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おじさん

フリーランスになって1年半。
部屋に「おじさん」が来るようになって2年が過ぎていた。

おじさん。

週末になると私の部屋に来るこの人を、社会的な分類では「彼氏」と呼ぶのかもしれない。

でも私は、どーしてもその言葉は使いたくない。

2年前に偶然知り合った9歳上のこの人は、見た目も話し方も、デジタルに疎いところも、年齢差ゆえの距離感も、全部ひっくるめて「おじさん」と呼ぶのが一番しっくりくる。

お互いに「自由」が大好きなおじさんと私は、別々の部屋に住んでいる。おじさんは、週末にしか来ない。

それでいいと思っているし、それ以上来られたら困る。
なぜなら私は、おじさんとの生活に耐え難いストレスを感じているからだ。

おじさんは私の部屋の秩序をこわす「異物」だ。

服は脱ぎっぱなし
食べたら食べっぱなし
靴下履いたままベッドで寝る
汗かきだからソファがしっとりする
汗でびしょびしょの洗濯物を私のと一緒に洗う
洗濯物の干し方が下手くそでお化け屋敷みたいになる
トイレに入ると最低でも15分は出てこないので予定が狂う
食べきれない量のご飯や酒を買い込んで冷蔵庫をパンパンにする
そしてその詰め込み方が汚い!!奥の野菜が取れないんだよ!!!

ストレスがたまるだけなので、最近は週末が近づくと「今週はセパレイトで🙏」とLINEしている。(「了解……👴」と返ってくる)

本音を言うと、今すぐバイバイしたい。

おじさんがなぜか置いていく、大量の服・靴・タオルを全部ダンボールに詰め込んで、一気に着払いで送り飛ばしたい衝動に駆られたことは、まぁ100回はあると思う。

それなのに。

おじさんが来なかった夜には「やっぱり来てもらった方がよかったかも」と思ってしまうことがある。

なんてことだ。

こんなに腹が立ってるのに、なんで私は、そんな風に思ってしまうんだろう?

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今の私の生活は、おおむね問題なく進んでいる。

会社員の頃に感じていたストレスが100だとしたら、私はおそらくその全部を取り除くことに成功した。

好きな仕事を選び、好きな部屋で働く。それが今の私だ。

じゃあ、今私は最高に満たされているのかというと……

思っていたような感じではなかった。すべてのストレスを排除した先には、快適な暮らしが待っていると思っていた。でも、そうじゃなかった。

私を待っていたのは、「特に生きる意味のない」日々だった。

人間関係には2種類ある。
替えが効くものと、効かないもの。

仕事でのつながりは、替えが効く人間関係だ。

私と同じような単価で、同じような人あたりで、同じようなレベルの文章を書く人と、私はいつでも簡単に取り替えられてしまうだろう。

レベルの高低は関係ない。どんなにレベルの高いライターになったとしても、同じくらいレベルの高いライターがいる限り、どこまでスキルを磨こうとも、いつまで経っても私は「交換可能」だ。

ただ、替えが効かない人間関係もある。それは友人とか、家族とか。(会社員はその中間)

例えば、自分の子どもと同じくらい可愛い子がいても、その子と自分の子を交換することはできないだろう。子どもの代わりはいない。その子に何ができても、できなくても。

先日、三宅陽一郎さんが取材でこんなことを言っていた。「人は生まれてから、世界とつながりをつくる。そのつながりによって、生きるリアルを感じている」と。

「つながり」は、人間関係とも言い換えられると思う。

家族や友人のような、替えの効かない人間関係は、お金にはならないかもしれないけど、生きる理由になる。反対に、替えの効く人間関係は、お金を効率的に稼ぐのには役立つけれども、生きる理由にはならない。

フリーランスの私は今、どこにも属していない。一緒に生活する家族もいなければ、毎週会うような同僚も友達もいない。つまり、「替えの効かない人間関係」を、今の私はほとんど持ち合わせていない。(悲しすぎるwww)

ただ「私だから」という理由だけで、私に会いに来てくれる人。
そんな人は、おじさんただ一人だけなんだ。あぁ(泣)

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でもやっぱり、おじさんが家に来ると、めちゃめちゃストレスがたまる。食べたものを片付けずにソファで即寝してる姿を見ると、どうにかして殺りたくなる。

でも残念ながら、そういうしょーもない時間に、私は「生きるリアル」を感じているのだろう。

おじさんのいない暮らしは、晴天の日のように穏やかかもしれない。でも、そういう日々に、生きる意味は感じられない。まるで台風のように全てを掻き乱すおじさんこそが、私に生きる実感を与えてくれていたなんて。あぁやだ……もう本当にやだよ……

いや……待てよ。そういえばおじさんは、職場の人たちに「世田谷区に住む」「9歳下の女の家に通っている」と、自慢していると言っていた(愚か)。

ということは、おじさんにとっては私も、「交換可能」なのかもしれない。「世田谷区に住む」「9歳下の女」が他にいたら、そちらで良いのかもしれない。でも、それはお互い様だ。

私だって、いつでも乗り換えてやる覚悟はある。

おじさんと違って、食べたあと食器をちゃんと片付けて、脱いだ服は洗濯カゴに入れて、洗濯物はキレイに干して、トイレはさっさと済ませる人。

でも、おじさんみたいに、友達に愛されていて、ジャンクフード好きだけど高級料理の味もちゃんとわかってて、膝がボロボロでも目があんまり見えてなくてもサッカーが大好きで、普段は痩せろってうるさいけど挫折したら「また頑張ればいいよ」って言ってくれて、エクセル全然できないけどお客様から絶対に逃げないから職場の人にすごく頼りにされていて、筋肉モリモリの図体からは想像もつかないような美しい文章を書く。

そういう人を見つけたら、私だっていつでも乗り換えてやるんだ。

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