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平和はどこにありますか

 平和というワードをこれまで何度も聞いてきたし、考えてもきたけれど、改めて口で言うのは簡単でも実現が難しいワードだと思う。
 一番に平和と聞いて脳が直結するのは戦争だ。今も世界は危険と隣り合わせで、いつまでも世界平和というものは現実味を帯びて想像できたことはない。

 8月6日は過去に広島に原子爆弾が投下された日、次いで8月9日は長崎に投下された日。日本にとって忘れてはならない日である。

 現在25歳の私は、75年以上前の当時にはもちろん生きてはいない。
 けれど、学校の研修で原爆ドームへ行った時に見た資料たちの生々しさや、図書館で読んだ「はだしのゲン」の漫画や小学校の時に見たアニメ、そして実際に聞いた被爆した方の話からその事実がどれだけ酷く痛ましいものだったかを識ることはできた。

 ただ戦争のない時代に生まれて生きてきた私たちには想像することしかできないし、実際にその現場にいた人と私たちとでは、余りにも感じているものが違う。なんと恵まれた時代に生まれて生きてきたのだろうかとも思うけれど、その事実を知らない以上は理解しようとする事が必要不可欠だと思う。

 戦争がないという事実が当たり前になってはいけない。この残酷な歴史が後世に連れて薄れていくような事があれば、再び同じ道を繰り返しかねない。今現在だって時代はどう動くかわからないし、先に構える未来など誰も予測はできないのだから。

 生きようとしている者の権利を奪うということは何があっても許されることではない。そもそもこういう考え方を根底に持っていれば、多少犠牲になっても仕方ないみたいな考えにはならないし、戦争など起こるはずがないのだ。
 どんな時代も暴力で自分より弱い者をねじ伏せようとする者がいる。それはとても愚かだし、そのような力で解決しようとしている人間こそ弱者だと私は思う。

 人を理解しようとしないのだ。誰がどんな道を歩んできたかなど、当人には関係ないのだろう。自らのエゴが通れば御構い無しだ。

 戦争と聞くと大きな事に聞こえるけれども、規模がどうであれ身近なところにそれに近い火種になるものなどいくらでも転がっている。喧嘩だって口論だって、いじめだってそうだ。それが国同士の規模になれば戦争みたいな事に繋がっていくわけで。

 だから知っておかなければならない歴史がある事を、今一度確認して勉強していこうと思う。差別問題だってそうだ。
 自分の身には関係ないと思った事でも、これは世界の問題だ。その中で自分が思った事を発信していく事だったり、色んな人の意見を理解しようとするのも自分の中に落とし込むために欠かせない事だと思う。 

 原爆投下という出来事だって大昔に起きたことではない。それを経験した人がまだ実際にいるくらいには私たちの近くで起きたことなのだ。

 昨日何を食べたか、今日何時に起きたか、今週いつ誰に会う約束をしていたか。
 そんな事でさえすぐ曖昧にぼやけてしまうのだから、知識程度に覚えているだけではこの事実は風化してしまう。

 だから、私は生きていく中でもっとこういう歴史について考えたいし、いろんな人と平和という事についてもっと話したいなと思う。


読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。