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アートは人を子どもにする/一日一微発見157

巨大台風が、九州をかすめて朝鮮半島へ抜けていった。ビーンボールのようだった。


また暑さがぶり返すだろうが、気配は急速に夏の終わりを示している。観測史上稀に見る長雨と猛暑(そしてコロナ)の夏は去った。

太陽が陰り、気温が少し下がっただけで、こんなにも心身変わってしまう。気温変動は、命にかなり決定的に影響する。
さて、シフトのとき。

これからは、クリエーションいや、リ・クリエーションについて考える日々を送りたい。
それは、コロナのエフェクトと言ってもよい。
最悪を最善に変成することさ。

先日、社会学者のブルーノ・ラトゥールの著作『地球に降り立つ』を読了した。でも正直、あまり元気にならなかった。

いつもそうだが、アクターネットワークセオリー(ANT)の本は、「考え方」をリモデルしてくれるが、「光明」はそこに現れないのが特徴。ANTに恨みはないが、光明がないのが、我々が生きている特徴であり、宿命だから思想に万能を求めてはいけないか。

ANTの人たちがやっている事は、近現代を別の記述にリライトしてみせることで、決して人を「解放」や「エンパワー」するものでは無い。ラトゥール自身もはっきり、期待するなと、言っていたはずだ。

この本で彼が出した解は、「テレストリアル」と言う言葉を使おうよ、と言うことにつきる。
これだけと言ってもいい。

異常気象の異常が、あたりまえになり、それが世界の政治支配体制に、決定的な影響を与える時代。

エコロジーというモダニズムのカウンター図式を払拭して、近現代の迷妄を捨てて地球と出会う時だと、ラトゥールはいうのである。
正しい、全く正しい。

言いたいことはわかるが、まどろっこしくもある。クリエイティブかと言われると、まあねという気分。
ポスト資本主義批判も、まどろっこしい。
どうしたものか。

デモに行く? 潔く高波にさらわれ水没する? サトリ? それとも小さなエスケプの小舟でも用意する?

何がクリエィティブなのだろう。
話は全く飛ぶ。

史上最もリスペクトするべきアートプロデューサーは誰かな、といつも思い返している。

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