MIU404 視聴想査隊~信疑に揺れ真偽を追う、第2話初動報告~

前回はこちら。

変わらず観た人向けです、スタンスなどは前回記したので省略。
ちなみに前回、僕の記事の中でも群を抜いてPVが多いです。旬ドラマの力……リピートで読んでくださる方もはじめましての方も、ありがとうございます。

早速、第2話について。

展開の振り返り~「信じる」を問う奇妙な追跡劇~

複数の事件が並行して動いていた1話と比べると、今回は状況展開としてはややシンプルでした。その中で多面的な心理描写を展開したとも言えます。まずは時系列に沿って振り返っていきましょう。

・発端:事件の通報と不審車遭遇

志摩&伊吹が巡回から帰還してから桔梗隊長の退室を見送る、という一連のシーン。常に軽妙な台詞回しを用いて和ませつつ、平時の隊員たちの間合いを提示し、さらに機捜の立ち位置を復習してビギナーをフォロー。手際がいい。
再び彼らが出るまでに、絶え間なく飛び交う警察無線や車からの映像を挿入。1話でもありましたね、非番の間も「常に誰かが動いている」ことの提示でしょう。

そしてメロンパン車での巡回中に、不審な車両を発見+殺人事件発生の入電。伊吹の直感を基に追尾開始……ここまで8分、性急すぎずダレもせず、キャラ間の掛け合いもしっかり見せながらセッティング完了。「やっるう」

前回の記事で、伊吹は情報へのアプローチが独特という話をしたのですが、今回もそうでした。勘違いしたJKに構うような、本来なら余分な視野も持っていたからこそ、隣の車からの視線にも反応し、一瞬だけ見えた容疑者(加々見)をインプット。「本来なら」偶然と片付けられそうな伊吹の情報を志摩が棄てなかったのは、前回の反省もあってでしょうか。

もう一つ、殺人現場より。遺体の胸元にタオルが当てられていることに、皆さんは違和感を抱きましたか?
誰かが止血を試みたのか、じゃあ誰が……ということが気になっていた方は、終盤での納得がより鮮明になると思います。ちなみに僕は2周目で気づきました、推理しながら観るタイプではなかったもので。

(ちなみに今回、「ふわふわ」「ゆるふわ」というワードが頻出していました。可愛い響きを言わせたかっただけかもしれませんが、布石かも?)

・展開-1: 不審車へのアプローチと、車内の関係性の変容

検問に遭遇し、お父さん(将司)が息子(将則)の名前を出して切り抜けたのをきっかけに、車内の空気が変化します。
続いて陣馬&九重の聞き込みや、志摩&伊吹の「信用」を巡る会話で今回のテーマを提示しつつ、ハラハラに傾いていたテンションをクールダウン(会話の内容というより、演出や音楽による調節ですね。引っ張りぱなしは疲れるので)

再び緊張に傾けながら、夫妻が加々見を亡くなった息子に重ねていること、(加々見に脅されての)受動的なムードから(加々見を案じての)積極的なムードへの変化が描かれました。「被害者」と「親」の表情のスイッチがお見事。
加々見の否定や、回想で描写された(仲間を案じ、上司に懸命に抗う)姿が、「加々見は犯人ではない?」「加害者であったとしても、殺意はなく不慮の事故?」への誘導になっています。実際に何が起きていたかが、終盤まで明かされない。
ただ、加々見=無実説が強まるにつれて、「じゃあどうして脅迫してまで逃げている?」という疑問も強まります。「どう解決する?」「どうして逃げている?」「本当は何が?」が一緒くたになって視聴者を引っ張り続けるのが今回の背骨ですね。

そして志摩が動きます。1話で伊吹に仕掛けたように、将司を騙して車内にレコーダーを仕掛けるのに成功。このバディ、行動の方向性を決めるきっかけは伊吹が見つけ、それを補強する手段を志摩が考案する、というパターンが多いと思います。1話でも、伊吹がエンジン音からターゲットを推定し、志摩がスパイダーへの協力を思いつくという流れでしたし。

これによって、逃亡者サイドの会話が追跡者にも伝わるようになりました。これだけ情報が取れるようになれば、解決への大きな糸口になる……と考えたのですが。後から振り返ると、「犯人をどう捕らえるか」ではなく、「疑者をどう捉えるか」をバディにも問わせるための仕掛けでしたね。その点でも、今回は解決過程よりも心理描写を重視しているように思いました。

・展開-2: 奇妙な共犯&共感関係の加速と、想定外の反転 

加々見から来歴が語られ、さらに岸という第二の候補(しかももっと怪しそう)が現われたことで、加々見への共感、無実という印象がさらに強くなりました。視聴者も、田辺夫妻も……岸が犯人というミスリード、加々見というより夫妻によって行われていますね。「信じたいように信じる」の一面。
ここでの会話はバディの議論につながり、「信じる/疑う」の構図が改めて鮮明に。伊吹の「自分は疑われてきたから、信じてやりたい」に対し、志摩は「疑うのが警察の仕事」と主張。今回の精神的な争点ですね。

