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空や海への畏怖

 空と海、何気に遠巻きには見ることはあっても、それに近づくことは滅多にない。
 
 大阪の田舎に生まれ育った時も、通っていた学校も、大学生活をしていた場所も山ばかりの場所だった。
 だからなんだか、空とか海は景色として眺めているだけの対象だったし、どちらか画面を通して見ている方が多かったように思う。

 けれど、一人で色んな所を旅するようになった時、空や海に近づくという感覚を久々に取り戻した。

 飛行機に乗った時、どんどん立体模型のように小さくなっていく街を見下ろしながら登っていった時、いつも真下から見ていた雲たちを真上から見た。
 ずっと太陽に照らされているそこはとても美しかった。果てしなくまっすぐ白い絨毯が続いていて子供の頃夢見ていたみたいにそこに乗っかれる事さえ出来ると思った。

 でも対象的にこの下は太陽も当たらず暗い影を落としているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。ただ太陽の光の恩恵を私たちは無意識に受けているのだなあと思いながら空を浮遊していた。

 海もそう。10年以上ぶりぐらいに波打ち際まで行った。砂浜には貝殻の破片が落ちていて歩くたびにザクザクと音を立てた。波は穏やかなのに、思っている以上に際まで到達する頃には勢いがついていて気を抜いたら足元を濡らしそうだった。
 
 しゅわーっと炭酸のように弾ける泡を残しながら砂へ消えていく波。向こうを見やるとそこにも果てしない水平線が広がっていた。とても美しいその海をどこまでいけば向こうの国に行けるだろうか。

 肌身で感じた瞬間にいつも察知する。美しければ美しいほど恐ろしさも併せ持っているけれど、近くに行ってまざまざと現実を味わった時の感情には、やはりどんなに鮮明な画像も勝れない。
 
 ただ、それ故の副作用もあるけれど。
 空に関しては、私は気圧というものに弱い上に乱気流というやつにやられて、この前帰りの飛行機を降りた後に一日高熱を出して寝込んでしまったし、船なんてのはもっと恐怖がありすぎて未だに乗った事がない。

 飛行機はかろうじて行けても船は難しいかもな。
 海は素敵だけれど、金槌の私は波打ち際までで十分だ。


読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。