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松の木陰に雨は降る

 路面電車を降りて踏み切りを渡ると、雨の商店街は人通りもまばらで、初詣に合わせて、先にある神社へ人々を誘うために設置された紫の旗は、すっかり濡れそぼってはためくこともない。傘をさして商店街を進むと、幼い頃住んでいた品川の五反田、戸越あたりを思い出す。何十年とそこにあるのであろう、肉屋や八百屋の並ぶ、東京の小さな商店街の風情にほっとしつつ、点々とある新しいカフェやコンビニを見つけては、時代の移ろいも感じる。
 やがて商店街が交差点で途切れる。信号を渡った向こうに、その神社はある。
 成人の日まではきっと多くの人がいたのであろう境内も、今日は雨に濡れて数人の参拝者がいるばかりである。このご時世なので、手水所には柄杓がなく、何本もの細竹からちょろちょろと水が出ている。またそれとは別に臨時の手洗い場も設置されている。その先には人々が整列するよう、ポールを並べ印をして、賽銭箱も本殿の前をすっかり塞ぐような大きなものになっている。と言っても今は前述の通りで並ぶ人はいないし、私が本殿前でもたもたと小銭を出していても誰の迷惑にもならない。傘を閉じ、手を合わせて、心の中で思いを述べてみる。ここに祀られているのは、古い神様ではない。幕末、安政の頃に斬首された師を、弟子たちがこの世田谷若林に改葬したのだという。幕末、明治の世を背負った多くの若者の道標となったこの人物には、私がこの先向かおうとする道に対して、背中を押してもらえる気がする。
 お参りして、小さなお守りを一つ買い、おみくじを引いた。珍しい緑色の紙の。目の前にはびっしりとおみくじの紙が結ばれている。沢山の人々が訪れた名残だ。
 おみくじは結ばずに財布にしまって、本殿に向かって左、境内の少し奥まったところへ足を進めた。石の鳥居を二つくぐる。鳥居の足元には、木戸孝允の名が掘られている。鳥居の先には、彼を始め多くの弟子、あるいは友に慕われたその人物のお墓がある。私は縁もゆかりもないわけだが、彼の主義思想はかの時代のものだからともかく、その姿勢に惚れ込んで卒論まで書いたものだから、思い入れはある。挨拶をして、今度は本殿の右へ。レプリカだが、実物に忠実に再現された小さな建物がある。祀られている人物が開いていた私塾である。今日は雨戸が閉まっているが、その入口の看板や縁側に、集っていた人々を想像してみる。この小さな塾の本物は山口県萩市にある。昔一度訪れたことがある。武士の家だが、米つきをしていた場所が残っているような、藩士半農の家だ。司馬遼太郎の歴史小説に、塾の主が幼い頃、教育係だった伯父に畑で授業をされるエピソードが描かれている。だからこんな雨の日、農業者のはしくれである私に仕事がないのは、きっとわかってくれるだろうな、などとよくわからないことを考えつつ、前々から訪れたいとは思っていたので、足を運んだのだった。
 帰り道、肉屋でメンチカツとコロッケを買った。道端であたたかいうちに頬張る。ソースなどなくても十分美味しい。
 駅に戻ってきた。ここは世田谷線、松陰神社前駅。雨はまだ降り続いている。

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