そしてシーンは道の駅へ。
家族の過去が明かされることで、夫婦が加々見を案じる理由が提示されます。奇妙な心情変化の背景であり、今回で最も重い「信じる/疑う」のエピソード。それを耳にした全員(加々見とバディ)に、夫妻への共感が芽生えたでしょう。

それを好機と捉えたのか、伊吹が確保に動きます。
ここでの格闘について。加々見は凶器を取り出しはしたものの、抵抗らしい抵抗を行わないまま、先に動いた伊吹に拘束されかけます。(フィクションにおける)この手の確保シーンでは、焦った容疑者が攻撃か逃避を図り、追う側はその動きを利用して技を掛ける、いわゆる「後の先」パターンが多いイメージなので、加々見の動かなさは印象的でした。
合わせて、「こいつには人を殺せないな」という印象がさらに加速。

ちなみに。全編を通して、加々見は凶器を左手に持っていることが多かったです。幼少期は鉛筆を右手で持っていたので、本来は左利きだけど矯正されていたという描写なのかな……と思ったら、演者の松下さんが左利きだそうで。左利きのキャラがいること自体は自然(右利きに揃える方が不自然)なのですが、同一キャラの別演者の間では整合性をとって欲しい派です。実際に幼少期に矯正されていた可能性も高いですし、そう捉えた方が加々見家らしい?

という訳で負傷者もなく、脅迫逃亡事件は無事に解決、と思いきや。

まさかの、夫妻がバディを妨害するという展開に。
伊吹も志摩も、本気で反撃すれば振り払えたはずなのですが。夫婦の過去を聞いて情が移っていた、年配者への手荒な真似に抵抗があった……あたりの理由でしょうか、とにかく加々見を逃がす結果に。
「車を追っていればいい」という状況が覆され、一気に緊張感が加速します。

・収束: 裏切りと希望と

聞き込みのシーン、夫妻が完全に加々見を庇う側になったのを見せつけてから、伏せられていたカードが返されます。情報提示のタイミング、上手いというか意地悪というか。
まずは第二の容疑者の岸、無実濃厚。
続いて現場の物証、加々見=犯人が濃厚。
そして加々見。ホームセンターでの包丁万引き、服への返り血。

加々見が犯人であるという根拠のコンボ、一般的な推理物なら「よっしゃ逮捕だ」につながる、爽快感のあるシーンになるかもしれません。しかし今回は、切ない音楽に乗せて悲痛な表情で語られていました。解決ルートである以上に、「信じていたのに裏切られる」ことが突きつけられるからで。

そんな悲痛のムードのまま、実家での最終局面。包丁を手にして徘徊する加々見に、幸いにもバディは追いつきました。真相と動機の提示……動機というよりも背景ですね。「なぜ殺したか」ではなく、「なぜ殺してしまうほど追い詰められたか」なので。

明確な殺意はなかったものの、逆上して、あるいは危険を感じて突発的・事故的に殺して「しまう」パターン自体はドラマでよく見かけます。寧ろ、計画的な殺害の方が少ないような。
その後に被害者の救命を目指すのは、やや少ないですが(事態の収拾としての)防衛本能として理解できる。
しかし、絶命が明らかになったまま、ずっと現場で茫然としている……という行動はかなり珍しいのではないでしょうか。
目撃された時点で逃走し、田辺夫妻を利用して山梨を目指す訳ですが。改めて考えてもちぐはぐなんですよね、父を殺しに行くなら行くでもっと早くから動けばいいので。しかしこの非合理さ、原因と行動が整然と結びつかない混乱状態こそ、「犯人」になってしまった人間の心理として妥当なのかもしれません。この非合理な行動が加々見自身の絶望を表わしているのは確かですし。

ともかく、追いついたバディによって加々見は確保。前回の反発ぶりと対照的に、今回は志摩が伊吹に手錠を託すという流れでした。主題歌が流れるタイミングもやはりここでしたね。
ただ、今回の「解決」は逮捕の瞬間というよりも、田辺夫妻が加々見に謝り、再会を約束した瞬間にあると思っています。「一度も謝ってもらっていない」への救いとして。

機動捜査隊は「誰かが最悪の瞬間になる前に」事件を解決に導くことができる、それでは今回の「最悪」とは何だったのか。
人質の死傷、犯人の取り逃がし、復讐殺人……というように引っ張りながらも、最終的には加々見の自殺だったのだと思います。父の不在を察し、燃え尽きるように自死を選ぶという結果。
バディが間に合ったことで、それは物理的には止められました。しかし精神的に彼を人生への絶望から救ったのは、田辺夫妻の謝罪……自分たちを危険に巻き込み、同情につけこんで騙しさえした人間に対する、非合理な、それでも真心のこもった言葉だったのだと思います。

