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アートを生む京都という場所について/一日一微発見258

コロナが引き金になっているのか、京都に転居してきた友人が何人もいるのを見ていると、奇妙な気持ちにもなる。引っ越してきてどんな気持ちでいるのだろうか、と。

たしかに古都である京都への抑えがたい憧憬はわかるがしかし、住めは都というけれど、住めば住むほど、その複雑にひしゃげた時空に諦めもし、その諦観のはてにマゾヒステックになりもするだろう。
まあ、それを楽しむのが京都なのだが。

そうここは、初めは息盛んな健康児でも、萎えさせる宿命の街でもある。

先輩ヅラしたいわけではない。
本音である。
僕は大学生の時から京都に暮らし、その後も縁あって何度も仮家を構えたりしているから思うのだが、別れたくとも別れられない女性のような感じでずっと付き合ってきたように思う。

ならば、止めればよいのだろうが、それならばこの街に来なければよいし、来たならば、その愛憎や薄情の味を知らなければ一知半解で終わりなのである。

先日京都京セラ美術館(未だに慣れないヘンな名前だ)で行われた展覧会「コレクションとの対話」に行った。
そこでまさかの「加藤一雄」の部屋に迷い込み、氏に再会して、なおのこと「京都というアートの場所」の宿命を改めて思った。
加藤一雄こそは、その宿痾の街の生き方を僕に伝授した人の一人であると思う。

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