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昔、ドラクエの「最終画面裁判」を終わらせたのは僕らしいという話

「ドラゴンクエスト」という名前は日本全国に知れ渡っていると言っていいだろう。今やドラクエはピークを過ぎてからかなり経過したゲームではあるが、登場後数年の人気は大変なものだった。

発売日には行列ができるのは当然、秋葉原あたりでは、その行列の長さは数百メートルにも及んだ。まさに社会問題という感じで、多くの雑誌でそれが紹介された。今のiPhoneの発売のインパクトを超えた影響力を持っていたのだ。

さて、そんなドラクエではあったが、当時の日本ではRPGというものの理解がイマイチで、日本の一般庶民の一部はRPGというジャンルやゲームシステムさえ堀井雄二氏がいちから考え出したと考えている人もいた。

そのような人たちの一部が堀井氏を天才と呼んでいたが、アップルⅡ(ジョブスがMacの前につくったパソコン)で海外のRPGをヘビーにプレイしていた僕からすれば、ドラクエは単なる焼き直しのパクリゲームに過ぎなかった。(※注:個人の感想です)

そのため、僕は「ああ、大衆って馬鹿だなあ」と思いながら、くやしい思いをしていた。若さゆえの勘違いというものだろう。だって、僕には関係ないからね。

いや、正確にいうと関係ないわけでもなかった。ゲームソフトハウスを作ろうとし、雑誌の編集長にスカウトされた僕はたとえドラクエがシステム的にパクリだとしても、ゲーム界での成功が妬ましかったのだろう。

今ではこういうビジネススタイルは「タイムマシン経営」などと呼ばれている。

昔はアメリカで流行ったものは数年後に流行るというパターンがあり、アメリカで流行ったビジネスを素早く日本に持ち込めば、いい商売になるというわけだ。

インターネットの発達で情報伝達速度が速くなり、このビジネススタイルはほぼ成立しなくなったが、これはインターネット以前の時代の話なのだ。

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