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こんにちは、イチカです。


私はいま新幹線で東京に向かっているところです。


滋賀県の狼川だって!中洲の建物なに?




あの方のあれを受講してきます。



これ♡




これ!





クリムトの「接吻」という絵は、ふとレプリカにであって見入った記憶があります。


その頃私は、とてもみじめな恋を終わらせて、情けない思いでいっぱいでした。



今日はその、2014年、私が離婚してからのみじめな恋たちのおはなしを書きますねー。



「生まれてきてごめんなさい」


離婚したときの私の心境はたったひとこと。



「自由だ!!!」


でした。



元旦那さんはいいひとでした。
ずっとはたらきもので、友達がたくさんいて、子供たちを可愛がっています。


でも、私とは合わなくなっていきました。


なんで結婚したのかといえば、そのときはぴったりだったから、としか言いようがありません。


私には、結婚して家族と生きていくことは永遠だ、という意識はありませんでした。



おたがいに好きでなくなればお別れするし、こどもはすぐに巣立つもの、だと思っています。


ひどい妻だし母なんだろうと思います。


妻が、母が、私でなければよかったのにね、という思いは結婚した瞬間から、こどもが生まれた瞬間からありました。



カウンセラーになる前はずっと「こんな私でごめんなさい」とか


「こんな私はひとりでひっそり生きるべきなのに、ひとと関わろうとしてごめんなさい」




という自己否定、自己嫌悪、罪悪感にどっぷり浸かりながら生きていました。



それはながいながいつきあいだったので、今でもときおり顔を出してきます。



そんなわけで、離婚したあとでおつきあいしてきた恋人たちにも、


「私が恋人でごめんなさい」という思いが常にありました。



私なんかバツイチのふたりの子持ちのオバサンなのに。


そんな立場で恋人を求めようとするきたない人間なのに。



好きになってごめんなさい。


関わりを持とうとしてごめんなさい。




うーん。



あらためて自分の書いた文章にびっくりしています。


私のことだけど、当時はこんな気持ちでとても苦しんでいたんだけど、



それは私、自分勝手に過ぎるわよ…。



ばかものめ、世の中のうつくしくうるわしくしなやかかろやかに毎日を生きておられるシングルマザーさんたちの肩を揉んで回れ!



あとこどもは?私の決めたことに黙って従ってくれているこどもたちになんかいうことないの?


って叱りたいです。お恥ずかしい。



罪悪感にハマっていると、こんなに自分勝手になるんですね。



「愛されなかった、失敗した私かわいそう」って被害者意識を持っていました。


こんな感じです。↓

⋆私は愛されて当然である、なぜなら私は傷ついていて可哀想だから

⋆あなたは私を愛して当然である、なぜなら私は傷ついていて可哀想だから

⋆あなたは私がなにをしようと愛する義務があり、私はその権利を要求できて当然である、なぜなら私は可哀想だから。



被害者マインドのもたらす結果


こんな気持ちで恋愛していると、満たされないんです。


恋の始まりは、私が愛を欲しがれば相手は与えようとしてくれます。


深夜の長電話、お酒を飲んでの八つ当たり、もっと大事にして、もっと私を見て、説明しなくても理解して、世界を2人だけにして!


そんな無茶振りにもなんとか応えようとして、許してくれます。


が、いくら与えてもらっても私は満足できません。


そんなもんじゃ足りない、もっともっとちょうだい、笑顔でちょうだい、たのしそうにしてちょうだい、愛してたらできるはず!


ああ、書いててツラい…笑笑



そんな私に、恋人たちは疲れ果てていきました。


あるひとは、突然連絡が取れなくなりました。


あるひとは、「さすがの私も限界です」とLINEをくれたのでブロックしました。


あるひとは、「もう無理だ、別れよう」とLINEをくれたのでこの方もブロック。


さいごのひとは、「お前は何様だ」とひどいことばをたくさん欲して頬をたたいてきました。私はあわてて逃げ出しました。



「愛されたい」




お別れの話もせずにブロックするあたり、ほんとうに私はわがままで自分勝手な恋愛をしてきたと思います。


いえいえ、こんなのは恋愛ではありません。


ご縁のあった男性を、自分の要求をぶつけるサンドバッグにしてきただけです。


いつも一方的に受け取らず、与えずの関係。


気の向くままに感情をぶつける対象にしてきたんですね。


当時の私と関わってしまった男性にはホント、申し訳ない気持ちでいっぱいです。


街で出会ってしまったら逃げるけどね、しれっと。




さて、こんな馬鹿で未熟な私ですが、こんなことを繰り返しながらずっと願っていたのは、


その口で言うか?!とびっくりされるとおもうのですが、なんと、



「愛されたい」



という、たったひとつの気持ちだけだったんです!



