
AIをそれほど恐れる必要はないのかも。AIマイブームが去って思うこと
2024年、めちゃくちゃAIにハマってたんですけど、ここ最近、私の中でそのブームが去りました。
去ったというか、相変わらずClaudeを中心に生成AIを使う場面はあるんだけど、あえて自分の五感を頼りに、人間らしい部分が強く働くように意識して仕事や生活をしているかんじ。
例えば、仕事では、これまでスケジュール管理とかリサーチとか、原稿の推敲、下書きなんかにAIを使っていたんですけど、2025年に入ってからは、そういう使い方をあえてやめるようにしています。いまはよっぽど頭が働かないときに、表現方法の壁打ちをしたり、タイトルに悩んだときにアイデアを出してもらったりするくらいです。
生活では、現実世界を自分の手で、地に足つけて生きることにフォーカスしています。SNSのアプリをスマホから消して、触れる時間を極限まで減らしたかわりに、紙の書籍をじっくり読んだり、編み物で自分や子どもが身につけるものを作ったり、これまでおかず配達サービスに頼りきりだった食事を、自分の手で再び作るようになったり。外に出て景色を見て、音を聞いて、匂いを感じて、手で触れて感触を楽しんで。そういうことも、大切にするようになりました。
年末年始に、ジュンク堂でたまたま見つけたこの本。
読んでみて、生成AIはすごいと言われているけれど、やっぱり人間の思考力と発想力に勝るものはないんじゃないかなと思いました。
詳しくはぜひ書籍を読んでほしいのですが、「言葉の覚え方」「言葉の扱い方」に着目したとき、人間ならではの特徴として、言葉の意味を体験の中で推論しながら体得していくという点が挙げられるそうです。最初はどんな動物も「ワンワン」と表現していた子どもが、ネコを見たときに「ワンワンではないもの」としてカテゴライズして、ピンと立った耳を持ち、ふわふわした毛と長い尻尾を持つ比較的小さな生き物がネコなんだと覚えていく。そういう言葉の覚え方は、生成AIはしていません。
というかそもそも、生成AIは言葉の意味を理解していません。膨大なデータの中にある言葉の使われ方から、確率論でそれっぽい言葉を選び、並べているだけ。意味を理解していないから、生成AIに文章を書かせると、それっぽいけれどなんか違う文章ができるのですね。(それっぽいけれどなんか違う、の感覚が分からない人は、文章作成で生成AI使わないほうがいいかもと思います)
これから生成AIに仕事が奪われる、とか。汎用人工知能が人間を超える、みたいな話があるけれど。
それほど恐れる必要はないのかな、と思ったりしています。
ただし、自分の体で体験して、自分の頭で考える、そういう人間らしいことを追求している人は、という条件つきだけど。
やっぱり、自分の身体ぜんぶで物事を感じ取って、それを頭というブラックボックスで結びつけて、思いも寄らないアウトプットが生まれていく。そういう人間ならではの行動が、生成AIがトレンドになる傍らで求められるようになるんじゃないかな。
ライターの仕事も、人間ならではの部分を磨いていけば、思いのほかなくならないのかもしれません。
なので、ことしの私は、人間らしく生きること、身体感覚を研ぎ澄ますことがテーマです。そのあたりは、また別な記事にまとめたいと思います。
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