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孤独が気楽で楽し過ぎるウルグアイ駐妻

駐在妻生活も残すところあと5ヶ月余りとなった。2019年にこの国に来た当初、知り合いが全くおらず同じ立場の駐妻もそんなに多くはなく、「なんで私だけこんな思いをしないといけないの・・!」と孤独に押しつぶされそうな毎日を送っていたのを思い出す。

1年半が経過した今思うこと。

何これ孤独って楽しい!超楽!これ以上人間関係を広げたくない(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

凄まじい心境の変化を遂げたのであった。久しぶりのnoteは「なぜ孤独が楽しくなっちゃったのか?」そんなお話です。

人と比べる必要がない世界

孤独は言い換えると自分基準。全てが自分中心に回っている。だって自分しかいないから(自己中か)。日本では絶対着れないような服を着て(←どんな服)、堂々とスッピンでスタバに行き、平日の真っ昼間から街に繰り出して優雅に過ごす。

日本では全部できなかった!!!

だって服装に関しては似合ってるかな?体型が出てないかな?って気にしまくってたし、スッピンで出歩くなんて世間が許さないと思ってたし、平日の昼間から堂々と街で自由にしてるなんて「は?仕事は?」とか思われそうだし(被害妄想乙w)。

結局私は人の目を気にし過ぎる典型的な日本人だった。だからこそ、知り合いがほとんどいない、良くも悪くも他人のことを全く気にしないこの世界が居心地良いし、人の目を気にする必要なんて全くないということに今更ながらに気づいた。

というか、誰もお前のことなんか見てねーよ!ってことに気づいた。

たぶん帰国しても、堂々と好きな服を来てスッピンで平日の昼間からスタバで高いドリンクをキメながら優雅に読書とかできると思う。

「駐在妻」という立場からしても、人と比べることを辞めたらすごく生きやすくなった。(↓↓こちら参照)

できるだけ少ない人間関係に埋もれて生きていきたい

日本にいた頃は、所属コミュニティーの多さが美徳だと思っていた。家族、地域、友人、仕事。それぞれに私の居場所があり、それぞれが私を必要としてくれている。そんな生活が好きだったし、そんな自分を誇りに思っていた。

でもなんだろう。

人と関わらないってこんなに楽だったんだ(*´∀`*)

この国に来て生まれて初めて気づいたきがする。持ち前の社交性が失われたわけではないけど、できるなら今後もできる限り人と関わらずに生きていきたい(ヤバいw)。

1年半前、「孤独だ、1人が寂しい、誰も私を必要としていない、社会に貢献していない私って何なんだ、ワー」と夫の前でよく泣いていた日々が懐かしい。まさか1年半でここまで自分の心境が変化するとは思ってなかった。

帰国したらまだ徐々に順応していくのだろう。それまでの少ない時間、この小さな村みたいな国で孤独を謳歌したい。

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