こんなにめちゃくちゃやってるのに、愛されたい。


やっちゃいけないことばっかりやってるのに、愛されたい。



手に入らないと思えば思うほど、混乱しては悪手を繰り出してしまうんです。



愛されたいのに愛されない。





愛したいのに愛せない。



なんで、どうして、


私はやっぱりおかしいんだろうか。


きっと、恋をしてはならない人種なんだろう。


いや、ひとと関わっちゃいけない、穢れた人間なんだ。


私なんか生まれてきたのが間違いだったんだ。



考えて考えて、どんどん悪循環にハマっていきます。




私はこころを閉じて、やるべきことだけやって、


ひとさまに迷惑をかけないように、生活できるだけの仕事だけして、ひっそり生きようと決めました。


奈良の中宮寺の尼さんになろうとしたりして。


(もちろんまだまだそんな域には遥か遠く及びませんから、修行の内容を読んだだけで即座にあきらめました。チキンー!)



接吻




さて、こんなふうにすぐ傷ついて、いじけて拗ねては世界にシャッターを降ろしてきた私ですが、今はパートナーがいます。


なんと、2022年の今年で6年目になります。


なんでこんな馬鹿な女に?!って思われますよね。



目が覚めたんですよ。



もうね、頬をたたいてくれたひとには感謝しかありません。


あれは、求めるばかりで与えることすら考えないわがまま勝手な私を目覚めさせてくれた一発でした。



頬をたたかれて、そのひとから逃げた私は、それからずっと惨めな気持ちに打ちひしがれていました。


情けなくて、恥ずかしくて、みっともなくて、


こどもたちのことだけ考えて生きたらいいのに、それができないだらしのない私。


そんな自分を受け入れられなくて、めそめそ泣いてばかりいました。


そんなとき、出先でとある絵画のレプリカが飾ってあるのを目にしました。


黄金の中に不思議な幾何学模様や、金色のうずまき、つぶつぶ。


中央には恍惚としているような、自然なことのような、でもすこし恥ずかしいような、


なんとも表現のしようのない、目を閉じた美しい女性のすがたがあります。


そして、背の高いからだでその女性の全身を覆うように抱いている男性のすがたも。


男性のくちびるは、女性のほおに向かっています。



右が「接吻」
@Satoimosan



このクリムトによる「接吻」という作品を見たとき、こんな感情が湧いてきたのを覚えています。


守られてる。ゆだねてる。
私も守られたい。ゆだねたい。


ゆだねられる自分になりたい!!!




腹をくくる


今のパートナーとの6年間で、強く感じていることはこの


「腹をくくる」ということです。


守られたいなら、守られる腹をくくる必要があります。


ゆだねたいなら、ゆだねる腹をくくる必要も。


愛されたいなら、愛されることにも腹をくくるんです。


みじめだったときの私は、とにかくなにひとつ受け取ることができませんした。


私が望んだことを恋人が叶えてくれたとき、うれしいという気持ちを表現できませんでした。


私はよろこんじゃいけない、と思っていたんです。


でもそれは本心じゃなくってね、


ホントの気持ちはね、


「うれしくて恥ずかしい」だったんです。


うれしい!けど恥ずかしい!ぎゃー!どうしよう!あっ!



「私なんか」って気持ちがある!ちょうどいいや、これをかくれみのにしてごまかそう!


へへーんだ、どうせ私なんか!
ほーらこれで恥ずかしくないよ!




なんというか、私はいつもまわりの男性性豊かなひとを「永遠の3歳児」などと言って笑っているのですが、



私自身がその「永遠の3歳児」にほかならなかったような気がしてきました笑笑。



3歳児から大人の女性に成長するには、この「恥ずかしい」を受け取る腹をもくくります。


なにがあろうと、私はこのふわふわあたまのチベットスナギツネ顔の男を愛する。


そう腹をくくってから6年目。


いろいろみじめな恋をしてきたからこそ、くくれた腹なのだなあ…



クリムトにふたたび出会うために東京へ向かいながら、そんな昔の恋たちを思い出しているのでした。




愛されたいあなたへのドーパミント!

ただひとつです。


この男を愛する、この男に愛される、と腹をくくりましょう。


がんばれ♡



Special thanks

キャロ先生


Satoimosan



今日もお読みくださってありがとうございました♡



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ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。