苛酷なハラスメントや虐待の被害者であったとしても、殺人が許される訳ではない。罪は償わなければならない。それでも、加々見には「その先」がある。罪を償ったその先を、きっと彼は絶望することなく生きていける、そう予感させるラストでした。

ここからは、テーマごとに掘り下げていきます。

「信じていれば」と「信じていたのに」

田辺夫妻の抱える後悔は、息子を疑い自殺に追い込んでしまったこと。
加えて、加々見の背景にも「信じてくれなかった」は関わってくると感じます。子育ての中で親が折檻に及ぶ(複合的な)理由の一部には、子供を信じられないことがあると思うので。「こんなこと(ゲームとか)をしては正しく育たない」「こうでも(暴力による強制)しなければ言うことを聞かない」という、一方的な信頼の欠如。

その点で、将則(田辺家の息子)も加々見も、親が「信じてくれなかった」ことで人生を狂わされた被害者といえそうです。勿論、自殺や衝動的な反撃の背景には他の要因もあるのでしょうが、今回フォーカスが当たっていたのはそれでした。

だからこそ、田辺夫妻や伊吹が加々見を信じる姿は尊く映ります。疑うのが警察の仕事だと分かりながらも、それを唱える志摩には肩入れしにくい。

しかし結果として、彼なりの切実な背景があったとはいえ、犯人は加々見でした。心情はどうあれ、警察は疑って追う必要があった。「信じてもらうことは人間に大切」と「疑うことは警察として必要」という対立が、今回の苦みにつながっていると感じます。
だからこそ、バディの間で醸される信頼感や、裏切られもなお手を差し伸べる田辺夫妻の尊さが沁みる。

命の不可逆性を巡って

第1話では複数の事件が描かれていましたが、直接的な死は描かれていませんでした。しかし今回は対照的に、(発端の殺人を除いても)いくつもの死別が語られていました。

息子と会えなくなってしまった田辺夫妻。最後まで謝ってもらえなかった加々見の父。そして九重から示唆された、志摩の相棒の存在(「殺した」が比喩であったとしても、亡くなっている可能性は高そうです)

二度と会えないからこそ、田辺夫妻は目の前の青年を助けたいと願う。二度と会えなくなる前に、志摩は伊吹に謝る。二度と取り戻せないからこそ、伊吹も志摩も殺人を正当化しない。
特にラストの、伊吹から加々見への語りかけ。第1話で凶悪犯への殺意を露わにしていた彼だからこそ、「殺した方が負けなんだよ」という言葉は重く響きました。

それだけでなく、伊吹は「強く見られたい、優位でありたい」という感情、マチズモっぷりが随所に見られていたように思います。冒頭の運転時の「舐められちゃダメなんですよ」もそうですし、犯人に対する攻撃性も強い。良くも悪くも男っぽい、しかしこの話では悪とジャッジされている感情だと思います(前回記事より)

前回の僕はこんな警戒寄りのムードだったのですが。伊吹はそうした攻撃性を自覚しながらも、一線を越えないように自制しているという点で、追う側、諭す側として適格であるようにも思えます。

ちなみに、ED中の食事の場面。美味しそうにほうとうを啜る二人から、「アンナチュラル」のミコト天丼を思い出す人も多かったのでは。生きていくためにしっかり食べる、一緒に食べて絆を育む、そんな食事描写は毎回の恒例になりそうですね(まあドラマってだいたい食べていそうですが)(「実写での食事シーンはごまかしの効かない究極のスタントである」 by 山本匠晃TBSアナウンサー)

奇跡の出会いを実現するための「99%の無駄」

田辺夫妻と加々見、まさに「出会うべくして出会った」ような組み合わせでしたし、偶然遭遇したバディが彼らを追うことで加々見は更生の機会を得ました。まさに奇跡のような巡り合わせですが、こうしたケースは機捜において非常に珍しいはずです。
それを象徴するのが、陣馬の「俺たちの仕事は99%無駄」という発言です。手がかりの可能性を追いかけてみても、無関係だったというケースが大半。それでも、1%を逃さないためには追うしかないのが彼らであり、恐らくは現場の機捜隊員でしょう。

その99%ばかり描いていてはドラマになりにくい。とはいえ、ドラマチックなレアケースの裏で、彼らは「結果的に無駄だった」ルートを追っていることをしっかり示す。そんな誠意を感じもしました。偶然を運で片付けないための、母数の提示ともいいましょうか。


さて、今回はここまでです。
お読みくださりありがとうございました、願わくばまた来週。


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