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ローリー・アンダーソンのVRで月に行く(国際芸術祭あいち2022)/一日一微発見331

芸術祭にはテーマやキュレーターによる構成の意図があるが、体験する側には「自由度」がある。

アートのよい所は互いに「正確」を求めあうのではなく、オープンである自由度があることだと思う。

しかし、とりわけ「現代芸術祭」となるとなぜか「難解で意味がわからない」と言い出す人もいる。「感じたり」「楽しんだり」よりも、「理解する」を優先した教育や生き方の結果なのだ。

国際芸術祭あいち2022でも正直、ぴんとこない作品もあるけれど、キュレーターが観客が遊べるところをうまく創っているなと思う。これはキュレーターの腕だ。

「パフォーマンス」という一過性のアートフォームを重視している作品が多くあり、その視点が通底音のように流れているのを感じる。

つまり、Still Aliveという表だったテーマとは別のレイヤーで、「パフォーマティブ」というキュレーターによる隠しテーマが流れているのを、ところどころで感じるのである。

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