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アレクサンドル・ロドチェンコ『 Alexander Rodchenko』/目は旅をする024(写真の未来形)

アレクサンドル・ロドチェンコ「Alexander Rodchenko」PHOTO POCHE/CENTRE NATIONAL DE LA PHOTO GRAPHIE刊


僕の写真遍歴は、おおよそ写真専門家たちとは随分異なっているだろう。
まあ、写真を通史的に学ぶならジョン・シャーカウスキーが編集した名作選『Looking at Photographs』(1973)やMoMAの写真部門の初代キュレーターだったボーモント・ニューホールの本『 The history of photography 』(1949)あたりから入るのがスジというものだろう。

しかし僕は「革命好き」(笑)だったせいもあり、高校生の時のヒーローはロシア革命の詩人マヤコフスキーであり、アートにおけるヒーローはダダイストたちだったから(ちなみに大学の卒論はデュシャンである。今から思えば思いつきの走り書きにすぎなかったが)、はなから美術史・写真史からは「逸れていた」。


だから写真にのめり込んで行ったのは、東京に出てきて編集者として仕事をし、社会にまみれながらであった。

この「フォトポシェ」シリーズの「ロドチェンコ」の巻を買ったのは、1983年のことだ(フォトポシェは、我が敬愛する編集者ロベール・デルビールの腕が冴え渡る発明だ)。銀座のイエナか、青山の島田書店か。

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ロドチェンコは「写真家以上」の何者かとして(リシツキー的に言えば「構成主義者」)僕の前に出現していた。
ちょうど70年代末から80年代にかけては、パンクムーブメントが起こり、ニューウェイブやテクノが渾然一体となった時代であり、20世紀におけるアヴァンギャルド・アートが再発見された時期でもあった。

それはグラフィックデザインにもインパクトを与えた。
東京では奥村靫正や井上嗣他が、ロンドンではファッション誌『THE FACE』でネビル・ブロディが、同時多発的にダダやロシアアヴァンギャルドのアップデートに挑戦していた(ちなみにブロディは、テクノバンドその名も「キャヴァレー・ヴォルテール」のジャケのデザインもてがけている)。

このような流れの中で、僕のマヤコフスキー熱も再燃する。
紙を貼り合わせたホリゾントの前で椅子に座るマヤコフスキーの有名な写真は、ロドチェンコが撮影したものだ。

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