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やりたい事で生きていくために

今年で26才を迎えたが、去年やりたいことがぐっと明確になってきたおかげでとても有意義に時間を過ごすことができている。
私は現在、非常勤のような雇用形態で保育園で働きながらこのようにイラストやダンスや文章といった形で日々ものづくりの勉強をしている。
ある程度自立した年齢だし「え、そんな働き方でお金とか将来とか大丈夫なん?」と人によっては突っ込まれそうだが、「安心してください、生きてますよ。(某芸人風に)」と笑って言えるくらいには、とにかく明るく前向きに生活できている。


先日のエッセイでは人間関係の取捨選択について書いたが、今日はそんな私が人生を送る上で関係を大切にしている人たちのことも合わせて書こうと思う。

私たちの世代は、YouTuberだったりフリーランスになったり昔と比べると自分で職を選ぶのが楽になった世代だとは思うのだが、依然として大学四年時に見かけたのは就活の時期になって進路に悩む同級生の姿だった。
自分は何度かエッセイで書いてきたように、いじめられたり蔑まれてきた過去を通して自身がXジェンダーである事や表現分野に興味があることは分かっていたので就活には向いていない事を大学二年くらいで感じていた。

なので早々に保育士の資格を取ったり教員採用試験を受ける方向へ振り切るようにした。

思えば卒業してからかなりの同級生や先輩が就職先の仕事が合わず転職したり、辞めて新たな職種を探していたように思う。それくらいに仕事とモチベーションがうまく合致するのは難しいものなのだとも。
仲のいい友人の先輩が「内定もらってもその企業や他に目指していた企業に対してちょっとでもモヤモヤが残ってたら途中で絶対辞めたくなる」と言っていたのも覚えている。実際はその職種のスキル以上に人間関係という悩ましい問題まで入ってくるのですから厄介なものだ。

学生当時は友達と遊び呆けている人を羨ましいと思う部分もあったが、今となっては学生時代のうちに内側にいる自分と対話できていたのは非常に大事な作業だったのだと実感している。
結果として、やはり表現を生業にできるようになりたいと思いこのような生活を送っている。


正規職員ではないので稼ぎは決して多くはないし、住んでいる家も格安物件だ。ものづくりだってまだ修行の身なので生業にするにはまだまだ地道に頑張らないといけない。ただ、そこまでしてもやっぱりやりたかったのはこっちだと年々確信に変わっている。むしろ職場で抱えた少しの蟠りや陰りが表現によってうまく昇華されているくらいなのでありがたいくらいだ。

そこで初めの部分に戻る。周りの皆が真っ当な企業に勤めている中でこんな不思議な選択をするには勇気がもちろん要るものだったが、それでもこの道を選んだのは間違いなく、近いことをやっていた同胞が周囲に圧倒的に多かったからだと実感する。

音楽が好きで色んな楽器を始めセッションや編曲をしている子、古い物が好きで骨董市や蚤の市で集めてきたものを並べて個展を開いたり売っている子、海外の大学院へ行きインターンを経験した後に非営利団体へ所属しテロや紛争の解決に取り組む子、獣医を目指して大学で学び国家試験に合格してさらに勉強をしている子・・・。


皆お金や安定以前に自分はどこを目指したいのかがはっきりしている友人が多かったことが、堂々とやりたいことができている現在に繋がったのだと思う。

周りにいる友人がもしパートナーの有無や家庭の裕福さや年収なんかでマウントを取るような人間だったら、間違いなくこの選択をすることに躊躇していたはずだ。
なので改めて自分と似た部分を持っている同胞に感謝している。そして最近はとても仲のいい友人たちも新卒で勤めていた会社を辞めて転職の末に自分のやりたかったことを見つけた。そんなキラキラしている友人の姿にはさらに元気をもらう。改めて身近にいる存在は大きいなと。

やりたいことがないという人もいるかもしれないけれど、無理してまで探す必要はないと思っている。生きていること、それで十分だと思う。ただ、やっぱり今やっていることは自分のやりたい事と違うとどこかで思っているなら頭の中の自分と一度対話してみてほしい。

パートナーだったり家庭を築くこと、役職が上がることや買いたいものが好きなだけ買えるくらい稼ぐことで生きがいが出てくる人もいるだろうし、思い切って全然やったことのないジャンルの物事に挑戦してみるのもいいかもしれない。やる事が多すぎて手が回らないのなら、あえて思い切って何もしない時間を作ってみるのだって一つの手だ。


兎にも角にも、自分の人生。大切にしていきたいものだ。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。