宿らせることはもっと難しいと感じる。


私はよく言葉を使う時の覚悟をアンパンマンに例える。
つまり誰かに元気になってもらいたい時や自分の誠意を伝えたい時に言葉をかけるという行為は、自らの一部を分け与えるということと同義なのだと思っている。
だからこそ血となり肉となった自分の言葉で素直に気持ちを相手に伝えることを私は常日頃から大事にしていて。

世間には色んな人がいる。SNSやインターネットがある現代は言葉なんてどこからでも引っ張ってこれるようになった。
相手を騙せると思って拾ってきた言葉をあたかも自分が言ったように使う人を私は見たことがある。でも普段からその人を見ていればその言葉が当人と釣り合っていないことなんてすぐにバレてしまう。
人の花壇や花屋で盗んできた綺麗な花を束にして「君が好きだ」なんて言われても、本当に大事に思われてるかどうか確かめたい相手はきっとそこで真意を見抜くだろう。でもバレさえしなければいい、言葉なんて気休めに過ぎないと思っている人は何回でもそれを繰り返す。
まあ、そもそもその人の顔がイケてる事に気を取られすぎて花の良さなんかどうでもいいなら、相手がどうであれほったらかしても構わないのかもしれないけれど。

でもアンパンマンみたいに自分の顔の一部をちぎって分けてあげるくらい、言葉を使う事に真摯で覚悟がある人は誠実なのだと思う。
血肉になっている言葉というのはそれくらいの重みがあるものだし、伝えた時に100パーセントは伝わらなくとも相手の中に何かを残しているから。


言葉だからって侮るなかれ。皆さんもどうか言葉は大切に、不器用でも借り物じゃなくて自分の言葉を使ってみてください。世の中にはこんな風に言葉を受け取っている人間も少なからずいるので。


だからこそ私自身もエッセイなり小説なりでもっと色んな言葉の使い方を身体に落とし込んで、もっと気持ちが表現できるようになりたい限り。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。