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結局は、実用性。

もう2月も中旬。年が明けてからもうそんなに経つなんて驚きだ。社会人になって4年が経とうとしているけれど、ここにきてわかってきたことがいくつかある。

今日はそんなエピソードの一つを書く。

一言でまとめると「私にスケジュール帳は要らない!」ということだ。
単純に予定がない寂しい人、ということをアピールしたいのではない!断じて。
日々を過ごしていく中で、自分にとってスケジュール帳は合わないという事を長い経験からようやく実感したのだ。

私自身、大学生になる前の頃から周りの先輩や大人が持っているスケジュール帳というあのスタイリッシュな冊子に少し憧れを抱いていた節がある。
「はい。承知しました。○日に△△駅ですね」と電話をしながらスケジュール帳をおもむろに開いて予定を書き込んだり、友達との約束をするときに取り出して「ちょっと待ってねー」と予定を確認したり・・・。予定があるないに関わらずスケジュール帳を持つ人のその一連の動作がなんだかデキる人を醸し出していたのかもしれない。
「私もそのうちアレを使う日が来るのか」と高校時代から心なしかワクワクしていたのを覚えている。

だが、時が来ていざ買ってみるとどうだろう。
年始は使っていたものの次第に使わなくなっていき、バッグの底に埋もれ、とっくにその存在を忘れた頃に折れ目のしっかりついたスケジュール帳が出てきたではないか!
次の年はいつの間にか物自体が無くなっていたり、一年のうち10ヶ月は予定すら書き込まれていなかったり、予定を書いたのが前過ぎて予定の存在自体を忘れていたり・・・!スケジュール帳の使い方わかる!?と自分に問いただしたいほど使い方が下手くそで。
そんな感じでスケジュール帳を私はこれまで何冊も無駄にしてきたわけだ。

「デキる大人になるって難しい〜・・・」と思っていたけれど、ある時「いや、待てよ。単純に私にスケジュール帳があってないだけじゃね?」と自問したのはいつの事だったか。

私はこれまで何度か書いてきたようにHSS型HSPという特性だったり、軽度なADHDの節もあるので、冷静さを欠いているときに物忘れがひどい時がある。
だからスケジュールを書こうにも、その時すぐにスケジュール帳を出さなければその予定の存在など忘れてしまうのだ。
私は何度もそれで痛い目を見たり、しんどい思いをしたことも幾度かあったので、とある方法を多用していた。それが「手メモ」だ。
ボールペンでやる事を左手親指の付け根に書く。これだけ。なんてシンプルなんだろう。やった事がある人も多いはず。

でも手メモの弱点は直近の予定しか書けない事。かなり先の予定に関してはやはりスケジュール帳に頼るしかないのか・・・と思っていたのだが、そういえば普段から他にも無意識に使っているものがあった。
iPhoneのリマインド機能。先のことまで時間指定で記録できるし、なんせすぐに予定の確認も書き込みもできる。え、これは私にとって無敵アイテムやないか!

そんなわけで頭の中のモヤモヤはパッと煙のように消えた。毎年「今年こそは」とあんなに意気込んで買っていたスケジュール帳も、去年から買いもしないようになった。

実際スケジュール帳がなくとも、手メモとリマインド機能を使い分けているおかげで予定をすっぽかしたことは一度もない。


予定が入ったらすぐに書く。毎朝毎晩、先の予定を確認する。この習慣をコロナ禍でがっつり身につけた私は、いちいち面倒な事をしなくても生きていける事を知った。

周りのみんなが使っているから使っていないと変な目で見られたり、出来ないヤツだと思われるかもしれないと思う場面って日常でもしばしばあると思う。でも自分がきちんとこなせるやり方を周知しているのなら、そんな事は全く気にしなくていいとも思う。
数年前の私のようにスケジュールを書くだけ書いて、予定の存在を忘れて約束をすっぽかすような「書くだけ詐欺」になるよりかは、自分が絶対に忘れない記録の仕方を普段の習慣から探すほうがよっぽど実用的。

そんなこんなで今年は、スケジュール帳がなくても自己管理のデキる大人になりたい所存だ。

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読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。